≪思いつくまま気ままなmemoです。いったい何が飛び出すやら〜≫
   


 No.50 プー組結集! 2002/09/23

昨日は、実家の母と主人と3人でお墓参りに行ってきたのだが、まずお昼ご飯を一緒に食べようということで、先に母が橿原に出てきて、3人でカニ道楽でお昼の懐石を頂いた。
お昼ご飯をバーミヤンで中華にするかカニ道楽で和風にするかでちょっとモメていた(笑)のだが、母の誕生日(9/28)の御祝いも兼ねていたので、母の気分に合わせて今回はカニ道楽にした。
いきなり話題がそれてしまうが、最近、道頓堀系の老舗やお食事処が奈良県にも進出していて、それが大人気!なのである。神座(かむくら)というラーメン店もしかり。ファミレス風の建物に筆文字のようなロゴで大きく「神座」と書かれていて、これを見るたびに、「言霊パワーだぁ〜〜!」なんて思ってしまうほど強い印象で、休日の夜などはいつも長蛇の列である。
そしてカニ道楽などは、まさに道頓堀の老舗の意地と生き残りを賭けてやっているという気迫があり、メニューの洗練度・美味しさ・店内設備の美しさ・接客態度・居心地の良さ・入りやすさといい、どれも満点に近いものがある。それと空調設備が良いのか、店内はすごく爽やかで心地良く、とてもリラックスできる。主人のお母さんが特に蟹が大好きなので、昨年のオープン時から、主人の両親や実家の母と一緒にかれこれもう10回以上も利用している(実は9/14の土曜日も、最近忙しくしておられた主人のお母さんの慰労会ということでカニ道楽に招待して又もや心酔していたのであった・・)。カニのコースのお値段は、お昼12時〜2時までのミニ懐石で1500円から2800円位で、2時〜4時までのミニ懐石が2500円〜3800円位、夜は、焼きカニやお鍋や懐石などで3900円〜6000円位。特にお得なお昼のミニ懐石が人気だが、休日などは夜でも待ち時間が30分とか言われるほどで、とても人気店になっている。来客はカップルなども見られるが、ご家族連れが圧倒的に多い。ファミレスより少し高くても、満足感と心地良い時間の流れを楽しめることで、私達のように何度もリピートして来られている方々が多いのではないかと思う。
そして又これも余談になってしまうが、私の母という人は喫茶店やお食事処やレストランに入ると、やたらと追加注文するのが大好きで、ヘンなところで意味もなく散財してしまう人なのである。一度、上本町の喫茶店に入った時などは、一緒にコーヒーや紅茶を頼んだ後に、サンドウィッチやデザートを追加し、又もやカフェオーレやウィンナーコーヒーなどを追加し、その上に又何か追加しようとするので、そこで私がたしなめてもうやめにしたのだが、ウエイターさんやウエイトレスさんにもよく苦笑されたりするのである。もちろん昨日のカニ道楽でも、ミニ懐石のコース(カニ酢やカニの天ぷらや茶碗蒸しやサラダやお寿司などのメニュー)を食べているうちに、やっぱり単品のカニコロッケも追加する!と母が言い出したので、もうこの際ついでにとカニサラダ大まで追加したら、それはカルパッチョ風で美味しかったのだが、3人ともものすごくお腹一杯になってしまった。
食後には、母に誕生日プレゼントの洋服と右脳の本を手渡し、それからカエルカードまで出してきて母に引いてもらったら「Release解き放つ」のカードが出た。母はその解説を読み、いたく気に入ったらしくて、バッグの中からやおらペンを取り出すと、カニ道楽のお品書きの紙の裏に、その解説の言葉を書き留めていたくらいであった。プレゼントもカエルカードも、母がとても喜んでくれていたので嬉しかった。
ところで、今回のめもの題の「プー組」についてここでちょっと解説すると、「プー組」とは「一応普通に生活はしているが実はお気楽あるいは天然ボケ系のプーな性格の人々の集まり」で、構成人員は、驚異の人!プー組筆頭の実家の母と、ほんとは昼寝が大好きな主人と、以前は世界で一番ヒマな人だった私、の3人なのである。このプー組結成は、驚くことになんと15年以上前にまでさかのぼる。そして結成以来10数年、年に1〜2回、密かにプー組のメンバー(たった3人・・・)が結集しては、プー組忘年会などを催しているのであった。しかし、プー組などとこの3人の内で勝手に言ってはいるが、主人の両親や実家の父などは、プー組の存在すら知らないのである。(知らないほうがよいのかもしれない・・)しかしプー組結成には意外に深い訳があり、私の祖母が入院していた8年間の間、よくお見舞いに行っていたこの3人が、様々なトラブルに耐える中でお互いを励ますために結成されたのであった。(あんまり長くなるといけないので、この話は又今度・・)
そしてやっと話は元に戻って(笑)、お昼ご飯を十二分に楽しんで食べた我々3人は、主人の運転する車で大阪方面へと向かった。車に乗っている間も、母の超天然ボケぶりは絶好調で、すぐにカラオケ喫茶に目を奪われたり、通りかかった市のホールでやっていた歌謡祭に行きたがったり、途中で何度もトイレに行ったり・・と、ずっと忙しく、ずっと笑いっぱなしであった。一方主人は、昔っから自分の気に入ったことだとすぐに賛成するのだが、母がいつも急に妙なことばっかり言い出すとなかなかそれに対応できない性格なので、そうなるとすぐ臍を曲げたりするのである。こういう2人に挟まれて、私はずっと、いい加減なことを言う母をたしなめ、主人の頑固さには厳しく文句を言いながら、いつも意見の調整をしているのであるが、実はこのプーな3人の中で私が一番短気なので、あんまり2人が協調性の無い自分勝手なことばかりを言い続けると急に腹が立ってくる。そうなると、私の怒りを恐れて、母や主人がわざとらしく取り繕おうとするのであるが、結局なんだかんだよくわからないことを言い合っているうちにいつしか収まっているのであった。
そうこうしているうちに、お墓参りも無事済んで(墓前でお祈りをしたときに、右脳の本で覚えた十句観音経も唱えて3人で祈ったのである)帰路に着いたのであったが、またまた母がちょっと何処か喫茶店に入ろうと言うので、さっき通りがかった歌謡祭をやっていた実家の近くのホールにある喫茶に寄って、しばし雑談をした。喫茶の店内には、歌謡祭に出ておられた市民の方々で一杯で、なんだかすごい派手な衣装の方もいらっしゃったので、歌が好きで自他共に認めるミーハーなところがある母(以前はジュリーの大ファンであった)は興味津々であった。その方々が引き上げて行かれてから、又3人でお互いの近況を語っていて、私達が10月にサトルエネルギーの講演会に行くと言ったら、母が急に交通費をプレゼントすると言い出したのでビックリした。主人の母も先週お会いしたときに、コープのお祝いに何か必要なものをプレゼントしたいとおっしゃって下さって、とても感謝して嬉しかったのだが、私の母は「形にならないもの」をプレゼントするのが好きなのだと言う。いかにも新月グループの“正直なこじか”でA型の母らしい。今までもずっとお互いにいろいろとプレゼントし合ってきたが、実家の母はよく私が何処かへ行くときの交通費とかホテル代をプレゼントしてくれるので、いつもはとてもプーな性格の母がこんな風に応援してくれることに本当に心底ありがたく思う。
その後ひとしきり話した後で喫茶を出て、母を実家の近くまで見送って私達は車に戻ったのだが、そこでハタと母の誕生日祝いのプレゼントの洋服や右脳の本を車の中に置き忘れていたことを思い出した。慌てて車で母を追いかけようとして道に出て、母をさがしながらちょっとテレパシーを送る気持ちでいると、急に横の道を小走りに歩いている母の姿が見えて、「お母さ〜ん!!」と呼び止めた。そのとき私が呼び止めるまで母と主人は気づかなかったようだったが、行き違いにならなくってホントに良かったねと笑い合って、又それぞれの自宅へと帰っていったのであった。久々にプー組の親交を温めた賑やかで愉快な一日であった。
今まで、私は母や主人のワガママに呆れると、もうプー組を脱退する!と言って何度もふたりを見捨てて抜けようとしていたこともあったが、この集いもよくわからないままにいつまでも続いていることに、我ながら驚愕の念を禁じえないのであるが、まあとにもかくにも、世の中にこんなプーな集いがひそかに存在しているということを、今日初めてここに記すことにする。合掌。




 No.49 カモミールのお風呂 2002/09/21

昨夜、カモミールのお風呂に入ったのだが、いつもよりなめらかなお湯でとても心地良かった。
私はハーブティーの中でも特にカモミールの青リンゴのような甘い香りがとても好きなのだが、先日コープで販売している手づくり野草茶シリーズで購入したカモミール茶は、花だけではなく茎も葉っぱも入っていて、より素朴でナチュラルな感じでとても気に入っている。そして説明書きに「飲んだ後のお茶ガラを更にじっくり煮出してお風呂に入れたり、お日様でカラカラに干し、枕・座ぶとんに入れて使うのもよい」と書いてあったので、とりあえずお茶ガラをじっくり煮出した液を、お風呂に入れてみると、お湯の香りも肌触りもすごく良かったので、「これはいい!」と感激してしまった。
以前、カモミール(かみつれ)エキス入りの入浴剤を購入していたこともあったのだが、これは4、5回分で¥2000もするので、香りはとても良かったがやはり割高なのでやめてしまった。それから、竹炭液(色がかなり薄いもの)とか、希釈したエッセンシャルオイルとか入れていたのだが、ゆっくりお湯に浸かりたい時にはもうひとつしっくりこないものがあった。しかし昨夜のカモミール風呂はとてもホッとして、お湯もなめらかで非常に気に入ってしまった。
そして、こういう野草茶も自分でも手づくりできたらとっても素敵だな〜〜と思うのだが、以前主人のお母さんが庭で育てられた無農薬のカモミールをせっかく鉢に分けて下さった時にも、なぜか枯らしてしまったのである。しかし、来年のカモミールの季節には、主人のお母さんに干してみることをお勧めしよう♪と思う。(そういうところは全く他力本願な私・・・(^^ゞ)
BBSでも最近どくだみのお話で盛り上がっていたが、そういうお茶を手づくりされるというのは、本当に素晴らしい。(どくだみ茶を煮出した後も、又お風呂にも良さそう♪♪)
最近では健康茶や野草茶系のペットボトルも大流行だが、やはり手づくりならではの楽しさと野草に親しみ大切に頂く気持ちは、自分で摘んで干して作ってみると、とても実感できるのではないかと思う。私も遅まきながら、とうとう野草茶の世界にまで至っているが(笑)、そういった新たな実感から又いろんなことを感じるのを楽しみにしている。
でもこういったことはふつう母親から教えてもらうという場合も多いのではないかと思うのだが、うちの母の場合、ぶどう畑や自然に囲まれて育ちながらも、なぜかこういうことは全く知らないので、私が祖母に教わったことや自分で勝手に探求したことを母に教えたりしている。はっきり言って、ヘンな親子なのだが、まぁこれはこれでいいのかもしれない(笑)。
又こういった手づくりの野草のお茶や入浴剤からも、地球や自然や植物に想いを馳せるのは、とても身近なエコ感覚であると思う。そして手作りの楽しさや豊かさや実感を、これからもっといろんな場で語り合っていけたらより一層素敵な発見があると思う。




 No.48 あぁ、カエルカード! 2002/09/19

先日カエルカードを頂いたことを書いたが、その後日談を少し。
昨日から、集中的に私の一番「苦手」な整理整頓&掃除に取り組んでいる(これは土曜日に友人を招いているため急にやる気になって・・・笑)のだが、やはりちょっと疲れるとすぐに他のことをしたくなったり気力がイマイチになったりするので、そんなときほっと一息がてらカエルカードを引いている。そしてこれが又すごく楽しいので、こんなにカエルカードにハマってしまうなんて〜〜っ!と我ながら驚いている。プレゼントして下さった方にも日々感謝♪なのである。
そして、最近主人も私もカエルカードを引いていて最も驚いたことは、なんと主人が合計10回程引いたうち、5回以上同じカードを引いていること!!これはどう考えてもヘン・・いや、凄い!としか言いようがない。そのカードとは、「Acceptance受け入れること」である。う〜む、このカードは“あるがままに受容する”という意味なのだが、主人の今の心境にとても響いてきたようで、何度も何度もその同じカードを引くたびに、じっと考えて真剣に受け止めていたようであった。
一方私のほうも、やはりなんとなく共通したメッセージのカードが多く、最初に引いた「Blank空白」のカードも又出てきて、あとは「Self−referral自己回帰」や「Trust信頼」という“自分を信頼して自信を持って歩む”というようなメッセージが多い。こういうカードを引くたびに、自らを信頼することの大切さをひしひしと感じる。
自分を信頼できないとき、他の人のことも本当の意味で信頼することができなくなる。自分への信頼を阻むもの・・・それは罪悪感や自己批判や孤独感。そんな思いは誰もがどこかで経験してきたと思うのだが、人類の集合意識としても長い間ずっと地球を包んできた歴史もあるのだと思う。しかし21世紀の水瓶座時代には、宇宙のフォトンエネルギーが降りそそぎ、すべてが変化していくようなのである。よく聞く情報なのだが、シューマン波と呼ばれる宇宙波の値が劇的に変化しているということだ。そして2002年は浄化の年と言われていて、今まで内に溜めていたエネルギーが現われ出てくるのを無理に押さえず、素直になって手放していく時期ということであった。
話が横にそれてしまったが、それにしても、カエルカードは見れば見るほど引けば引くほど(笑)、これは楽しい!!面白い!!と絶賛したくなってくる。スピリチュアルな意識を共有されている方へのプレゼントにも最適!だと思う。平べったい缶のデザインもとてもユニークかつ可愛くて、小さくて携帯にも便利なので、これなら何処へでも持っていきたくなる。(ハマリすぎ・・)
でもきっと、誰かと会うときとか、ちょっと数人でおしゃべりするときなんかにも、こんなカードをサッと取り出して引いてもらうと、すごくウケちゃうのではないかと思う。一度引くといきなりハマってしまう、そんなマジック・カード(こんなふうに書くと、手品みたいだけど・・)なのだ。カードの表に書いてあるメッセージと小さな解説書に書いてある詳しいメッセージ、これらの言葉は本当にパワフル&スピリチュアルで、あらためて言葉の持つ力を再認識した次第であった。
そしてカエルカードにご関心を持たれた皆さんが、これから素敵な出会いがあられることを心から祈って♪Good Luck!!(^_−)☆

*カエルカードのお問い合せ先
  アトリエ・クスケーニャさん FAX 03-3954-9008 E-mail cus@japan.email.ne.jp




 No.47 空を眺めて眠りたい 2002/09/16

高校生の頃、弟と一緒に家の二階の窓から屋根の上に登って、ひととき少しウトウトと眠ったことがある。あれはたしか夏休みのことだったと思うのだが、屋根瓦の上に薄い敷物を敷いて横になり、しばらく夜空を見上げていたら、涼しい風が流れるように吹いてきて、何とも言えず開放的で心地良かったものだ。
こういういかにもヘンな事をしだすのは姉である私のほうで、弟は、そういう姉の背中を見て少し躊躇した後に(笑)、なぜか結局いつも同じようにする(してくれる?)のだった。
しかし、屋根の上に寝転んで眺める夜空はやはり格別である。
薄目を開けて眺める星がキラキラと眩いばかりで何て綺麗なんだろう・・・まるで夜空全体が大きなお布団みたい・・・とかなんとかウットリしているうちに、本当にウトウトしてしまったのである。
しかしそのうち急に、「かゆいぃ〜っ!」と飛び起きた。屋根の上で蚊にさされた〜〜!!私の声でビクッと飛び起きた弟もやっぱり蚊にさされていて、それで又ふたりして敷物を抱えスゴスゴと元来た二階の私の部屋の窓へと戻っていった。しかも、その後数日に渡り、屋根の瓦がズレてしまったとかどうとかで父と母に怒られたのであるが、瓦のことなんかではメゲナイ私は、又その後も時々そぉ〜っとひとり屋根の上に登っていたのであった(^^)。
今なぜこんな話を書いているのかというと、今日の夕方に万葉の森に少し散歩に行ったときにも、ベンチで一人ごろっと寝転んで空を眺めていたので、かつての夜空のことを思い出したのである。時間にしたら10分ほどだったと思うのだが、ちょうど周りにあまり人もいないようだったので、つい寝転びたくなって横になってみたら、やはりとっても気持ちが良かった。
今日は少し曇り気味だったのだが、空の優しい青さと雲の柔らかい白さを眺めていると、あまりに爽やかで心地良すぎて、もう何も考えられなくなってきて、空が遠く見えたり近く見えたりする。本当はものすごく遠いはずなんだ〜〜とぼんやりした頭でちょっと考えたりもするのだが、近視の私のぼやけ気味の目だと余計に遠近感も無くなってくる。草の匂いをかぎ、小鳥の鳴き声を聴きながら、そうして少しの間茫洋と空を眺めていた。
そして、この青空の天井ってものは、圧迫感のカケラもないんだなぁ!とあらためて思った。
マンションに暮らしていると、時々天井に心なしか圧迫感を覚えることがあるのだ。室内というのは、ある意味で安全な場所なのだが、それが又「囲い」ということにもなっている。しかし屋外に出て空を見上げると、空という天井は、まるで生きて動いているようである。太陽や月が輝き、雲が流れ風が吹き、時には雨が降ってくることもあるので、その状況を受け入れていかなくてはならないが、全く「囲い」がないので、直にこの地球を取りまく世界をそのまんま感じることが出来る。それは何にも代えがたく素晴らしい感覚だ。
どこかお弁当を食べれるような野原に行った時にも、私はすぐにちょっとごろっと寝転んでみたのだが、地球の上に寝転んで空や雲を眺めているときには、幸も不幸もなく、ただ不思議に満たされた感があって、本当はもっとずっと長い間そうしていたかった。そんなとき、「私は地球に生きている!」という全く当たり前のことだけどいつも忘れがちなことを強く実感する。
そして、母なる地球の上にごろんと寝転び宇宙につながる空がずっと遠くまで広がっているのを眺めていると、次第にえもいわれぬ安堵感に包まれていく。自分の身体で大地と空を肌で感じるこんなひととき、いつまでもずっと大切にしたい。




 No.46 「ザ・チラシ道」から三年 2002/09/13

今からちょうど3年前、私は自然食業界の会社と契約して、販売促進チラシを企画制作する仕事をしていた。そして以前にも書いたが、その取引先の方が貸してくださった一冊の本がきっかけで、船井総研の取締役のM先生がお電話を下さり、販売促進の勉強会に呼んで頂いた。
初めて船井総研大阪本社に訪れた時、シックな色のビルを見上げてエレベーターで2階に上り、大きな会議室の扉の前に来たときはかなり緊張していたものだ。M先生はお電話で、私と一緒に主人も来たらどうかとおっしゃって下さったので、その日主人も同行してくれたのだが、それにしても何分未体験ゾーンのことなので、ふたりして何だかよくわからないままにここまで来てしまった・・という心境であった。
会議室の前でドキドキしまくっていた二人なのだが(笑)、とにかく中へ入らなきゃということで、私は勇気を出してドアを押した。そしてドアを開けた時に一瞬怯み、次の瞬間には開き直っていた。目の前にサーーッと視界が開けて、「広いなぁ〜!」と思ったのが第一印象であった。
そしてこんな大切な日なのに時間ギリギリに着いてしまった情けない我々であったが、早速M先生がご挨拶して下さり、私を見て「思ったとおりの人だった」と間髪入れずにおっしゃられたのには少なからずビックリしてしまった。そして、すぐに数人の若手コンサルタントの方々や勉強会に参加されている経営者や社員の方々がご自分の成果やプロセスを発表されたり、活発な質疑応答も始まり、その後M先生が様々なビジネスのワークみたいなものを投げかけて下さって、それに皆が真剣に取り組んでいたのである。
私は、このような場は、もちろんそのとき初めてであったので、最初何がなされているのかと少し戸惑い気味であったのだが、いきなりM先生に呼ばれて前の椅子に座るように言われ、ひとりの若手コンサルタントさんの横でコンサルティングの現場のような場面を体験させて頂いた。若手コンサルタントさんが私にいろいろ尋ねられて、それについて私が答えていく途中で、M先生が大切なポイントについて解釈を下さる。それを続けている20分位の間に、「あぁ、ここではこういうことをしているんだ」という勘所みたいなことが理解できた。そしてなぜか不思議に、若手コンサルタントさんの横に座って質問されている時には全く緊張せず、反ってほっとするような不思議な楽しさがあり、又、落ち着いた穏やかな優しい気持ちでもあった。
その後も、1ケ月に1度、勉強会に呼んで頂くたびに、次から次へと新鮮な発見の連続にいつも舞い上がり気味の私であったが、勉強会に参加される人数は10人強程なので、席に着くと隣の人との間隔も充分にあり、もう何の遠慮も無く、思う存分真剣に自分の意識をとことんクリエイティブなことに集中できた。それが私にとってはたまらなく幸せで、この勉強会の時間中、私はすべてを忘れて没頭していたのであった。
そして、M先生から3つのテーマを与えて頂き、又それに夢中になってそれに取り組むことになった。ひとつは、販売促進の本の出版にチャレンジすること。ふたつめは、販促セミナーの講師にチャレンジしてみること。三つ目は、もっと実戦を経験するためにコンサルタントの方に同行したりセミナーを体験すること。
そして、ひとつめの本を書くということにチャレンジした私は、「ザ・チラシ道」という題名で企画案を考えた。その「ザ・チラシ道」の内容を少しご紹介すると・・・大まかには「チラシ道入門編」と「チラシ道実践編」から成り立っていて、入門編のほうは、■チラシ道は「人と人」「人と商品」をつなぐ心の道●チラシ道開眼●チラシ道極意・・・■手づくりチラシの心得■手づくりチラシの8つの決め技■手づくりチラシを洗練させる極上の「エンターテイメント」等々のコンテンツがあり、又実践編のほうは、◆実際に成果を出したチラシ作りのサンプル事例・実例と、◆付録「あなたが作るチラシ制作の進め方」とで構成してみたのである。
これを勉強会で発表させて頂き、その結果多くの方々が非常に面白いと言って下さったのだが、M先生からは「心のことを書くのはまだ早い」とのことで、「○○の法則」というような題に変えてもう一度チャレンジするようにご助言を頂いた。しかし私は自分が書きたいことはやはり心のこと抜きには書けないし、全く無名の私がそのような本を出しても大変つまらないように思い、失礼にもそのままにしてしまったのである。それから、セミナーの講師のお話も、自然食業界の事例などを主人とともに発表するような形で考えてくださっていたのだが、私はそのせっかくの温かいご支援を心ならずもお断りしてしまったのであった。本当にこのようなご支援を下さった方に対してこんな態度は自分でも恥ずかしいと思ったのだが、いつか私はM先生にもっと自分らしくご恩を返したいと心の底から願ったのである。
そしてこの勉強会で皆さんの前で発言しているうちに、だんだんと心の通うものを感じて「同胞」と思えたことも私にとっては凄い経験であった。ここで出会った方々も皆幸せに生きてお仕事され、又どこかで出会えたら本当に嬉しいと思った。

この「ザ・チラシ道」の案を考えてから3年経ち、又その間の出会いにも、本当に多くの学びと共鳴を感じさせて頂いた。そういう出会いから頂いたものにいつか私も何か返せたら・・と思う。そして、そのためにはやはり自分らしく生きることが何よりだと気づいて、今ここに至っている。
そして今日、少し考え事をしていたとき急に、“ホリスティック・コンサルティング”という言葉が浮かんできて、「これこそ私がこれから取り組みたいこと」だというような気がしていたのだが、その後、F−Aceの9月号を読んでいたら、又ヒントを得て、新しいビジネスプランが閃いた。それは、閃いたというよりは、以前からずっとぼんやりとイメージにあったことが、もっと具体的に構想が見えてきたような感じで、とても嬉しくなった。こういうビジネスプランを思いついて、いろんな方々が繋がっていくのを思い浮かべるだけで超ワクワクしてきてすごく楽しい。でも私の場合、天然ボケ的な性格に反して、つい壮大なヴィジョンに走りやすい傾向があるので(笑)、今回は、今思いついたイメージに向かって今出来ることから一歩ずつ直感を信じて歩んでいきたいと思う。果たしてこれからどうなるか!?は全くわからないが、ただただプロセスを自由に豊かに楽しんでいきたいな♪と思っている。




 No.45 新しい出会いとご縁 2002/09/11

2002年、今年ようやくHPを開設することが出来て、沢山素敵なご縁を頂いている。
オープンする前のシンクロニシティのこと、そしてBBSを始めて以来、リンクを辿り又検索をされて、このHPにいらして下さった方々との出会いに、日々驚きと感動を覚えている。またHPをご覧になって下さった方からメールを頂くこともあり、真摯な言葉に共感させて頂くことも多い。
しかし、出会いとご縁とはほんとうに不思議なものだとつくづく思う。人と人、そして様々なものとも、日々出会いの「瞬間」が訪れる。その向こうに何が待っているのかはまだわからないが、着実に何かが訪れていて、そして最近は、毎日そのサイクルは早まっているように感じられる。
きっと今、地球上に住む人々に頻繁にこのようなことが起こってきているのではないかと思う。

そして今日、昼食を食べに帰ってきた主人が、一冊の本とカエルカードというものを持ち帰ってきた。 主人は最近コープのことをお話してほしいと頼まれることも多く、そのミニセミナーの後でお礼にプレゼントを頂いたようである。
本のほうは、あまちゆうとさんのエッセイ集「遊 〜宇宙の計らい〜」。
私も、昨年から、よくあまちさんのお噂は聞いていた。メーリングリストのOさんが主宰されておられる研究所で、あまちゆうとさんのセミナーをよく企画されておられるので、一度参加したいと思いつつ、昨年は忙しく参加出来ずじまいであった。
しかし、このエッセイ集を読み、あまちさんのリラックスした自然体と、温かくチャーミングなお人柄(たこやきがお好きなのだとか♪)に心も和み、素敵な生き方をまたひとつ感じさせて頂いた。
また機会が訪れたなら、ぜひセミナーなどにも行ってみたいと思う。
そして、カエルカードのほうは、これも以前、Oさんのワークショップで初めて体験させて頂いたのだが、トランプのようにカードをきって、本当の自分からのメッセージをきく・・・というようなもので、その時その時の自分の心を再確認するのにも役立つようだ。カエルカードには(もちろん?というか)カエルのイラストが描いてあるのだが、『本当の私にカエル』という意味なのだそうだ。たしかアネモネでも販売していたこともあって、その時購入したいと思いつつ忘れてしまっていたのだが、こんなふうに今手元に届いて(主人が頂いたものなのだが・・(^^ゞ)、ありがたく思う。
初めてOさんのワークでカエルカードを引いたとき、私は「Sharingシェアリング(共有する)」というカードを引き、そのときの心境にとても響くものがあった。そして今、このめもを書きながら引いてみると・・・あっ(・o・)!「Blank空白」のカード。(“おめでとう、すべては整いました!あとは行動あるのみです。遭遇するすべてのことを楽しんで。Good Luck!”とありました・・)
う〜ん、行動かぁ〜。よぉし、秋は行動的にと(^^)。とにかくカエルカードさん、ありがとう!
そして、同じ時代を生きるすべての存在にありがとう〜〜!




 No.44 野菊 2002/09/10

最近、夕方に近くの川沿いの道を散歩すると、野菊の淡い薄紫の色が目に美しい。
四季折々に咲くお花はそれぞれに姿かたちも美しいが、野草の持つ素朴さとキク科植物の気高さを持った野菊の、楚々としたどこか儚い美しさが私はとても好きだ。
秋の陽が沈みかける頃に、野菊が群れて咲いている道などを通りかかると、薄闇に淡い薄紫色の花びらが浮かび上がり、その影絵のような光景に足を止めて見入ってしまう。
私は以前から野草・山菜が大好きで、春の野草摘みの季節には、ツクシやセリやフキノトウなどを探しに行くのが毎年とても楽しみなのである。野菊は別名ヨメナと呼ばれていて、春に摘む葉っぱはキク科独特のいい香りがする。根元のところが赤みがかった葉っぱを少し摘んだら、さっと茹でてしぼり、ピーナツ味噌和えなんかにすると、シブ〜い一品になる。万葉集かなんかにも、朝のお汁に入れるためにヨメナを摘んで・・という意味の歌が残っていて、そんなことを思い浮かべながらヨメナ摘みに勤しむと、余計に風流であるかもと思う。(ただし、そういう人は現代では稀なので、私はいつも独りで勝手にヨメナを摘んでいる・・・(^^ゞ)
ところで、野菊を一輪挿しにして和室の机の上などに飾ると、非常に奥ゆかしい風情がある。
奈良の名物のそうめんの老舗なんかで、そういう楚々とした風情のある演出をしてあると、私はすぐに「おぉっ〜!」と注目してしまうのだが、そういう繊細な美意識を味わう時間もとても好きだ。
しかし、野菊のように小さくて豪華でない花ほど、飾ってある空間に時の流れと深みを与えるのは何故だろう・・と思うことがある。百合や薔薇のような華やかな花は、花そのものの造形美がまず目を引くのだが、野菊のような野生の可憐な花は、周りの空間と時間に溶けこむような美しさを感じさせてくれるのだ。もしたとえば、宇宙を背景にして一輪の花を飾ろうとしたならば、きっと野菊のような淡い儚い花がとても映えるのではないかと思う。飾り気のない素の美しさは、いつまでもいつまでも心に残る。
これから秋が深まるにつれ、野の花と虫の声と、まほろばの空高く上っていく孤高の月が、とても美しい季節である。




 No.43 「一番短くて霊験あらたかなお経」って!? 2002/09/09

今、七田眞先生の「奇跡の右脳革命」の本を読んでいる途中なのだが、この本のキャッチフレーズの“驚異の実例集!”という言葉の通り、沢山の驚くべき実例と、大変興味深い貴重な情報が掲載されていて、非常に素晴らしい。
もうすぐ9月末と10月初めに、実家の母と主人の父の誕生日がくるので、そのときのプレゼントのひとつにこの本を贈ろうと思っている。先日も実家の母とも少し右脳の話をしていたのだが、七田先生の本に大変興味を持ったようで、今から楽しみにしてくれている。
この本の沢山の興味深い情報の中で、なぜか特に心惹かれた「たった十句で絶大な効果を示す『延命十句観音経』」のところを、少し抜粋してご紹介したい。お経を唱えることも又、右脳の意識に入る方法のひとつ。「奇跡の右脳革命」の本によると、江戸時代初期に百十三代天皇に即位された霊元天皇が、比叡山の霊空禅師に「一番短くて一番霊験あらたかなお経を探してくるように」と命じて、霊空禅師が見つけてきたものが、この『延命十句観音経』であるそうだ。

☆十句観音経

 観世音 南無仏 与仏有因 (かんぜおん なむぶつ よぶつうーいん)
 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄 (よぶつうーえん ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう)
 朝念観世音 暮念観世音 (ちょうねんかんぜおん ぼねんかんぜおん)
 念々従心起 念々不離心 (ねんねんじゅうしんき ねんねんふりしん)

                                      「奇跡の右脳革命」より抜粋

この十句観音経には沢山のエピソードがあるようで、古来からの数々の奇跡の話も掲載されていて、唱えると命が延びることから『延命十句観音経』といわれるようになったそうである。
私は、この大変短いお経を見たとき、なんとなく昔学生の頃に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」と暗誦して覚えたことを思い出して親しみを感じてしまった。
それに十句観音経は普通のお経よりもずっと短くて覚えやすく、その上なんだかものすごく霊験あらたかみたいなので、これはひとつ覚えておいたほうが何かのときに役立つかも!(笑)なんて思い、今日早速覚えてみた。そして夜に台所で洗い物をしながら少し唱えていると(笑)、文字や音感からなんとなくイメージが湧いてくるような気もしてきた。それでこの十句観音経をお伝えしたいと思って、今日の「なるみめも」となった。それにしても、右脳の世界にますます興味尽きない今日この頃である。




 No.42 FOWとサトルエネルギー学会講演会 2002/09/05

今週末の9/7〜8は、横浜でFOW(フナイオープンワールド)が開催される。
昨年、私は初めて仕事でFOWを体験させて頂いたのだが、パシフィコ横浜にエネルギーが集結した!という感じの2日間であった。
ご来場されている方々は、船井先生のファンや多彩な顔ぶれの講師陣のファンのみならず、21世紀の最先端の情報と知恵を自ら追求されている意識の高い方がとても多い。
そして今年から、船井総研さんのコンサルタント陣によるビジネス・メッセも同時開催される。これによって、又一層様々なエネルギーの交流が必然的に起こると思われるので、とても素晴らしい企画であると思う。
しかし、私と主人は今年は残念ながらFOWには参加できないのだが、10/6に東京のよみうりホールにて開催されるサトルエネルギー学会講演会&懇親会「波動ルネッサンス2002」に参加する予定なので、この日をとても楽しみにしている。
この「波動ルネッサンス2002」の講師陣は、日本ホリスティック医学協会会長でサトルエネルギー学会会長の帯津良一さんをはじめ、筑波大学名誉教授の村上和雄先生や、不思議研究所所長の森田健さん、マラナサ・ジャパン代表のエハン・デラヴィさん、そして右脳開発の第一人者の七田チャイルドアカデミー校長の七田眞さん、時事評論家としてご活躍の増田俊男さん・・・・と、
とにかく凄い顔ぶれなのである。
しかも!!この講演会は、朝10時よりスタートしてお昼の休憩もそこそこに、夜の8時近くまで、ご講演のオンパレード!!10時間近くぶっ続けにサトルエネルギーについての最新情報を聴きまくる!(笑)といった感じなのである。
ちなみに主人は時事評論家の増田俊男さんのファンで、著書やHPもよく拝見している。一度、メールを送ったらご本人からお返事を頂いたことがあったようで、大変に喜んでいた。
私も、当日(きっと超ドキドキしそうだけど・・・笑)の懇親会などで、お会いできたらとても嬉しい。
FOW、サトルエネルギー学会講演会ともにご盛会でありますように(o^^o)

☆FOW2002HP http://www.fow.ne.jp/
☆サトルエネルギー学会HP http://www.subtle-eng.com/




 No.41 シンクロニシティ 2002/09/03

意味のある偶然の一致、それは「シンクロニシティ」と呼ばれる。
「シンクロニシティと7つの性格タイプ」(フランク・ジョセフ著・宇佐和通訳 KKベストセラーズ)の本を読むと、その偶然の一致の実例と実践についての記述が説得力を持って訴えかけてくる。
たとえばこの本の著者は、このように問いかけている。
「こんな経験はないだろうか。古い写真を整理している時、懐かしい友人と撮った写真が出てきた。あなたは整理の手を止め、しばらく思い出にひたる。ちょうどその時電話がかかってきたので出ると、今手に持っている写真に写った友人の声が響いてきた・・・。」
又シンクロニシティに関しての説明文も、非常にシンプル簡潔で分かりやすい。
「“意味のある偶然=シンクロニシティ”は精神世界的な要素が加わらない限り起こり得ない。物質世界と精神世界がある一点で交差した時、シンクロニシティが起きる。」
このシンクロニシティという言葉は、心理学者のユングによる造語らしいが、相対性理論を発見したアインシュタインも一時シンクロニシティの研究に没頭していたようである。しかし、そのメカニズムを解明するまでには至らなかったという。
以前にご紹介した「人生の意味」という本でも全編に渡って、直感やシンクロニシティに耳を澄まして行動し、本当に幸せな人生を歩まれた方々の実例が盛り沢山にご紹介されている。
第6章「シンクロシティが人生の目的を明らかにする」の中で、著者のキャロル・アドリエンヌさんは「シンクロニシティはたんなる偶然の導きにすぎないように見えます。しかし、実際は宇宙が、人間が成長するために仕組んだものなのです。どんな人も自分の人生の目的を実現する方向に向かっていくことができます。だから、リラックスして、心を開き、人生の目的を実現するきっかけとなる出来事に気づかなくてはなりません。」と語られている。

20世紀から21世紀へと移り変わる激動の時期に、私もここ数年、忘れられないシンクロニシティに勇気づけられてきた。そして今年になって、このHPを立ち上げた経緯の中でも、思いがけないシンクロニシティに励まされたことにより、7月にHPをオープンすることが出来たのである。
5月の終り頃から、暇を見てはゆっくりゆっくりと楽しみながら作り出した自分のHPは、あまり誰かが見て下さるということもなくても、自分の人生の歩みをそのまま作っていけたら・・・という気持ちで作っていたのだが、あることがきっかけで、タイプ4(*注:エニアグラムのタイプは下記のNo.40を参照下さい)の引きこもりの迷路に入ってしまったのであった。その時私は、心の中で泣きながら「この作りかけたHPが、かえって人の心と溝を作ってしまうのなら、これを自分のために作り上げたところで一体何になるというのだろう・・・」と迷路の中で考えていた。
答えの出ない悲しみと焦りに包まれながら、私は天を仰いで問いかけ、夜遅くにパソコンを開いて作りかけのHPをひとり眺め、その後でいつものようにメールをチェックしたのである。すると、受け取ったメールの中に見慣れないアドレスが一通混じっていて、?と思いつつ開封してみると、そこには、昨年仕事で作ったHPで応援して下さった女性からの思いがけない言葉が待っていた。
彼女は、私が昨年の掲示板で最後にフルネームでカキコミしたときのアドレスを大切に保管して下さっていたようで、とっても温かくて優しいメールの中に、無邪気な言葉で「木村さんのHPってないのですか?」と尋ねて下さっていたのである。これからHPを作るならぜひ教えてほしいとのことであった。先ほどまで沈んだ悲しい気持ちで天に問いかけていた私は、このメールを読んだ時、「神さま、これがあなたの答えですか・・」と、差し込んできた光にもう一度目を開かされたような気持ちで、長い間じっとそのメールを見つめていた。その後、彼女とメールのやりとりでいつも心励まされながら、HPのオープンもご一緒に喜び合って頂いたのである。
そして今、BBSが始まってまる一ケ月と少し経ち、日々ここにカキコミ下さっている方々が贈って下さったものに又、心の底から驚かせられたのである。悲しみの向こうには、このような出会いと分かち合いが待っていた。これは、私にとって、ただただ驚きと喜びと感謝にあふれた新たな体験であった。
そして昨日から今日にかけて、「シンクロニシティ」に関してのことを、このめもに書きたいと思っていた間も、いくつかのシンクロニシティを感じて、ちょっとビックリしていたのである。
シンクロニシティを確かに実感するとき、「何か目に見えない糸で、人と人、人と宇宙がつながっている」という真実を少し垣間見ているように思う。つまるところ、シンクロニシティというものは、人の右脳や直感と密接に結びつき、魂や心の呼びかけをも原動力として、可能性に満ちた豊かな人生と地球の場を形づくるための、宇宙の意思からのプレゼントのようなものではないだろうか。
そしてシンクロニシティが起こるところには、それぞれの人生の豊かさとともに、人々や事象が出会うことによって、又新たなエネルギーの場が誕生し育っていく。
もし宇宙空間から、この地球に起こっている様々なシンクロニシティのエネルギーの場を見ることが出来たなら、どんなに素晴らしい色彩と模様が、刻々と美しく変化して波打っていることだろうかと思う。
この地上に暮らし、人として、又宇宙や地球とつながる純粋なエネルギーとして、今存在していることを思うとき、言葉では言い表せないような不思議な喜びを覚える。
そしてシンクロニシティがプレゼントしてくれるこの不思議な喜びとともに行動するとき、私たちは、3次元の人の姿のままに時空を超え、永遠の領域へと歩み出していくことだろう。




 No.40 エニアグラムの9つの幸福と可能性 2002/08/30

聖心女子大学教授の鈴木秀子さんが書かれたエニアグラム関係書に「9つの性格」「9つの性格に贈る言葉」「愛する人、愛される人の9つの性格」(PHP出版)などの本がある。
これらのエニアグラム関係書では、人間を9つの性格タイプに分けてあり、非常に奥深い洞察及び解説がなされている。エニアグラムも又、自分というものを知る手がかりの一つになると思うので、少しご紹介したいと思う。
まずエニアグラムの本の質問チェック表でおおよその自分のタイプを想定してから、それぞれのタイプ別の説明やメッセージを読んでみると、とても面白い。特に「9つの性格に贈る言葉」の中では、タイプ別の特徴・タイプ別の自己評価・私の良いところ・エピソード・幸せを導く言葉・心が安らぐ言葉などのコンテンツがあって、分かりやすく読みやすい。
そもそも『エニアグラム』いう言葉は、ギリシャ語で9を意味する「エネア」と、図の意味を持つ「グラム」の合成語で、「9つの点を持った図」という意味であるらしい。
こういう語源をもったエニアグラムは、およそ2000年前にアフガニスタン地方で発祥し、イスラム教スーフィー派へと受け継がれ、門外不出の秘伝とされて指導者から弟子へと代々口伝されていたそうである。その後、今世紀中頃に、米国の大学の心理学者を中心にエニアグラムという人間学の調査・研究が進められ、科学的にもその価値が認められてきている。
そして最近では、エニアグラムといえば、ビジネスの場での注目度も高まっていて、アメリカや日本の有名企業でも取り入れられ効果を上げていると聞く。
たとえば、私の場合は、このエニアグラムでいえば「タイプ4」であると思われる。
これは自分でチェックしたのであるが、主人から見ても「絶対4のタイプだね!」(笑)などと言われるのである。一方、主人はといえば、自他ともに「タイプ5」だと認めている。
ここで、エニアグラムの9つのタイプを簡潔に言い表した言葉を挙げたいと思う。
(「9つの性格に贈る言葉」より抜粋)

             ◆ タイプ1  謙虚で辛抱強く努力する人
             ◆ タイプ2  心こまやかな愛と友情の人
             ◆ タイプ3  上昇志向の強い行動の人
             ◆ タイプ4  感受性豊かで独創的な人
             ◆ タイプ5  状況に左右されず周囲を把握する人
             ◆ タイプ6  まじめで責任感がある信頼できる人
             ◆ タイプ7  屈託のない快活な人
             ◆ タイプ8  パワーあふれる正直な人
             ◆ タイプ9  人の気持ちを和ませるおだやかな人

これらのタイプの想定は、エニアグラムチェック表の質問に答えていくうちに、一番当てはまる数が多いものを絞っていくのだが、はっきりしにくくて少し迷う場合もあると思う。私の友人もエニアグラムに大変興味を持たれて自分で調べられていくうちに「5と9どちらもかなり多いけど、やっぱり総合的には9のタイプかな・・」と言われていた。
又、エニアグラムの解説では、それぞれのタイプのポジティブな点とネガティブな点が書かれていてとても参考になるのである。
たとえば、タイプ4はユニークな感性と高い共感能力を持つのだが、自尊心が低く引きこもりやすいという面がある。これは、私も以前に、自分の性格に深く悩んでいたことがあるのですごく納得できた。以前の私は、時折引きこもり気味になりやすく、又他人の悩みを聞いているうちに自分の方が気持ちが暗くなって窓から飛び降りそうになったり(笑)もしていたのだが、30代からの様々な経験と出会いによって、自分が傾きやすい性向を知ってからは、少しずつ理解も増し安定してきているように思う。
そして、タイプ別に、状態がよい時と悪い時に、どのタイプの方向へ向かうかという解説もあって、これが非常に面白い!のである。
例を挙げると、たとえばタイプ4は、ストレス時(ネガティブなとき)には、タイプ2の否定的な面に向かうと書かれている。その場合は、過度に依存的になり、認められることに執着したりする。
そして、安定時(ポジティブなとき)は、タイプ1の肯定的な面に向かう。その場合は、多くの問題に積極的になり実践性が高まり、地に足をつけて行動できるようになる。
私の場合も、本当に少しずつ少しずつなのだが、最近ようやく、この安定時のコツみたいなものが感覚的につかめるようになってきたのである。
ここではタイプ4の例を多く挙げたが、これもひとつのサンプル・実例として捉えて頂けたらとてもありがたい。
話は元に戻るが、エニアグラムの他に、数秘術の中にも、基本的な数として9つの数字が出てくるので、きっと9という数字が象徴する深淵な意味もあるのだろうと思う。
エニアグラムと違って生年月日から算出する数秘術の場合は、1から9までのライフナンバー(今生どんなエネルギーを持って生まれてきたのかを示唆する数字)のほかに、11・22・(33)というマスター数と呼ばれる数字もあって、こちらも又大変スピリチュアルで興味が尽きない。
これらのアイテムは、言わば自分を深く知るための多大なヒントを与えてくれるものであって、「私はこうなのよ、あなたはこうよ」と決めつけるためのものではないので、ハートがワクワクしながら有効に活用していくのがベストではないかと思う。
かつて私も性格に深く悩んだ時期があったが、今後はもっと自分や周りの人々をより一層深く知っていきたいと思っている。
そして、これらの知恵を3次元の中で実際的に活用しつつ、この自由な水瓶座時代をご縁のある方々と共に歩んでいけたら最高に幸せである。




 No.39 夢の扉 2002/08/27

朝起きてストーリーを覚えている夢や、おぼろげに輪郭だけが微かに残っている夢・・。
私はよく夢を見るほうだと思うのだが、ひとつ強烈な印象で忘れられない夢がある。
ちょうど今から10年前位のことだったと思う。
私は夢の中で、高校時代の木造の校舎の中にいた。
私の通っていた高校は、かつては学生運動がとても盛んであったそうだが、私の高校時代には
もうそんな面影もあまりなくて、風格のある門と、静かなひっそりとした廊下と、藤棚のある中庭が、校舎の歴史を物語っていた。
古いミシミシと鳴る階段や、七曲<ななまがり>の廊下と言われていた所なんかもあった。
もちろんコンクリートの校舎も増築されていたが、壁には蔦が這っていてとても雰囲気があった。
ある日の夢の中で、その静かな廊下を歩いていた私は、急に何かに追いかけられているような気がして走り出し、階段を駆け上って、小さな屋根裏部屋のようなところに出た。
実際には、校舎に屋根裏部屋のような所は無かったような気がするのだが、夢の中ではなぜかそうなっていて、私はその部屋に走って入ったのだった。
そして、狭い屋根裏部屋の奥の小さな木窓の扉を、夢中で思いっきり押した。
すると扉が開き、パァーーーッ!!と目もくらむほど太陽の眩い光が差しこんできた。
私は、その光のまぶしさで目が覚めてしまったのである。
そして目が冷めるまでの一瞬、窓から下を見たのだが、そこは地上より遥かに高いところなのであった。
この夢は、扉を開けたときの眩しさで目が覚めたせいもあって、とても強く印象に残っている。
あのときの夢の扉の向こうで、どんな世界が広がっていたのかな・・と思い出すときがある。




 No.38 鳥羽 〜白い羽ばたき〜 2002/08/26

先日、鳥羽の話が出ていたので、できたら夏の間に行きたいな〜とは思っていたのだが、昨日のお昼に、突如として今から鳥羽へ行こう!ということになった。
「えっ、今から?」「そう、電車は何時かな?」「インターネットで時刻調べて〜」ということで(笑)、
とにかく2時の特急に乗ろうと、バタバタと用意をして出かけた。
私と主人は(動物占いの5キャラの意思決定がふたりとも「ペガサス」のためか)よくこういう風に、その日になってからその日の行動を決めることも多い。したがって、バタバタと出かけてみた後で、「あ〜ぁ、あれを持ってくるんだった〜〜」なんて思うこともやっぱり多い(笑)。
そして、鳥羽は一見遠いような気もするが、実は特急に一時間半乗ると行けるのである。
鳥羽の駅に着くと3時半、ちょっとお腹がすいた私達は、伊勢・鳥羽名物の「伊勢うどん」でまず腹ごしらえをした。伊勢うどんは、もちもちとした極太うどんを釜揚げうどんにして、それに濃くて甘めのタレがかかっている。その上に刻みネギが少々。好みで七味をかけて食べる。非常にシンプルなうどんなのだが、これが何とも美味しい!のであった。
冷房がきいたところで伊勢うどんをホカホカ食べた後、坂手島という鳥羽の近くの小さな島へ行く船に乗った。船に乗るといっても、わずか10分足らずのことなのだが、夕陽に照らされた海を眺めながら潮風を受けるのは、やはりとても気持ちがいい。船が走っていく道筋に白い波が泡立つのも、見飽きない美しさである。
坂手島という小さな島に初めて訪れたのは、もう5〜6年前のことであった。鳥羽から船で訪れることのできる島は、他にも、海水浴場のある菅島やイルカ島、そして三島由紀夫の「潮騒」の舞台になった神島などが点在している。坂手島は、その島々の中で、鳥羽から一番近い島である。
この島の海岸線に沿って歩いていくと、小さな小さな砂浜になっている場所がある。初めて坂手島を訪れたときにその場所を見つけたのだが、以来、訪れたときには、そのミニミニ砂浜の波打ち際で遊んだり、夕陽を眺めたりしている。
昨日は、坂手島の子供達や地元の方々が、その砂浜の近くでバーベキューをしておられたのだが、太陽と潮風に焼けた子供達の笑顔と汗をかいて走る姿を見て、何だかとても懐かしいような気持ちになった。そして夕陽に輝く海では、ウォータースポーツに興じておられる光景や、丸い「浮き」に止まっている大きな鳥の姿もあった。
ここで主人と少し話していたのだが、やっぱり高野山に住むのと海のそばに住むのとでは、日常感覚や生理的な感覚もかなり違うのではないかと思う。どちらもそれぞれの魅力が沢山あるが、なんとなくその土地の環境と場のエネルギーの影響力というものをあらためて感じたのであった。
坂手島から鳥羽に戻ると、駅の周辺で自宅用におつまみのお土産を少し買ってから、「まるよし」という海の幸の美味しい小さなお店へと歩いていった。
鳥羽の本に紹介されていたこのお店は、カウンターが8席ほどと座敷が3つほどのこじんまりとしたお店で、旬のとれとれの鳥羽の海の幸が頂けるところである。5〜6年位前に初めて訪れて以来、このお店に年に一度(昨年は行けなかったのだが)訪れることをとても楽しみにしている。
いつもこちらに来ると、まず殻付きのうにを頂く。最初の年にこの「うに」を頂いたとき、雨で身体がとても冷えていたのだが、うにを食したとたんに、足までぽかぽかと温まってきて驚いたことがあった。ここのうには注文を聞いてから殻を二つに割って出されるのだが、あまりに新鮮で動いているほどなので、思わず心の内で「ありがとうございます!!」と唱えて頂いてしまうのであった。うにの他には、あわびやとこぶしやさざえ、旬のお魚のお刺身各種、たこやかれいの天ぷら、魚介類の串揚げや煮つけ、その他ご飯ものも充実していて、お手頃な価格である。そして非常にアットホームな雰囲気ながら、まるよしさんの大将のぴりっとした掛け声に、いつも海の町の心意気を感じてしまう。
まるよしさんの大将のお顔は、どことなく少し私の実家の父と似ている。それで、もしこのお店に父も一緒に訪れたらどうだろうね〜〜と笑いながら主人と話をしていた。(父とはすごくケンカしたり又仲直りしたりで、ちょっと変な?間柄なのだが、又の機会にいろいろ書きたいと思う。)
大将は、カウンターのお客さんにあわびの性別の説明をされたり、アルバイトさんらしき若い衆がミスをしたら厳しく注意されたり(笑)されていたが、お勘定のとき「ホントに美味しかったです。ごちそうさまでした!!」と主人と私が言うと、格別の笑顔を見せて下さった。そして、預けていた鞄を持ってきてくれた若い衆にも笑顔で挨拶をして「まるよし」さんを後にした。
そして帰りの電車では、あまりにお腹も一杯で、ふたりとも心地良くぼんやりと眠くなってしまった。
また来年も鳥羽を訪れることが出来たら、小さな島の人々もまるよしさんの大将もお元気でお会いしたいなと思う。しかし最近は紫外線の問題もあって、年々海水浴客が減っていっているとのことで、鳥羽の町もなんとなく活気がないようで少し寂しく思う。けれども海辺の町は、やはり生命の源に近いように感じる。海という母体に包まれ、打ち寄せる波の揺りかごに揺られながら、長い長い連綿とした生命の繋がりの中で人々も又生きている。
そしてこの鳥羽の町にも、新しい21世紀はそっと訪れているのではないかと思う。特急の窓からぼんやりと夜空を見上げると、白い鳥が大きく羽ばたいて飛び立つような、そんなイメージがふと横切ったような気がした。




 No.37 満月 2002/08/23

今夜は満月。そして月は、魚座を通過している(23日から25まで)ところである。
私が月に深く関心を持ったのはまだ数年前からのことだが、それ以前に、星占いで「月の星座」というものを知って以来、月に興味を持ち始めていた。
月の星座というのは、人の潜在意識・感情を反映していると言われる。
よく「あなたの星座って何?」と聞くときは、ほとんど出生時の太陽の星座の位置を聞いているのであって、月の星座のことは未だにそんなにポピュラーではないと思う。だからもし「わたし、太陽は獅子座で、月は天秤座なのよ〜♪」なんて答えたら、たぶんちょっと驚かれてしまうだろう。
私が月に関心が深まってから、少しずつ買い求めた月関連の本の中で、特に気に入っているものをここで少しご紹介したい。
まず「月の癒し」(ヨハンナ・パウンガー&トーマス・ポッペ著 小川捷子訳)では、チロル地方に代々言い伝えられてきた『月のリズム』とともに気持ちよく生活する方法を様々な角度から紹介されている。ハーブなどの薬草学、月の星座が支配する身体の各部位、食事や美容、風水に至るまで、穏やかな静かな口調で詳細に語られている。
この「月の癒し」の本は、1993年にドイツで出版されて以来、大きな宣伝もなしに口コミだけで評判が広まり、発売後4年間で、300万部を超えるロングセラーとなっているそうだ。
そして「月の魔法」(ロリー・リード著 ユール洋子訳)、この本では、月にまつわる神話の女神たちのお話に始まって、満月の夜に起こりやすい犯罪の調査や、月の星座の詳しい性格・ライフスタイル・対人関係・パートナーとの相性や、ビジネスにおける最強のタイミングをつかむムーン・ガイドまで、大変興味深い内容が盛りだくさんに書かれている。
そしてもう一冊「ムーンカレンダー」は、天体周期研究家であり「マヤンカレンダー」の著者の高橋徹さんが書かれた、月の28相をカレンダー形式で示された本である。この本の使い方はとてもユニークで、まず「今日は、月の相でいうと何の日?」「今年の月の相は何?」ということと「私やあの人の月の相は何?」「月の相からみた相性は?」ということが月相表から調べられる。
この本では、「月の相」を、例えば『農夫』『未亡人』『乳母』『民俗学者』『職人』『興行師』『川守り』などといったキャラクターで表現されていて、そのイメージイラストも非常にユニークで大変面白い。この詩的なインスピレーション溢れる月の相の名前は、高橋徹さんの共同研究者でもある奥様の高橋いずみさんが名づけられたそうである。この「ムーンカレンダー」の本は、「本当の自分を知る」ことと「流れに乗る」ことに焦点を当て、月の相の変化から人生のヒントを多く得るように作られているのである。
今日少しご紹介したこれらの本には、“人の身体・感情・性格に深く影響を及ぼしている月のリズムを知り、本来の自然の流れに乗って暮らしてみよう”ということが共通して語られている。
しかし、現代的な生活の中では、これらの素晴らしい知識と処方箋を充分に活用していくのは中々困難であるように思う。しかし、読んでいて興味の湧いた簡単なことから、少しずつ馴染んで取り入れていくのは結構楽しいものであると思う。
私は、月に興味を持った数年前ぐらいから、いつも満月に近づくにつれてエネルギーが高揚しているような胸苦しさを感じていたのだが、月の書籍を読んでからは、そのときの月の星座や月の相にあった暮らし方を少し意識して、自然な流れに乗るようにと思っている。
奈良に越してきてからは月夜があまりに美しいので、よく夜中にベランダから月を眺めてしまうのであるが、満月が近づくにつれ、煌々と浮かび上がる月の光をひととき眺めていると、意識がスーっと引き込まれていくような感覚を覚える。これはちょっと危ないような気もする(笑)が、月の光と引力が、やはり潜在意識のような奥深いところで作用しているように思う。
満月に照らされた夜、ちょうど真昼と夜の暗闇の中間のような、白い静謐な光が降りそそぐ道を歩いていた時、見慣れた場所なのに、いつもとは全く違う空間にいるように感じたこともあった。
この地球は、太陽に照らされ、月に照らされ、日々光と影が交錯する多彩な豊かな表情をみせてくれている。そして、それはまるで人の心と相似形のようだ。
満月の今宵、月の光を浴びた地球と人々は、何を夢見て眠るのだろうか。




 No.36 「じいじとばあばからの小さな贈り物」 2002/08/22

一昨日、主人が「HP、niftyのVippiesに登録を申し込んだら?」と言うので、やっぱりそういう努力もしたほうがよいと思い、Vippiesの個人ホームページ案内を見てみたのである。
そこで、どのジャンルに登録したらいいのか?と迷っていたのだが、とりあえず「日記」のところを見てみると、登録されている方々のHPが沢山ご紹介されていた。
その中で、『パソコンがくれた夢と希望 じいじとばあばからの小さな贈り物』というHPの名前に惹きつけられたので、ちょっとサイトにお邪魔してみた。
HPにアクセスしてみると、トップページの「ばあば新作」と書かれたパソコン水彩画の優しいタッチと色合いに思わず「いいなぁ〜!」と思い、じいじさんとばあばさんの手描きアイコンのアニメを見た時、まるで「おかえり〜」と言われているような、ふるさとに帰ってきたような安らぎを覚えた。
私は、この時点ですでにVippies登録の用事を忘れ果てていて(笑)、じいじさんとばあばさんの世界に出会った喜びに浸っていたのである。
この「じいじとばあばからの小さな贈り物」のHPの作者は、じいじさんとばあばさんのご夫妻で、丁度私の親の世代の方々で、最近になってパソコンを使われるようになったそうである。
じいじさんが創作童話を書かれて、ばあばさんがパソコン水彩画を描かれている。
元々昔話や童話も大好きな私は、早速じいじさんの創作童話のページを拝見させて頂いたのたが、「一粒の豆」というお話を読んでいるうちに、ほろりほろりと涙が出てきてしまった。優しく奥深いお話で、最近いろいろ考えていたことともシンクロナイズしていたので、とても心に響いてきたのである。そしてゲストブックにも沢山の方々がじいじさんとばあばさんにカキコミをされていたので、私も思わず感想を書きこませて頂いた。
又、HPの副題の「パソコンがくれた夢と希望」という言葉が、何かまた新たな可能性を感じさせて下さって、私もとても励まされる思いであった。
心地良い感動の涙でカキコしていた私なのだが、しかしハッと気づくと時間がかなり過ぎ去っていて(笑)、そのときはVippies申し込みを出来ずじまいであった。
私はなぜかいつもすぐ横道にそれる傾向があり、よく本来の用事が中々出来なかったりするのだが、その日の夜遅くに、一応なんとか登録申し込みも済ましたのであった(^^)。

☆じいじさんとばあばさんの創作童話とパソコン水彩画の世界にぜひ一度包まれてくださいね♪
  http://homepage2.nifty.com/kweb/new/




 No.35 姫乃宮亜美さんと山本芳久さん 2002/08/21

アネモネという雑誌を知っておられる方なら、このお二方のお名前は既にご存知だと思うが、私もとっても大ファンなのである。
聖母意識からのメッセージを、温かい愛のあふれた優しくわかりやすい言葉でお伝えされていらっしゃる姫乃宮亜美さん。
以前、アネモネに連載されていた姫乃宮亜美さんのエッセイを読むたびに、書かれている言葉がなぜこんなにもスーッと心に沁みいるように入ってくるのだろう・・と思ったのが第一印象であった。
その後、姫乃宮さんの著書の『聖なる母性より愛をこめて』を読んだときには、どれだけ頷きどれだけ心から共感させて頂いたか・・繰り返し繰り返し読んでも、尽きることのない感動がこみあげてくるのである。
姫乃宮さんは聖母意識からのメッセージを優しい言葉でお伝えされながら、それをいつも自らの生きる姿勢で顕されてこられたように思う。そのプロセスの中で磨かれ培われた真摯な祈りの姿は、暮らす場は違えど同じ道を歩く方々を心底励まして下さっている。
昨年(2001年)の2月、私は初めて姫乃宮亜美さんのセミナー「エナジートーク会」に参加することが出来た。大阪の会場のホテルには、約50〜60名の方々(95%は女性の方々で、僧侶の方など数名の男性が参加しておられた)が静かに着席され、姫乃宮さんのお話が始まった。
初めてお会いする姫乃宮さんはやはりとても美しい方であったが、なによりそのエナジトーク会が始まって私が驚いたのは、そのホテルの室内に、細い霧雨のような穏やかな優しいエネルギーが降ってきたことであった。微細なエネルギーの霧雨がさやさやと私の髪や肩にも降ってきていて、じ〜んわりと優しく身体がほどけていくような心地良さであった。私は「エナジートーク会って本当にそうなんだな〜〜」とあらためて感じ入っていたのであった。
心と魂が温かく優しく包まれるようなエナジトークの後には、姫乃宮さんの本または色紙に、参加者ひとりひとりにメッセージを書いてくださるという企画があったので、私も持参した愛読書を手に列に並び、ドキドキしながら(笑)順番を待った。
待っている間には、ご一緒に列に並んでいる方と少しお話したり、「姫乃宮さんに何てご挨拶しよう〜?」と考えていたのだが、自分の順番が回ってきたときには、急に頭の中が真っ白になってしまった。しかし姫乃宮さんが会釈して下さって、すぐにメッセージを書き出して下さったのであったが、それはなんとなく聖母意識とつながった状態で書かれているような印象であった。
私はといえば、なんともいえない穏やかな幸せな気持ちで姫乃宮さんがペンを動かされているのをじっと拝見していたのだが、姫乃宮さんが小さく頷かれてメッセージを書き終えてくださったようなので、視線を移してそのメッセージの言葉を目にした瞬間、自分でも信じられないほどの涙が身体の奥底から溢れだして止まらなくなってしまったのである。
その後、あまりに涙が止まらなくて、電車に乗るのも一苦労したのだが(笑)、こんなに泣いたのは生まれて初めてだったように思う。
そして、姫乃宮さんが伝えてくださった聖母意識からのメッセージが、今までの人生の心の痛みや悲しみを涙で洗い清めて下さったように感じたのであった。
姫乃宮さんとの出会いに心と魂から感謝した、涙と癒しの一日であった。

そして、私と同じ1963年生まれで、少年のような笑顔のエネルギーワーカー山本芳久さん。
私はまだお会いしたことはないのだが、三輪山や吉野などでもワークを企画されていらっしゃるので、ぜひ一度参加してみたいと思い、以前FAXで問い合わせてみたところ、すぐに折り返しお電話を下さって少しお話させて頂いたことがあった。とても気さくな親切な方で、思いがけずお話できて嬉しく思ったのである。
アネモネの8月号にも、山本芳久さんのインタビュー記事が掲載されていたが、非常に奥深いことをシンプルにおっしゃっていて、とても感慨深く読ませて頂いた。
山本さんは土地のエネルギーワークに力を入れておられるのだが、「人も土地も根本は同じなんです。」と書かれていて、これは又、「人間関係」や「子育て」や「経営のコンサルティング」・「人財育成」などに通じるものがあると思う。
そこで、アネモネから、山本さんの言葉をもう少し引用させて頂きたい。
「(エネルギーが低いと言われている土地で・・)そこで僕は、意識の中で『そんなことはない。この土地はどこも素晴らしい。すべて完璧ではないか』と言ってあげるんです。すると、その瞬間に土地が変わります。そして「あぁ、わかってくれたんだ」と土地が開いてくれるのです。・・・・中略・・・・その人の中に『無限なる力』があることを見て差し上げるということですね。癒しがもう必要ないというのは、そういう意味です。さらに別な表現をすると、その人の神の部分を見て差し上げるということではないでしょうか・・・。」
山本芳久さんのワークは、この秋から冬にかけても日本や世界各地で行われる予定だが、私も、できることなら今年中にぜひ一度、参加させて頂きたいと願っている。

姫乃宮亜美さんと山本芳久さん、21世紀ますますのご活躍を心よりお祈りしています☆☆




 No.34 人生の意味 2002/08/19

はたして人生というものに意味や目的があるのか?という問いについての様々な議論がある。
私も、船井先生の本やスピリチュアルな本を読むにつれ、又、自分の人生の体験を通していろいろ考えてきて、今の時点で思うことがある。
元々、究極の状況対応型の新月グループの私は、自ら人生の目標・目的を持つということが出来にくい性格であるように感じていたのだが、そんな私にも運命の流れはやってきて、いつも、その時その場で感じたことを表現・行動してきたように思う。
3年ほど前に、私は船井総研の取締役のM先生とご縁を頂いたのだが、そのきっかけになったのは、ある時、仕事仲間の方が貸して下さったM先生の一冊のビジネス書であった。
なにげなくそのビジネス書のページをめくっていると、最後のページに「チラシを送って下さればアドバイスします」と書かれていて、その時、なぜかその文字が光って見えて「ここに送らなければならない」とハッキリと感じたのであった。それで、私が作っていたチラシを送ったのだが、その1ケ月後にM先生が空港からお電話を下さり、勉強会に呼んで下さったという経緯があった。
その後、若手のコンサルタントの方とクライアントの会社に同行させて頂いたり等々、本当にいろいろと修行させて頂き、M先生の人間味溢れる温かいご指導は今も私の心の支えとなっている。
しかし、こういった出会いはまさか10年前には全く予想すら出来なかったので、私の場合などは、人生の目標・目的も、そういう流れとともに徐々に姿を現してくるのではないかと思っている。
そしてコンサルタントの方と同行した体験でも、自分にとってとても面白い発見があった。
会社に到着し、コンサルタントの方がクライアントの社長様に挨拶なさって、それとなく私のこともご紹介して下さるのだが、最初、相手の社長様も私も、全くお互いのことが分からないし、非常に間が悪い感じ(笑)なのであった。
それで、私はまず白紙の状態になり、それから意味もなく相手に微笑みかけた。
相手にどう思われるかわからないが、これは私としては「はじめまして!なぜか今日、私はここであなたとお会いする運命になったのですが、どうぞよろしく♪」というニュアンスなのである。
とにかく、コンサルティングなどという用事は一旦忘れて(爆)、まず白紙の心になることによって、相手の心境・思い・状態が感じ取れてくるように思う。私は勝手にこうしていたのだが、これはフラワーエッセンスの本にも、アチューメント(意識の波長を合わせる)という言葉で書いてあった。
そして良好なアチューメント状態にあるときには、話もはずみ、なぜかいろいろとアイディアも思いつきやすいのである。
そういう経験を通して、一見非常に現実的でビジネス的なことも、本当はそうじゃないのではないか、もっと心と直感を大切にしてクリエイティブにやっていくことは可能なのではないかということに気づかされたのであった。
そして、人生に意味や目的があることを望むのも望まないのも、人間は、それも又選択することができる存在ではないかと思う。
人生の道を歩いている途中で、心がどうしても指し示して行きたい場所が出てくるごとに、目的が生まれ、その後から意味も追いかけてくるのかもしれない・・。
それと私の愛読書の一冊に、「人生の意味」(キャロル・アドリエンヌ著 住友進訳 主婦の友社)というストレートな題名の本があって、これは特におすすめしたい素晴らしい本である。
著者は、この本のなかで自らの人生の体験と多くの方々の事例を上げて、私達を励まし、意識の進化を促して下さっている。
人生の意味・・・このテーマはとても深いものがあるので、又時々、その都度、感じたことを書いてみたいと思う。




 No.33 心の歌 2002/08/17

今日は、主人の両親と一緒に、ホテルの中華料理バイキングを食べに行って、その後に、久々にカラオケBOXにも行ってきた。
昨日から、お父さんが中華料理の案に反対されていたのだが、食事の後で一緒にカラオケに行くことを強調して説得し(笑)、無事4人で楽しく食事に行くことが出来た。
カラオケBOXでは、美声のお父さんも堀内孝雄さんの歌などを思う存分歌われて「今日はよく眠れるよ」と楽しまれていたので良かった〜。お母さんは普段はあまり歌われないのだが、時々皆のリクエストに応えて、一生懸命歌って下さる。
主人のレパートリーは、サザンをメインに、山下達郎さんとか槙原さんなど。時々、趣味に走った英語の歌も歌ったり、北島さぶちゃんなんかも歌ったりする。
私は、中森明菜さんと竹内まりあさんや、椎名林檎さんとかglobeとかkiroroなど。
時々、石川さゆりさんの演歌も唄って、宇多田ヒカルさんにもチャレンジしてみたり(笑)している。
しかし最近は、ほとんど歌を覚えていなかったので、行きの車の中で、新曲(といっても、ホントは全然巷では新しくない曲なのだが・・・(^^ゞ)をちょっとだけ練習していたのだが、カラオケで歌ってみると、まだちゃんと歌えなかった。
(TVを見ていないので、歌を覚えるときは、CDをレンタルして憶えているのであった〜)
今まで、よく仕事仲間の方々や友人・知人や両親達とカラオケでも歌ってきたが、久しぶりに会っても、一緒に歌を歌うと、なぜか相手の今の心境がじーんと伝わってくるような気がする。
カラオケなんて・・・と言われる方もおられるが、カラオケの歌でも、やっぱり何かしら伝わってくるものはあるように思う。
仕事仲間と一緒に手をつないで歌ったり、思いがけない歌を聞いて驚いたり感動したり、5人で7時間も歌ったこともあったり(笑)・・・沢山の思い出がある。
今日ほんのちょっと練習して、まだちゃんと歌えないのだが、工藤静香さんのmapleの歌詞がよかったので一部を抜粋させて頂きたい。

♪ 七 色 し た 花 び ら が   こ の 空 に 舞 い 上 が り
   同 じ 花 を 手 の ひ ら に   求 め て あ な た と 出 逢 っ た




 No.32 家族も友人?大討論会! 2002/08/16

昨日、実家の母のことを書いたので、主人の両親のこともご紹介してみたい。
主人の両親は、5年ほど前に横浜から奈良に永住を決めて引越ししてこられて、私達の家から車で30分ほどのところの、緑に囲まれた住宅地に住んでおられる。奈良も土地の方々が多いところなのだが、両親ともとても社交的なので、すぐに馴染んでしまわれてお友達も沢山できたようで、私達もほっとして喜んでいる。
主人のお母さんは、水瓶座のB型で、竹を割ったようなサッパリとした性格。動物占いはというと(笑)ペガサスで、これまた自由なフィーリングの方なのである。しし座でO型でたぬきの私とは、特に奈良に越してこられていつも身近に接しているうちにどんどん仲良くなって、よくお揃いの家着などをプレゼントしあって楽しんでいる。
主人のお父さんは、天秤座のA型(私の実家の母も同じ)で、動物占いはトラ。
お父さんは、いつお会いしても「よっ!なるちゃん、元気ですかっ!」なんて笑って挨拶して下さるとても気さくな方なのだが、政治や経済や世の中のお話になると盛り上がりすぎて激昂されるときもあって、そんなとき主人やお母さんはサーーっと引いてしまわれるのである(^^ゞ。そしてなぜか私に話が振られてくるので、「えっ、お父さん・・それはちょっとお言葉ですけど、こうなんじゃあないですかね〜〜」なんてしゃあしゃあと口を差しはさんでしまう私なのだが、そうするとお父さんは、かえって余計にお話が盛り上がってしまわれるのであった。
今まで、お父さんとお母さんが奈良に来られてから、春夏秋冬いろんな所やお店に4人で出かけていって、本当に沢山いろんなお話をしたのだが、時にそれは大討論会みたいになってきて、熱血に盛り上がったりしているのであった。
こうして4人でいろんな話題を語り合って意見しあったりしていると(時々お父さんがすごく脱線されるので、少し気まずくなるときもあるのだが・・・笑)、ほとんど家族というよりも、親友同士という雰囲気であって、不思議な気持ちになるときがある。
お父さんとお母さんは、私達が来ると、いつもよりお互いに話しやすいらしいので、ちょっとばかり刺激にもなっているのかもと思うととても嬉しい。
しかし、自由なペガサスのお母さんと毅然としたトラのお父さんは、よく衝突されるので、かなりヒヤヒヤするときもあるのであった。私と主人などは、どちらも血液型もO型でまるで男同士みたいな面もあって、仕事のことなどでも私が特にバシッと言ってしまったりして(笑)しょっちゅうケンカもしているのだが、主人のお父さんとお母さんの場合は、古典的な男性と女性の言い分の違い・・・という感じなので、う〜んこれは難しい・・と思ってしまうのである。
しかし、笑ったり泣いたりしながら、いろんなことを話して関わり合っていくごとに、親しみはどんどん増していくので、やっぱり家族も友人もそういうところは一緒ではないかと思う。
ただ、家族の場合はしがらみみたいなのが出来てしまうときもあるが、それもまた越えていくと、今までよく知っているように思っていた人の又新たな顔が見えてくるように思う。
そして、実は明日、主人の両親とお食事に行こうという話になっているのだが、ちょっとお父さんとお母さんの意見が合わずに、ただ今調停中(笑)なのである。
さて、明日はどうなりますことやら〜〜〜〜(^^) 
どうぞ皆さまも楽しい休日をお過ごしください!!




 No.31 柔らかい手 2002/08/15

今はお盆休みの方々も多いと思うが、主人が自然食品や生協の業界に入ってからは、宅配業務のためにゴールデンウィークやお盆休みはないので、先日の13日には、私の実家の母とふたりでお墓参りをしてきた。
母と少し久々に会ったので、お互いの話をなんだかんだとしているうちに時間がたってしまったのだが、一緒に山手の方まで歩いて行ってお墓を参った。
母は、私と一緒にいる時は、まるで子供のように「あれは何の花?」とか「これはどうするの?」とか聞くのだが、その一方で、暑くないかとか寒くないかとか蚊に刺されるんじゃないか・・とやたらと心配してくれるのである。
それで、いったいこの人は、私の母なのか、それとも私の娘なのか(笑)とか思ってしまうことがよくあるのだが、いつごろからか、そんなこともどうでもよくなってきて、一緒に笑い合えるひとときを幸せに思う。
帰り際になって、父が早く帰宅したので、母は、わ〜夕食を作らなくちゃ〜と大変あわてていたのだが、それでも私を駅まで送ると言ってきかないので、素直に送ってもらった。
実家と私の自宅とは1時間ほどで行ける距離にもかかわらず、駅まで送ってくれた母と私は「またね〜!気をつけてね〜!」と10回ほど繰り返し言い合い(笑)、しっかりと握手までしてしまうのである。
握手した母の手は、まるで骨などないように柔らかくて小さい。
そのほわほわとした柔らかい手をぎゅっと握って、元気の交流をした一日であった。




 No.30 高野山♪旅日記  <追記> 2002/08/14

奥の院の入り口の一の橋のところからは、道が二手に分かれていて、その一方の道の途中に、影観音さまという石仏が鎮座されていた。
それを見たときに、ふと「お蔭様」と呼ばれている神様のことを思い出した。
以前に不思議研究所の森田健さんが書かれていたのだが、お蔭様という神様は、私達が笑っているときには一緒に笑って喜ばれながら、私達が涙を流しているときには一緒に涙を流して見守り続けながら、いつのときもずっとずっと側にいて下さるような母性的な神様である。
又、リンクのページでもご紹介させて頂いた自然写真家の中村滋さんの「観音様」という写真を拝見したときも、やっぱりこのお蔭様という神様を思い出した。
高野山で出合った影観音さまは、母性的な優しさとふくよかさとともに、なんとなく軽やかな少年のような雰囲気もあって、とても印象深かった。
影観音さまの足元には、石板に言葉が彫られていて、「この世は儚い・・」と憂いの言葉で始まっているのだが、最後には「野に咲く花となれ・・」と締めくくられていた。
私は奥の院の石畳の脇に立ち、朝の光に照らされた柔和な影観音さまを見つめて、静かに手を合わせて祈った。




 No.29 高野山♪旅日記  <後編> 2002/08/12

到着した日は、少しうす曇りで霧雨も降っていたのだが、二日目は晴れて、気持ちよく奥の院に向かった。少し出発時間が遅くなってしまったので、奥の院参道にはもうすでに人がいっぱいである。お盆なので家族連れの方々もとても多く、大学生さんみたいな一人旅の方や、ご年配の方々がバスで来られているご一行様や外国人の方々・・ほんとに沢山の人々が高野山に訪れられている。夏の高野山は涼しくて過ごしやすいので、避暑といった感じもあって、一年のうちでは一番訪れる人が多い。
奥の院の参道は、樹齢何百年の大木がそびえ立ち、歩いているだけで森林浴である。特別母樹林と呼ばれている樹齢200年〜600年の樹々がそれこそ何百本あるのかわからないが、このようなところを歩いていると、神聖な樹木の霊気が漂ってきて、本当に清々しい気持ちになる。
沢山のお墓がずっと参道の脇に続いているのだが、そのお墓も、これらの樹木に包み込まれ守られているような感じだ。そして皆、お墓の名前なども見ながら歩いていて、徳川家とかのお家から近年の有名な会社のお家など、様々な名前が並んでいる。
お天気が良い日に奥の院の道を歩いていると、なんとも涼しく心地良い風が吹いてきて、光と影がゆらゆらと道を照らし、樹木の緑と苔むした石と雑草がキラキラと眩しい。しばし時間も忘れて、ゆっくりと石畳の参道を歩いていく。私にとって、高野山の一番の魅力は、この奥の院散策なのである。
奥の院の御廟に辿り着くと、写真撮影などは禁止と書かれた札が立っていて、より神聖な域に入っていくような神妙な気持ちになる。沢山の人々が頭を深々と下げて拝まれている。小さなお子さんも、両親に手を引かれて、この奥の院まで歩かれている。けれども、なんとなく信仰・・というよりは、ご家族そろっての行事という雰囲気で、とてもアットホームで和やかなのである。
ただ、ここでは、読経やお参りが毎日の普通のことであって、それが生活の基本なので、いくら読経したりお参りしたりしていても、ヘンということは全くないのである。でも、そういうところがやはり浮世離れした気持ちになるので、もし高野山に一週間宿泊していたら、ちょっと記憶喪失のよーになりそうな気もしたのであった(笑)。
奥の院から戻り、お昼ご飯も食べて、主人の携帯に電話すると、丁度もう近くまで来ていたようで、私が道を歩いていると、ぴったりと見つけてくれて合流できた。
二泊目の宿坊は、清浄心院(しょうじょうしんいん)さんというお寺。
まだ時間が早かったので、お部屋に荷物だけ置かせていただき、高野山大師教会へと向かった。ここでは、写経体験と瞑想体験が行われていて、私は、一昨年瞑想体験(御授戒・・・おじゅかい)に参加してみたのだが、今回は主人と共に参加した。瞑想体験といっても、本当に瞑想するという感じではなくて、読経の後、阿闍梨(あじゃり)様がお守りを授けてくださるというものであった。朝9時頃より、一日6回くらい行われていて、私たちは最後の4時の御授戒に参加したのだが、私達のほかに7人位の方々がいらっしゃった。高野山大師教会の建物やお庭はすごく広々としていて爽やかであった。
その後、少し金剛峰寺付近を見学したのち、5時半から夕食とのことだったので、宿坊に帰った。
こちらの清浄心院さんは、弘法大師さまが開いたといわれる山内のお寺の中でも特に歴史のある寺院でだそうで、門前の清々しさもさることながら、一階のお部屋から眺めるお庭の風情は筆舌しがたく素晴らしかった。小さな池の周りには、自然の草花や木々が美しく彩り、竹の筒から流れる水の音がずっと聞こえてくる。主人はというと、そんな水音を聞きながら、心地良い涼しい風に吹かれて、早速畳にごろんとねそべっていたのであった(笑)。
清浄心院さんの精進料理は、シンプルな中にも、歴史のあるお寺の趣が感じられ、野菜の煮物やお味噌汁がとても美味しかった。そして自然の風に吹かれて、お庭を見ながらの食事は本当にありがたく感じた。
夕食後には、お風呂に入ったのだが、だんだんと風が冷えてきたので、急いで上がってきた。
夜になるにつれて、涼しい〜(^。^)から寒〜い・・(^_^;)に変わってきてしまい(笑)、とても8月だとは思えなくなってきた。そして、水の音を聴きながら、夏の蒸し暑さとは無縁の涼し過ぎる部屋で寝ていると、どんどん現実離れして幽玄の世界に迷い込みそうになり、「ここは一体どこなんでしょう〜〜〜」という感じであった。
この清浄心院さんのお部屋は、重厚な絵の描かれた襖と障子で仕切られているのだが、もちろん鍵は付いていないので、女性がひとりで宿泊する場合にはちょっと心細いかもしれないと思う。蓮華院さんや成福院さんは、お部屋が壁で仕切られているので、そういう意味では現代的であると思われる。私もひとり旅で泊まる場合は、やはりなんとなく個室のほうが安心する。
しかし、とにかく、この風情あるお庭と幽玄の世界を体験されたい方には、清浄心院さんはおすすめである。そして、清浄心院さんからは、奥の院はすぐ近くなので、朝の散策もすぐ行けるのであった。
翌朝は6時より勤行が始まり、宿泊者も沢山集まってこられていた。清浄心院さんの勤行は、僧侶の方々が横にずらっと並ばれて読経されるスタイルで、歴史のある古寺らしいしみじみとしたものであった。読経のあとには、又、お庭を眺めながら朝食を頂き、この清々しい寺院を後にして、朝9時頃から、主人とともに奥の院参道を歩いた。
主人とは、一昨年に、天徳院というお寺でお昼時に精進料理を頂いたことがあって、その後に一緒に奥の院を歩いたことがあったのだが、宿泊して翌朝から奥の院を歩くのは初めてで、とても清々しい気分になり「来てよかった・・!」と言っていた。
奥の院の参道は、一の橋から弘法大師御廟まで往復約一時間半ほどで、散歩するのにもちょうどいい距離である。又、一の橋のところまで戻ってきて、お昼までに時間があったので、近くのお土産店を見て、その後、大好きな「笹巻きあんぷ」のお店にも行って、両親にお土産を買った。笹巻きあんぷは、モチモチとしたヨモギ麩の中に、あんがはいっている和菓子のようなもので、あっさりしていてとても美味しいのである。
そうこうしていても、まだ11時半だったのだが、もうお腹もすいたので、今度は釜飯のつくも食堂というお店に入って、お昼ご飯を食べた。地鶏釜飯・山菜釜飯などがあって、ごまどうふやお味噌汁が付いている。高野山に来ると、毎日やたらと、ごまどうふを食べることになるのだが、元々とても好きなので、いくら食べてもあまり食べ厭きないでいた。(その上、自宅用に、ごまどうふのお土産まで買ってしまった(^^ゞ)
そして少し散策をして、そろそろ帰ろうと思ったのだが、地図に載っていた「高野槙の湯温泉」というのが結構近そうだったので、車でちょっと寄ってみることにして向かったのはいいが、途中やたらと「落石注意」と書いてあって、とてもヒヤヒヤとした。鄙びたシンプルな温泉であったが、お湯が気持ちよくて、湯から上がると急に眠くなってしまった。
この槙の湯温泉を後にして、高野山の大門のところまで戻り、カーブの多いクネクネとした道路を走って帰路についた。下界へと戻っていく道の対向には、これから高野山へと向かう車が後から後からひっきりなしに続いていて、「もしかして高野山ってメジャー?」などと感心してしまった。きっとお盆前だからなのだと思うが、その中には、バイクの人達もいて、なんと!!自転車で登ってこられている人もいて、とても驚いた。でも、たしか一昨年も、自転車を漕いでいる人を見かけた記憶があるので、そういう命知らずな凄い方・・もおられるのである。
その後、私が、クネクネした道のせいで少し気分が悪くなりかけたり、だんだん気温が高くなってきて、モウレツな眠気におそわれて意識を失いかけたりした(笑)ので、お土産を渡しに主人の実家にも寄れないままに、とにかく帰宅したのであった。(車を運転して帰ってくれた主人に感謝♪)

私は、いつも高野山にくるとハイになり、すごく元気に歩き回ってしまう。どこかに泊まると、少し神経質なところがある私はそんなによくは眠れないのだが、それでも、勤行と奥の院と精進料理がとても好きなので、なんだかルンルンとしてしまうのであった。
非常に自分勝手な楽しみ方なのだが、こういうのもいいのではないかと思う。
昨年の夏は、仕事が忙しくて、高野山どころではなかったのだが、今年の夏は又再び訪れることができて、感慨深いものがあった。
しかし、高野山というのは、ひとつの完成された宗教都市であるが、これからどうなっていくのだろうかと少し考えていた。今回訪れた成福院さんの勤行体験でも感じるところがあったのだが、宗教のみの枠に囚われない感性を持った人がやはり出てきていて、新しい融合が始まってきているようにも思う。
この高野山の地でずっと生き続けている長い長い祈りの繭の中から、七色の美しい羽を持った蝶が舞い立つような、そんな姿をいつか見たいような気がする。
私の癒しの地・高野山、これからも又時々、楽しみに訪れたいと思う。




 No.28 高野山♪旅日記  <前編> 2002/08/12

お盆の前の休み(8/10,11)に主人の実家へ(出来たら私の実家にも)行くことを予定していたのだが、急に予定日が変更になったので、急遽高野山への二泊三日の旅をすることにした。
一昨年、私が高野山ひとり旅をしてきてから、主人もとても興味を示していて宿泊したがっていたので、今回は、二泊目に主人も高野山にやってきて合流することにした。
8/9の2時頃に出発、JR和歌山行きの電車で橋本から極楽橋を経てケーブルに乗り、夕方に高野山駅に到着。一昨年、小学生の林間学校以来初めての高野山への旅をしたときは、電車の時刻もちゃんと調べていなかったので途中で時間のロスもあったのだが、今回はとてもスムーズに高野山まで着いてホッと一安心。高野山駅から奥の院行きのバスに乗り、アナウンスの声を聞きながら、蓮花谷というバス停まで乗っていった。大木が林立する中をバスはくねくねと曲がっていくのだが、野生の艶やかな橙色の山百合が道の脇に沢山咲いていた。
今回泊まった宿坊は、まず一泊目は、成福院(じょうふくいん)さんというお寺。
高野山には沢山の宿坊があるので悩んでしまうのだが、一昨年に宿泊した蓮華院(れんげいん)さんというお寺の予約が満室だったので、今回はインターネットで宿坊を探してみたところ、こちらの成福院さんというお寺では、なんと!インターネット割引がある上に、宿泊者に*『五大瞑想CD』がプレゼントされるという特典まであった。それで、この特典にも感激!して、早速このお寺に宿泊をお願いすることにした。
この成福院さんというお寺は、前住職様が大戦の勃発により陸軍嘱託としてビルマに入り身をもって悲惨なる戦争を体験して後にビルマ僧となって修行され、昭和19年ビルマ国より贈られた釈迦仏像と大蔵経を奉持し奇跡的に生還なされたそうで、成福院さんでは、ビルマ方面戦没者を慰めるため、摩尼宝塔が建てられていて、又奥の院参道の中ほどくらいには、パゴダの塔も建立されている。
以前に、こちらのお寺の前を通りすぎた時の記憶があったのだが、かなり異国情緒な趣を感じさせる建築物なので、バス停で降りるとすぐに分かった。
受付に顔を出すと、すぐに修行僧の方が出迎えて下さり、宿泊の説明を受けて、お部屋に通された。入り口からお部屋まで、廊下を何回も曲がったり階段を上ったりするので、ちょっと迷子になりそうであった。私が宿泊した部屋の名前は「メーミョウ」と書いてあったのだが、これもビルマ風?の呼び方なのかしらと思った。
そのメーミョウのお部屋は、和室もとても広くて、窓際の板張りのところには小さなソファーセットもあったので、夕食までのひとときは、そのソファーに座って、霧雨の降るお庭を眺めていた。
宿坊では、修行僧の方が食事や布団の上げ下げのお世話をして下さるのだが、なんとなくこの成福院さんの僧の方々は、ちょっと体育会系?の雰囲気もあって、本当にキビキビとお世話して下さった。食事を終えて、「ごちそうさまでした〜」と言うと、間髪入れず「お粗末さまでしたっ!」とおっしゃられて、なんというか心地良い緊張感みたいなものが院内に感じられた。
夕食はもちろん精進料理なのだが、やっぱりお寺によってメニューがいろいろ違っていて、それがとっても楽しみなのである。一昨年に泊まった蓮華院さんでは、野菜の精進揚げがとてもボリュームがあって、デサートには高野山名物「笹巻きあんぷ」が付いていたのを記憶している。こちらの成福院さんでは、お料理もどことなくビルマ風?なのか、チクピー豆の甘煮なんかもあったのでビックリしたのだが、精進揚げにはオクラも入っていて美味しかった。精進料理はあっさりしているが、品数も多いし、ご飯もおひつにたっぷり入っているので、お腹もいっぱいになる。夕食後に、お風呂場に行くと、またまた異国情緒たっぷりな広〜いお風呂だったので、内装を眺めつつゆっくりと楽しく入浴することが出来た。
そして、翌朝6時半からの勤行では、こちらの成福院さんの読経の素晴らしさに、ひととき魅了されて、眠気も吹っ飛んでしまったのである。まだ薄暗い本堂では、蝋燭の光が優しく揺らめき、住職様を真ん中に、修行僧の方おふたりが両脇に着座され、荘厳な雰囲気のなかで読経が始まる。途中でシンバルのような音を出す楽器のようなものも使われたりもする。住職様の渋いお声には、帰依された年月の重みがひしひしと感じられ、そして、まるでその重みを支えるかのように、若い修行僧のおふたりのよく通る真っ直ぐな声が両脇から響いてくる。
なんという力強い素晴らしい低音のハーモニー。
私はひととき、そのあまりにも調和した読経の声の美しさに聞きほれていたのであった。
その後、読経のハーモニーの余韻に浸りながらゆっくりと朝食を頂き、「お世話になりました〜♪」と成福院さんを後にして、9時半頃から奥の院にお参りに出かけたのであった。

*『五大瞑想CD』は、聲明(しょうみょうと言って、経典にメロディーを付けて唱える仏教音楽)と、ヒーリングミュージックが融合されたもので、成福院さんの先代住職様のお孫さんで上田益さんという著名なサウンドクリエーターの方が制作されておられます。五大とは「地」「水」「火」「風」「空」の五つの要素で、このCDではヒーリングミュージックと成福院さんの僧侶さま方の素晴らしい読経の声が、内なる宇宙の夢幻の安らぎの世界へと誘います。

成福院さんのHP  http://www.msp.co.jp/jofukuin/




 No.27 輝く緑の波 2002/08/08

朝、時間が少しあるときには、時々、近くの川沿いの道や万葉の森まで散歩に行く。
初夏から夏の盛りの間は、水田の稲が太陽の光を受けて、何とも美しい黄緑色に輝いている。
私は、日傘を目深に差して、眩しい光に目を細めて、ひととき、緑の水田を眺める。
サーーーっと風が吹くと、稲はサワサワと揺れて、瞬く間に、水田に緑の波紋が広がっていく。
さわさわ、さわさわと緑の波が揺れているのを見ていると、ふと暑さも忘れてしまう。
もうちょっと歩きたいときには、万葉の森を越えて、小さなお寺のあるところまで散歩する。
通り過ぎる家々の門や玄関口には、季節のお花や、可憐なほおずきの鉢などが置いてある。
家々の通りを過ぎて森への細い小道に入ると、太陽だけが燦々と輝いていて、蝉の鳴き声以外は、ことのほか静かである。
降りそそぐ熱い日差しの中を、静まりかえった緑の小道を一人で歩いていると、なにかこう、「生と死の狭間」にいるような気がするときがある。
けれども、一陣の風が吹いて、稲や雑草たちがサワサワと揺れ出すと、また心も風に乗り、流れに乗ってほどけていくようだ。
光輝く緑の波を眺めるひととき、私の中にも優しく吹き抜ける風が、心にとても心地良い。




 No.26 人生のきっかけ 2002/08/07

さっき、急に思いだしたことがあったので、少し書いてみたい。
私は、20代の終り頃にひどく体調を悪くしたことがあった。その少し前に、私を育ててくれた祖母が亡くなって、1ケ月ほど毎日泣いてばかりいたことがあったので、それも原因だとは思うのだが、自律神経失調症のようになっていた。そして、いろんなお医者様に観て頂いたのだが、婦人科でホルモン剤などを処方されて、かえって余計に体調が悪くなってしまった。
それで、これではいけない!と思い、主人とともに自然食を勉強しだしたのが、そもそもこの自然食品業界に入ったきっかけだった。
自然食品業界に入った後は、探究心のおもむくままに、そして自分達の身体の癒しのために、いろんな自然療法やエネルギー療法、ロルフィングなどのボディーワーク、はたまた過去生療法などをなさっておられる先生方のもとに出かけていって、本当にいろんな体験をさせて頂いた。そういう場で体験したことと感じたことは、心にも身体にも、ずっと響いているように思う。
そして昨年の2月頃、私の課題というかウィークポイントの骨盤と仙骨の辺りがとてもだるくて痛みがあったので、主人がインターネットでエネルギー療法の先生を探してくれて、短期間通っていたことがあった。この先生は、私と同い年の男性の方なのだが、なんとなく「先生」とお呼びするのが似合っておられて、とても深いヒーリングをして頂いたように思う。
初めて治療に伺ったときは、自分がなんとなく情けないような恥ずかしいような気もしたのだが、服の上から仙骨の辺りにじーっと手を当ててヒーリングして下さっているうちに、何とも形容し難い気持ちになったのであった。
何のご縁でか、私は今ここにいて、そして、何のご縁でか、手を当ててくれている人が、いる。
ふぅーっと、私もその先生の輪郭もぼやけて、何かただ、ありがたいな・・と思っていた。
ここに来てよかった、私のウィークポイントも、ここに辿り着くきっかけとなった、ここで、ありがたいと思えてよかった・・と、その時目を閉じてぼんやりと思っていた。
そのときから1年少したった先日、HP開設のお知らせをその先生にもお送りしたら、楽しいメールを送って下さった。「以前より芯が太くなられたような気がします」と書いて下さっていたのが、なんとなく嬉しくて、「1年経ったんだな・・」なんて感慨深く思ってしまった。
人生のきっかけは、いろんなところから、ひょいと顔を出して、いつも思い出深い体験を贈ってくれている。




 No.25 整理整頓が苦手な私・・ 2002/08/06

私は、はっきり言って、整理整頓というものがとても苦手である。
しかし、妙なところで神経質なので、自分の机の周りだけは綺麗にしていたりする。そうしないと、パソコンや手紙などで文章を書いたりするときに、気が散ってしまうからなのだが、やっぱりいつも家全体の家事、特に整理整頓のことで悩んでしまう。充電期間中はまだマシであるが、仕事を始めると、いつもほとんどパニック状態になりやすくて、これは私にとって本当に一番の悩みなのである。
昔っから、整理整頓や片付けのことでは、私を育ててくれた祖母にいつも叱られていたのだが、中々向上できなくて、ずっとそのままである。これは、実家の母に似たようで、母も家の片付けをするくらいなら、ソファーに座って占いの本を読んで寛いでしまう性格(笑)なのである。しかし、父が物凄く整理整頓・掃除にうるさいので、しかたなく母は言われることをやっている。
一方、主人の母は、いつもとても綺麗に片付けておられて、手入れの行き届いた観葉植物も青々として、庭で育てられた生花が室内のあちこちに可愛く活けられている。私はいつも主人の父母の家に行くたびに、「あぁ、こういうのって安らぐわ〜〜(^^)」と思うのだった。
私も本当は、家中が綺麗に片付けられて掃除も済んでピカピカ☆で、「ふぅ〜」と安堵の息を漏らしながら達成感に満足してソファーで寛ぐ・・のも最高っ!と思うのだが、それはごくたまなことなのである。以前、結婚した当初に、ものすごく家事に励んでみたことがあったのだが、その結論は、「家事に終りなし!」と思ったのであった。(そして、それは数日しか続かなかった・・)きっと、気持ちよく家事をこなしていくのも、凄い才能なのだと思う。
数年前に、お花と自然食品の会社(同じ社長が2つの会社を経営されていた)にいた頃、私は例の如く、自分の机の上の周囲だけは妙に綺麗にしていて、わざわざ自分用にハーブティーや紅茶まで用意し、可愛い缶に入れて机の上に置いていた。(ときどき仕事が夜中の12時位にまでなっていたので、心安らぐひととき♪が必要だったのである・・)しかし、机の上の書棚や机の中の引き出しは、日に日に書類がたまっていきやすくて困っていた。要るものと要らないものを、常日頃からちゃあんと分けて捨てていたらいいのだが、それをすぐに怠ってしまう私・・。ここの社長は、とても整理整頓を厳しく言われていて、時々、私の机の近くを通られるたびに、何か言いたそうな雰囲気であった。しかし遠慮して下さった?のか、結局何も言われなかったので、ずっとそのままにしてしまった。
ところが、私の主人が、この2つの会社の自然食品のほうで企画をしていて、そちらの社屋(2つの会社の建物は少し離れて立っていた)に行ってみると、なんと!主人の机の上は書類の山で、ほんの少しのスペースしか空いている部分がなくって、「これで仕事ができるの!?」なんて笑って聞いたことがあった。でも、その書類の山も、主人にだけは分かるようになっているらしく、その狭いスペースで凄い仕事量をこなしていたのでちょっとビックリ(笑)してしまった。
自宅でも、主人と一緒にいると、まるで男同士みたいに仕事の話や人生の話ばっかりしてしまうので、つい片付けや家事をおろそかにしやすい。こういうわけで、整理整頓に関しては、かなりひどい二人なのである。
しかし、名誉挽回のために(笑)、しらじらしく又書いてしまうが、私も主人も、家事の中では「料理」だけは一応得意!なのだ。でもこれは、ひとえに食い意地がはっているからであるのだが、仕事柄、食べ物大好き♪なのはとても役立っている。
コープの電話対応などでも、「このズッキーニというのは、どうやって食べるんですか〜?」とかのご質問はよくあるのだが、事務スタッフの方もあまり知らない料理でも、主人が知っているので、よく驚かれているようだ。でも最近では、市の広報誌なんかでもお知らせされているが、男性向けのお料理教室も開かれていて、そういうのってとてもいいな〜と思う。
しかし、しかし、整理整頓、のことである。苦手な私でも、やっぱり片付けが終わった後の爽快感は格別なので、これからは何か目標を持ってやろうと思う。たとえば、8月中に、イラストレーターの友人を招いてミニパーティーをしようと話していたので、まずそれに向かって、家の中を整えようと思う。とにかく、うちの家は、書類や本や雑誌が溢れやすいので、要らない物を捨てていこう〜(選別するときに、また迷いやすい私なのだが・・・)。

P.S.整理整頓が得意〜!!な方がいらっしゃれば、又ぜひアドバイスをお願いします(^^)




 No.24 植物から学んだこと 2002/08/05

先日知人と世間話をしていて、植物の世話や手入れの話になった。
私などは元々マメなほうじゃないので、家庭菜園などをしてもあまり成果が出ないこともよくあって、小さ〜い茄子がひとつしかならなかったり(笑)するのだが、それでもやはり花が咲いたり実りがあるというのはとても嬉しいものだ。
しかし、私が家庭菜園などに取組みだしたのは数年前からのことで、以前の私は、なんとなく花や野菜を育てるということに少し抵抗があったのだ。
昔から野草にはとても親しみ、自分の性にあっているような気がしていた。でも、栽培された豪華なお花には少し抵抗感があって、いつか立派な百合の花束を頂いたときに、その芳香になじめなくて、ご近所の方に差し上げたこともあった。
そんな私が、なぜ数年間のうちに気持ちの変化があったのかというと、5年ほど前に初めて働き出した会社がお花の宅配会社で、毎日毎日ありとあらゆるお花と共に過ごした時間があったからであった。切花や鉢花、様々な観葉植物など、日本や外国のいろんな場所でいろんな人が栽培した植物が、毎日市場からトラックで仕入れられ、又、宅配会員様のご家庭へと運ばれていく。
なぜ、こんなにも多くの人が花を愛で、大切に育てているのだろう・・。私は、宅配会員様のご家庭へ取材に行った折には、会員の方々が心の底で感じておられることに意識を合わせようとした。すると、多くの方々から「何かを愛したい、大切にしたい」と願われている気持ちがひしひしと伝わってきて、そして「お花は大切に育てていると、ちゃんと応えてくれる。花が咲くと幸せな気持ちになる。」とおっしゃっておられたことが強く印象に残っている。
話は元に戻るが、前述の知人が「お花も、途中で虫に食われたりして、綺麗に咲いてくれないと何の意味もないから・・」と言われたので、そのときは少し悲しい気持ちになったのだが、きっと知人の本当の願いは、大切に育てたお花が美しく開花する姿をとても見たかったのだと思う。
ここ数年のご縁で、お花の会社での体験を経てフラワーエッセンスとも出会い、人生のプロセスについても、植物の開花から学ぶことはとても多い。
植物からの内なる平和のメッセージは、いつも多くの気づきを与えてくれる。
「信じること。あきらめないこと。自らの内に眠るイマジネーションを開花させること。」
人として生まれた私達は、自らの夢を開花させることも、花を愛でることも、人や生き物と抱きあうこともできる。
そして未来の地球のプロセスの向こうでは、生き物達とともに、色とりどりに個性それぞれに開花した人々が創るワンダーランドが、笑いさざめきながら待ってくれているのだろうか。




 No.23 夏休みの物語 2002/08/03

毎年この季節になると、子供の頃の夏休みの気持ちを思い出す。
お子さんがおられる家庭では、ご家族の方も毎日の仕事はあっても、やっぱり「夏休み感」みたいなのがあるのではないかと思う。
私が子供の頃は、夏休みは山や海やプールに行って真っ黒になって遊んでいて、そして遊びつかれた後は昼寝をして、それから課題図書なんかを寝転んで読んでいた。
夏休みに読む本は、なぜか胸がワクワクするような物語が多い。
思い出すと、沢山の忘れられない物語や童話があった。「誰も知らない小さな国」や「マキオのひとり旅」とか「ふしぎなつむじ風」…など、幼い心がワクワクしながら冒険の国に赴くようなお話が大好きだった。
大人になってから出会った物語で特に忘れられないのは、以前に堺の塾でお世話になった塾長さんから教えて頂いた「時計坂の家」という物語。今日急に思い出して読もうとしたのだが、なぜか見つからなくて残念だった。また夏の間に見つかったら・・・(笑)、ぜひ読みたいと思う。
この物語は、子供達が読むには不思議すぎてインパクトも強いのだが、長い間ずっと大切に読みたいおすすめの一冊である。
童話でも、「はてしない物語」とかになると、ほとんど大人のためのスピリチュアルな物語といった感じだが、やはり幅広い年代にずっと永い間愛され続けている。
真夏の高揚感とどこか似ているような物語や童話のワクワク感。
夏休みの季節は、いつも眩しい光と思い出が交錯して、生きている不思議を実感する。




 No.22 想いが香るバラ 2002/08/02

定期購読しているF*Ace(船井幸雄先生主幹の本物情報誌)の8月号が届きました。
記事の中に、愛知県で有機・低農薬栽培のバラとギフトを販売しておられるソーワ農園さんのことがご紹介されていて、ソーワ農園の河合様ご夫妻の心温まる素晴らしいお話が掲載されていたので、少し引用させて頂こうと思います。(以下、F*Aceより抜粋)

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「夫も最初から無農薬にこだわっていたわけではないんです。でも、皆さんバラの花束を渡されると、鼻を近づけて香りを嗅ぐでしょ?それを見て、『安全なバラを作らないといけない』って思ったのです。」農薬や化学肥料、除草剤を使うよりも金銭的コストは低くなるが、その分、手間がかかる。しかし、正信さんは手間をまったくいとわない。毎日バラに話しかけ、子供のようにかわいがる。例えば、こんなことがあったという。ある時、バラ栽培を始めた当初に植えたバラを植え替えることにした。通常は大型機械で一気に伐採し土地をかき混ぜて根を掘り出すというが、正信さんはどうしたのかというと・・・。何とバラの1本1本に「ありがとうございました!」「ありがとうございました!」と頭を下げてお礼の言葉をかけながら何千本にも及ぶバラの木をすべて剪定バサミで刈り取るという手作業で行ったのだ。夜半を過ぎてもハウスに電灯を付けて「ありがとうございました」の声だけが響く。恵子さんはその後ろ姿を見た時の胸の熱くなる思いを今でも忘れないという。「ここまで丹精込めて育てているバラ、手にされる人の健康のことまで考えて育てているバラ、そんなバラがほしいと思う人はきっといる。そういうことに価値を見いだしてくれる人は必ずいるはずだ。私は夫の人生を賭けて育てているバラを世に出したいと思いました。」

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この記事を読んで、涙があふれてきました。有機農法でバラを育てておられるご苦労もさることながら、ご主人様のバラへの誠実で真摯な想いと、それをしっかりと支え見守られている奥様の心が、ひしひしと伝わってきます。このような想いで生産されているソーワ農園さんの産直販売部門は、毎年150%増収を続けられているそうで、『想いは伝わるんだなぁ!!』と、こちらまで励まされるような気持ちになりました。又、将来の夢として、仕事場や住居が合体した建築物を建てて、ホームレスの方の共同生活スペースを設けたいとのことが書かれていました。
F*AceにHPアドレスも掲載されていたので訪問してみましたら、ちょうど今、サマーキャンペーンをやっておられて、早速注文させて頂きました。主人のお母さんが、先日、15年間可愛がっておられたシーズの愛犬タロちゃんが亡くなって悲しまれていたので、お母さんの大好きなお花をおくろうと思います。これからも、ソーワ農園さん、がんばって下さい!!

ソーワ農園さんのHP http://www.arujan.net/sowa/




 No.21 フラワーエッセンスとの出会い 2002/08/01

私がフラワーエッセンスというものに初めて出会ったのは、もう3、4年前のこと。
たしかアネモネの雑誌にフラワーエッセンスの記事と本が掲載されていて、その『心と体を癒す 世界のフラワーエッセンス』という本を取り寄せたのだった。この本は、内容も非常に分かりやすく、お花の写真もとても素晴らしく、これ一冊でフラワーエッセンスについての大まかなことは理解できると思う。
この本の著者・小川政信さんは、なんと東大卒MBA出身でマッキンゼーを経て独立されたビジネスコンサルタントの方で、(本を読み進めていくとそのプロセスが書かれているのだが)フラワーエッセンスとの出会いはまさに運命的なものだったようだ。一時は、本職の経営コンサルティングのお仕事を完全に中断されて、世界各国のフラワーエッセンスを作られている方々の元へ訪問され、学ばれていたという。
実際のフラワーエッセンスを、分かりやすく一言で言うと、「お花の癒しのエネルギーを水の中に溶かしこんだもの」である。小さなボトルに入っているエッセンスの内容成分は、お花のエネルギーと水と保存の為のブランデーまたはビネガーや塩のみである。これを数滴そのまま飲用したり、水や飲み物に入れて飲用する。
元々は、英国の医師・バッチ博士が1930年代にフラワーエッセンスの基礎を確立し、病気の根底にある感情やメンタル面に働きかけて、画期的な成果をおさめたのが始まりであった。その後、英国を中心に、ヨーロッパ、カナダ、アメリカ、オートラリア、アラスカ、アマゾンなどの様々なエッセンスのシリーズが多くの作り手によって出来ている。そして英国やオーストラリアでは、フラワーエッセンスは「医薬部外品」として薬局で販売されている。しかし日本では、数年前より20〜40代女性を中心に人気が高まっているのだが、アロマセラピーに比べても、まだまだ認知度はそんなに高くないと思う。
私は、特にプラクティショナー(花療法士)としてやっていきたいというわけではないのだが、とにかく学びたい気持ちが強かったので、まずフラワーエッセンスの草分け的なバッチフラワーレメディーの国際プラクティショナーの講座に参加した。レベル1、レベル2と終了し、昨年はレベル3の講義と一次試験のため東京での短期滞在もして、試験も合格したのだが、卒業までにはまだまだ試練が待っているのだった(笑)。ただ私は、ビジネスの中に癒しという要素を融合していけたらという願いをずっと持っているので、今後は資格だけに限定されずに実際的な活用法を考えていきたいと思っている。
バッチフラワーレメディーはエッセンスの老舗なのだが、その他にも、ニューエイジ的な作り手によって作られた素晴らしいエッセンスが、それはそれは沢山ある。お花のエネルギーに恋をした私は、この3年ほどの間、ほんとうに沢山のエッセンスと幸せな出会いをしてきたように思う。
そして私にとって、一番効果を実感したのは、悪夢を見なくなったこと。以前は、夜中に悪夢で悲鳴をあげて起きてしまったりしたことが時折あったのだが、それがほとんど無くなった。
又、コープの事務スタッフの方で、前述の本を読まれて感動されていた女性が、昨年仕事の忙しさと更年期のためか体調が悪くなられた時に、バッチのレスキューレメディー(緊急用)という基本的なエッセンスをお渡しした。その後に彼女は、電話対応がピークになって疲れたときにエッセンスを飲み物に入れて飲用すると「胸のところがスーーっとします」と言っておられて、その後気持ちも持ちなおされて又元気にお仕事に励まれている。
それと最近では、ペットの癒しのために使われるケースも多く、これはとても人気があり、私と同じプラクティショナーを取得中の方でペットケア専門にカウンセリングされている人が、新聞でも紹介されたという話を先日お聞きした。
フラワーエッセンスは薬ではないので、直接的に病気に効くというものではないが、代替医療の一環として、特に人の心に優しく働きかけるという特性がある。これは、お花や植物の無条件の愛という癒しのエネルギーが心に働きかけているのだと思われる。そういったエッセンスを使っていくうちに自然に気づくことがあり、それが心を癒していく大切なプロセスとなっていく。
今まで世界中で沢山のエッセンスが作られてきて、これから、(現在も少しは出来ているが)日本のお花で日本らしい優しいフラワーエッセンスが誕生していくことをとても楽しみにしている。
私もいろいろ学びながら、自分なりに多くの方々に伝えていけたらと思う。

☆今後、「フラワーエッセンス」のページで、詳しい内容や解説をアップしたいと思っています。
 「世界のフラワーエッセンス」の本も、おすすめ本のページでご紹介する予定です♪




 No.20 地球の変化と人生の夢 2002/07/31

最近は、気や波動という言葉も少しずつ一般的になってきていて、そんな言葉は一度も聞いたことがない、と言う人は少ないように思う。WHOの健康の定義でも、スピリチュアリティという言葉が使われだしているように、確実に時代が変わってきている。
一方、地球環境の問題は(マクロに観ると、表面上のことかもしれないが)山積みで、温暖化のために島が沈んでいくという現象も起こっていると聞く。
それと、よく聞くことなのだが、地球に届いているシューマン波という宇宙エネルギーの値が、ここ10年ほど凄く変化していて、これは、人体にも多大な影響を及ぼしていると言われている。
とにかく、地球も、そしてこの地球に住んでいる人類も変化の真っ只中にいることだけは確実なことなのだと思うが、この変化の中での戸惑いや葛藤を感じることも多い。
心だけではなく、身体ごと揺さぶられているように感じるときはとても大変だ。でも、それをくぐり抜けると、また違った風景が見えてくるのだろう。
以前、30才の手前で心身ともに疲れて体調をひどく悪くした私は、自然食を知り、主人と共に1年半ほど玄米菜食をしていたことがあった。そのときお世話になった玄米菜食の先生から、身体を浄化するための塩浴のことを教えて頂き、少し実行していたら、不思議な現象が起こっていたことがあった。ときどき眉間のところで白く眩しい光がビカビカッとしてくる。お風呂で顔を洗っていてもビカビカッとするので、なんだかとてもヘンな感じで、元々恐がりな私は、これがだんだん恐くなってしまった。又、くるくると身体の周りをらせん状に気が回っていくのを感じて、それにも悩まされた。しかしその後、「空の会」という気功教室に行き、そういうのはヘンではなくて、気やエネルギーを感じる人も沢山いることを知り、一安心したことがある。
それから、いろいろな出会いによってスピリチュアルなことも探求してきたが、やはり心と身体のことは、ほんとうに不思議だ。私は母に似て、もともと身体は柔らかくて軟体動物のようにくにゃくにゃ(笑)なのだが、子供の頃から関節が抜けたりしやすかった。それで、ここ数年の地球のエネルギー変化のためもあってか、筋が張ったり関節が痛くなりやすいので、エネルギー治療の先生に観て頂いたら、あるところにトラウマがあるとのことだったが、なんとなくその辺に私の課題もあるような気がしている。
心と身体と魂が調和のもとに繋がっていく人生は、それ自体が、ひとつの夢なのだと思う。
そして、この地球に人として生まれた私達は、これから、夢を本当に生きる時代へと、少しずつ向かっていっているのだろう。




 No.19 家族談義 2002/07/29

昨日は、昼過ぎから車で主人の実家へ向かった。
毎年夏に、主人の妹さんが里帰りしていて、一年に一度、私達も久しぶりに顔を合わす。
行きしなに、近鉄百貨店で姪っ子と甥っ子の子供服とか手土産とか選んで買っていったので、少し遅くなってしまったが、実家に着くと、元気な子供達が大変賑やかに出迎えてくれた。
写真を撮ったり、子供達と遊んだりしているうちに、もう夕食の時間になり、食後には皆で恒例の花火をして楽しんだ。(姪っ子と甥っ子は、毎日でも花火をしたがっていたけれど・・笑)
その後、子供達が寝てから、いつも大人5人で、毎年いろんな話をする。
主人の妹さんは、二世帯住宅で同居している中での様々な悩みを持っていて、主人のお父さん、お母さん、主人と私とで、ずっと話を聞いていた。各々思ったことを言って励ましたり、急に自分の人生の悩みを話し出したり、ちょっと激昂気味(お父さんが多い・・笑)になったりして、家族談義は夜中の12時を回るまで続いた。
みんな、それぞれの思いがある。そして、それぞれの生活があり、日々感じていることや付き合っている人達はそれぞれに違う。
でもやっぱり、心の底になにか共通点があるように思う。それは、複雑なややこしいことではなくって、「幸せに生きていきたい」という素朴な願い。
しかし、心に残っている傷ついた思いやしがらみが、時としてその幸せを阻んでしまう。
その傷ついた思いやしがらみは、遥かな時が経てば「思い出」となってしまうのだが、なぜか人の心を少しずつ曇らせていってしまう。
けれども、話していくうちに、悩んでいた顔が一瞬晴れて笑顔になったとき、その笑顔は何の曇りもなく明るく輝いている。この輝きはなんだろうと思うほど、本当に美しい。
悩みから満面の笑顔へ、ひとりの人の中には、限りない不思議さが隠されているようだ。
そして人間関係も、本当はたくさん未知の部分があって、まだまだ多くの可能性が眠っているように思える。また新たな気持ちで、未知の心の旅に出かけたい。




 No.18 赤い靴で歩いてみよう 2002/07/27

今日の誕生日に、BBSを無事アップしてHPをオープン出来てホッとしている(^^)。
BBSで祝ってくださった方々とCGIを手伝ってくれた主人に、心から感謝!!
夕方、近くの百貨店に出かけて赤いサンダルを買った(主人からのプレゼント)。
赤い色のものを買うのは、私にとっては珍しいこと。
子供のときは平気で真っ赤なTシャツなど来ていたのだが、大人になってからは優しい色が好きになり、なぜかストレートな赤い色を着るのをためらうようになった。それは赤の色のパワーに圧倒されてしまうような気がするからなのかもしれない。
でも赤い色は、第1チャクラの色で、大地や肉体や人々のルーツと繋がるパワーのある色。
今年は、時々、この赤いサンダルを履いて、大地にkissしながら歩いてみたい、と思う。




 No.17 母と御祝い袋 2002/07/26





いつもは派手な祝い袋
なのだが、なぜか今年は
クマの袋だった(笑)。
ありがとう、お母さん♪

今日、実家の母より、誕生日御祝いの書留が届いた。
これは毎年恒例のことで、私の実家や主人の実家の両親とは、幾つになってもお互いにプレゼントの交換をしている。普通はプレゼントを交換しているのだが、実家の母はプレゼントを選ぶセンスに自信がないので、いつも御祝い金を贈ってくれる。そして、いつもわざわざ大変大仰な祝い袋に入れてくれる(なぜか今年は、クマの袋!)ところが、うちの母らしい。
実家の母と私は、親子というより、まるで姉妹(私が姉で、母が妹なのだが・・)のような関係。
母のことは、一言ではとても言い表せないが、なんというかすごく世話のやける人で、一緒にいると、子供のような言動に振り回されてしまうのである。たとえば、ふたりでショッピングしていて私がちょっとでも見当たらないと、皆が振り向くような大きな声で「なるちゃーーーん」と呼ぶし、「ほら、あのお店に寄ろうよ、えっと、クララおばさんのクッキーのところ・・・」と大ボケを言うので、「えっ、それって、もしかしてステラおばさんの店のことぉ?」と、いつも私がツッコミを入れなくてはならない(笑)。
母と一緒に出歩くときは、他人に笑われたくないとかいう見栄は一切捨てなければならないのである。そして思い起こせば、私がまだ実家にいた時、友達に持っていこうと思ってクッキーを焼いていると、「お母さんには焼いてくれないの・・!」と言ってすねていた母。
でも、私が結婚してからは、いつも誕生日に立派な御祝い袋を用意して、袋の裏に「母より」と書いてくれるのを見ると、「やっぱり母なんだ」となぜか安心して嬉しくなる私だった。



 No.16 『水への愛と感謝プロジェクト』のお知らせ 2002/07/25

昨夜、私が入っているメーリングリストの方より、『水への愛と感謝プロジェクト』のお知らせメールがありましたので、ご紹介させて頂きたいと思います。
以下はメールでのご紹介文の抜粋です。
****************************************
    ― 愛と感謝の祈りによって、地球全体の水を浄化しよう ―

地球上のすべての水に対して「愛しています」「ありがとう」と呼びかけることによって、地球全体を愛と感謝に満ちた最高の波動で満たしませんか。
このイベントを世界的なものにするために、私たちは来年2003年の7月25日を「水に愛と感謝を捧げる日」にしたいと考えています。この日には、地球という惑星全体が、私たちひとりひとりのハートから流れ出す愛と感謝に満ちた美しい金色と銀色の光で包み込まれる、というヴィジョンを私たちは持っています。金色と銀色は可視光の中でもっとも波動の高い光であり、地球上のすべての水を癒し、そして浄化してくれることでしょう。その水とは大洋の水でもありますし、また私たち自身の身体を構成している水でもあるのです。2003年7月25日の世界的なイベントに向けて、今から少しずつ水に対する私たちの意識を高めていくことが大切だと考えています。そこで、今年2002年の7月25日に、以下の要領で世界一斉に、水に対して愛と感謝の想いを伝えるイベントを行いたいと思います。どなたにも、その場でできる簡単なイベントです。皆様のご協力をお願いいたします。

■日 時
     2002年7月25日(木)の午前7時・午後1時・午後7時のいずれか。
     やむを得ない場合にはその他の時間帯で構いません。
■場 所
     ご家庭で、職場で、もしくは近くの川や池・湖・海岸などで。
■内 容
     地球上のすべての水に対して、愛と感謝の想いを伝えます。
■今後の予定
     7月25日以降も毎月25日に、私たちは小さなセレモニーを続けていく
     ことを計画しています。そして来年2003年7月25日には、ヨルダン川
     上流にあるガリラヤ湖畔で「水に愛と感謝を捧げるセレモニー」を
     開催することを予定しております。

****************************************
詳細は、水への愛と感謝プロジェクトHP<<http://thank-water.net>> をご覧下さい☆




 No.15 マヤンカレンダーの1年 2002/07/24

マヤンレンダーの1年は、グレゴリオ暦(一般的な暦)の7/26から始まり、7/24で終わるので、マヤ暦では今日が1年の最後の日となっています。(そして今夜は満月です○)
明日、7/25は、マヤンカレンダーでは、「プラスワンの日」「時間をはずした日」「銀河の自由な日」などと呼ばれ、スピリチュアル系のワークショップがよくこの日に催されています。
プラスワンの日は、過去の1年から未来の1年へ向けて、らせん状に進行している時間の波に乗る日。このプラスワンの日を経て、また新たなレベルの1年が始まります。
マヤンカレンダーによると明日2002.7.25は「自分の心に贅沢をさせてあげる日」だそうです。
どうぞ素敵な一日を過ごされますように(^^)。それではまた来年♪




 No.14 ナチュラルな生協 2002/07/24

私が入っている生協(コープ)のキャッチコピーのひとつに、「安全基準が違います」という言葉がある。主人と私は8年程前から自然食品業界に入り、そして2年半程前から新しいコープがスタートし、生協の業界(と言うのかどうかわからないが・・)に足を歩み入れた。
私が入っている生協は、生協業界の中でも、かなり際立った特徴のある生協なのではないかと思う。というのは、商品のこだわり具合が、ほとんど自然食品業界と同じレベルか、あるいは自然食品レベルを上回っているのである。
今の世間的には、「生協」というと、いろんな問題があってイメージが悪くなっているが、このコープは、商品の観点から見ると、生協というよりも自然食品なのだと思う。元々妙にこだわりまくった品揃えをしていたり、ずっと以前から全く動物性再生飼料を使っていなかったりしているのだが、それも「当たり前」という感じでやっている。実績としてはちゃんと結果が出ているが、PRという点では、少し控えめすぎるかもしれない。
私も、今まで自然食品業界に携わってきたプロセスの中で、様々なことを考えさせられた。
天然酵母と国産小麦で作った豊かな質感の美味しいパンや、にがりと大豆の甘さが際立つ豆腐や、無農薬の旬の味が濃〜い野菜、初めて食べた人は絶句してしまうほど美味しいプリンやヨーグルトなど、一度ハマってしまうと、他のものでは満足できない体質(笑)になってしまうのが難といえば難だが、素材の持つ美味しさを知ることが出来て本当に良かったと思う。
そして、生産者の方が農薬でお身体を悪くされて以来、無農薬に切り替えられたお話や、始めた頃に変人扱いされたご苦労を聞くたびに、「この方々に一票を投じたい」と思う気持ちで、自分達も野菜や商品を購入してきたように思う。
しかし、あまりにも神経質にこだわり過ぎる考えに走ると、気持ちのバランスを崩してしまうことになりやすく、その辺りが、自然食品に携わる人の重要なポイントではないかと思われる。
何のために、自然食品を作って売って食べているのか?
それは、私達の身も心も、地球とつながっているような自然な感覚を大切にしていきたいからではないかと思う。そして、ナチュラルな感性を育む生協を皆で創っていけたら素晴らしいと思う。




 No.13 旧友とHP 2002/07/22

先週からHP開設のお知らせをメールしていたので、友人・知人からレスが帰ってくるたびに、いろんなことを思う。
今日も、もうすぐ20年近くになるお付き合いになる友から、お祝いのメールを頂いた。
彼は14才年上で、私が20才の頃に出合った。20才の頃の私と言えば、父とケンカして家を出て、ふらりふらりと生きていた。中学生になるまで父母と一緒に暮らしていなかったので、どうしても気持ちがなじめないところがあり、その頃の父と私は平行線であった。(その後、20代の終わり頃から、やっと分かり合えるようになってきた。)
大学にはあまり通わず、クラブ活動(文芸部)に顔を出して、その他の時間は、多種多様なアルバイトを経験した。ほとんどが短期のアルバイトだったが、催し会場での受付嬢、宣伝販売、塾の夏期講習の講師、ホテルのバーのウエイトレス、心斎橋のブティックでのアルバイトなど、いろんなことをやってみた。その中で比較的長期にしたのが、ある画廊の電話番。とにかく留守番的な仕事だったので、すごくヒマで退屈になり、そこに置いてある美術書を片っ端から眺めてばかりいた。
その時に、そこの仕事の関係で来られていたのが彼であった。初めて会ったときから、小説の話などで話が合ったので、年上の人だったが、私はかなり生意気なことを言っていたように思う。その後、私が23才で結婚したときには、本当に親身に喜んでお祝いをして頂いた。それから、「エゴからエヴァへ」など船井先生の著書のことを私と主人に教えて下さったのも彼だった。
2000年の冬に、久しぶりに彼と短時間お会いしたときは、そのときのお互いの変化にとまどっていたような感じであったが、今日彼から頂いたメールに「成ちゃん、どんどん進化し続けてください」と書いて下さっていて、彼の親心のような優しさがとても嬉しかった。
21世紀になって、彼もきっと、また変化しておられると思う。私も又、同じ時代を変化し続けながら生きていきたい。HPを開設して、旧友と心の再会ができた。




 No.12 なるみめも 2002/07/21

私がぼんやりと「自分のHPを作ろうかな・・」と思い始めたのは、もう2年近く前のこと。
でも、その時は、フラワーエッセンスのことをご紹介したいなと思っていたくらいで、日記やメモのようなものを書いてみたいとはまだ考えていなかった。
それに、なんとも優柔不断でぐずなところがある私は、HPの作り方を学ぶのを面倒がっていて中々取り掛かれなかったのだが、昨年の3月にある会社からお誘いを受けてご一緒にお仕事することになり、その中でHPの企画制作に携わることになった。最初は、私が企画したHPをフリーのプロの方に制作して頂くということを考えていたのだが、あいにく思ったようなご縁が無く、私と社員の方で制作もしていくこととなった。
そしてこの仕事の中で、本当にいろいろ学ぶことがあった。
チラシや情報誌と違って、HPはリアルタイムで動いている面白さがある。
今年になってやっと自分のHPを開設できて、まだとても不思議な気持ちなのだが、この成り行きも、自分の人生とともに動いているような気がする。
今、リンク集のページ等を作っているのだが、自分が落ち着くようなページを作るのに勝手に苦労してしまい、又、壁紙の素材集を探しに行くと、あんまり綺麗な壁紙を発見してついウットリ(笑)してしまい、なかなか時間がかかってしまう。
プレオープンしたばかりの今は、この「なるみめも」を書いている時間が一番楽しい。
これまで、チラシや情報誌の仕事で文章を書いたりしていたが、かなり企業としてのメッセージ色が強かったので、今は自分らしく、そのときそのときのなんでもない素朴な気持ちを書いていけるのがとても嬉しい。




 No.11 心のmail 2002/07/19

このHPを作り始めて少したった頃に、一通のメールが届いた。
昨年仕事で携わったHPの掲示板で応援して下さっていた女性からだったのだが、丁度気持ちが煮詰まって前に進めなくなっていた私を、この一通のメールは心底励ましてくれた。
それ以来、彼女と週に一回ほど、お互いの心を綴ったメールのやりとりが続いている。今日届いた彼女からのメールのさいごのほうに、心のメールという言葉が書かれてあったのが、本当にぴったりくる言葉だったので、ここに書かせて頂いた。
彼女とメールをやりとりする度に、たくさん共通点が出てくるので、驚くことがとても多い。
動物占いまでよく似ていて、ふたりとも新月グループの相手軸・状況対応型のたぬき&こじかの性格が強いので、新月姉妹(笑)と呼んでいる。この相手軸の特徴というのは、相手あってのことにはとても強いのだが、自分のことを考えるのが一番大変・・(笑)という性格なのである。
しかし、メールを始めて以来、このようなメールのやりとりをしたのは初めてのことだった。
お互いの文章を引用しつつ思う存分返事を書くので、一通の容量はかなりになる。
毎回すごい力作をやりとりしてしまう二人なのだが、いつもメールが届くたびに共感の嵐・・が巻き起こり、読んだあとには心がぽぉっと温かく、じーんとしてしまう。
そして、私はいつも、メールの向こうの彼女の子供のような純朴な心を感じる。まるで、愛くるしい小さな手で肩をトントンとたたいて励ましてもらっているような気がする。




 No.10 それぞれの自然体 2002/07/18

自然体と一口に言っても、人それぞれ、自分に合った自然な感覚があると思う。
動物占いのキャラクターなんかでも、いろんな性格の特徴があって、たとえば「癒されること」ひとつをとってしても、“ショッピングで癒される”性格の人もいれば、“ボーっとすることで癒される”性格の人もいる。人や本からいろんなヒントを得るのは大切だと思うが、無理して人の真似をしても、かえって疲れたりする。だからやっぱり、自分の心と感性を大切にしていく方向がいいと思う。
フラワーエッセンスでも、お花は一様に癒しのエネルギーを持っているのだが、それぞれのお花が色や香りや形状が違うように、エネルギーとメッセージもいろいろ違っている。そして、みんなそれぞれに例えようがなく素晴らしい。きっと、人の素晴らしさも同じなのだと思う。
以前に、どこかの国の本で、ありとあらゆる色彩の野生の花が咲き乱れている野原の写真を見たのだが、とてもリアリティーがあるのにまるで夢の中のような風景だった。
いつの日か、人と人もお互いの個性を否定することなく、それぞれの自然体を大切にしながら深く関わって生きていけたら、と思う。




 No.9 スタッフの皆さん、ありがとう 2002/07/17

今日は、主人がスタッフの方々に賞与を手渡す日だったので、私も、前もって買っておいたプレゼントを持っていってもらった。年2回、恒例で同じものばかりをプレゼントしているのだが、いつもとても喜んで下さるので、本当に嬉しい。
スタッフはアルバイトの方々が多いのだが、本当に気持ちの優しい人ばかりが、ご縁で来て下さっているので、とてもありがたく思う。
事業をスタートして一番最初に事務の方の面接をしたときは、一人採用のところに50人位の方が応募されたのだが、応募のために電話をかけてこられたときからピン!ときた方がいて、結局、面接後、その女性が採用となった。何時もきちんと丁寧で心のこもった対応ができる方だ。
「心を大切にした仕事」というものを体現して伝えていってほしいというこちらの思いをしっかりと受け止めてずっとがんばって下さっている。後に入ったスタッフの女性も、彼女をお手本にして仕事をこなし、皆どんどん笑顔が優しく美しくなっていかれるように思う。
又、配送や営業の若いスタッフも、みな素直で可愛らしい人達ばかり。
配送に行く先々で、奥さんや子供さんやおじいちゃんやおばあちゃんからいろんな話を聞いてきて、そのご家庭の話を、まるで自分の家族のように話す配送スタッフがいるのだが、彼は「今していることはみな自分のためにもなっていると思います」と言う。 こちらでアルバイトをしつつ、ライフワークに取組んでいる人もいて、新しい時代の自由な生き方を感じる。
そういう彼らを、ひとりの人間同志としても出来るかぎり応援したいと思う。
そして私も一緒に集まるときに、スタッフのひとりひとりとお話していると、みんなの瞳の奥に見える優しい光を感じて、なんともいえない幸せな気持ちになる。
以前に「いつも見守って下さってありがとうございます」とメールを頂いて、私の方がびっくりしたことがあったのだが、子供のいない私が初めて見守るものができたようで、照れくさくも嬉しかった。
そして、これからもっともっと自分の力と可能性を知り、幸せに生きていってほしいと心から願う。




 No.8 高野山ひとり旅 2002/07/16

昨日から今日にかけて、実は、高野山へ一泊二日の旅を予定していた。
が、台風が来ていたこともあり、この前の日曜日に一日中主人と仕事の話をし過ぎていて、宿坊に予約しそびれたので延期した。でも、7月・8月の夏の間には、ぜひ行ってきたいと思っている。
一昨年の夏に、小学校の林間学校以来はじめての高野山へひとり旅をしてきて、とても新鮮だった。しかし、妙なところで優柔不断な私は、宿坊ひとつ決めるのでも迷いまくった後、やっと蓮華院という、高野山の中心部にある徳川家ゆかりのお寺に決めた。
出かけた日が少し小雨だったので、高野山のケーブルに乗ると、辺り一面濃い霧の中という感じで、しかも時間が少し遅かったせいで乗っている人も少なかったので「げっ、なんだか怖いよぉ・・。よせばよかったかな〜〜。」なんて急にビビッて心細くなってしまった私(情けないやつ・・)。でも、それはいらぬ心配で、またバスに乗って高野山の町に着くと、人も結構沢山いて、お土産物店も開いていて、ひと安心♪ほっとしたのだった。
宿坊のお寺に着くと、清々しい身なりの修行僧の方が、すぐに夕食のお膳を部屋まで運んできて下さり、その後お風呂に入っている間に、お布団も引いていて下さっていた。
高野山の夏は、日中は結構日差しも暑いのだが、夜はクーラーなしで、お布団をかけて寝て丁度良い涼しさ。全く寝苦しくないのでとても快適。しかし、いつも朝早く起きるのが苦手な私。でも高野山に行ったからにはぜひとも次の朝6時の勤行に出たい!と思い、5時半頃なんとか起きて、ぼぉ〜〜としつつも(笑)勤行に参加できた。
勤行の後、また修行僧の方がお布団を片付けて下さって、美味しい朝食を運んできて下さる。
なんだかすごく寛げてしかもラクなので、「あぁ、極楽〜〜(笑)」という気分。蓮華院は、高野山の宿坊の中では部屋数は少ないほうだと思うが、心のこもったお世話をして下さってとても居心地が良かった。
それから、高野山の旅のメインの奥の院散策。天を突くほどの大木が両脇に続く参道は、歩いているだけで癒されていくようで、緑濃い苔むしたお墓が歴史を感じさせてくれた。
まだいろいろと高野山話はあるのだが、今年も訪れたいと思うので、またその折に書きたい。




 No.7 様々な人々が集う地球 2002/07/15

今日は、HP開設のお知らせメールを友人・知人に送った。
そして、ぜひご紹介したいHPにリンクのお願いも送った。(レス下さった方々、感謝〜!!)
メールの宛先の方々のお名前を眺めていると、なんとも説明し難い不思議な気持ちになる。
確実に、5年前には名前もその存在も知らなかった人々が圧倒的に多い。
「わたしは、どうして、この人達と出会ったのだろう・・・。」きっと人生の流れが勝手に運んでくれているのだろうが、それでもふと、そう反芻してみたくなる。
かつて「この3次元の地球は、様々な考えの人々が出会うことができる場」という概念を、教えて下さったのは不思議研究所所長の森田健さん。もりけんさんは、フナイオープンワールドでも、毎年毎年探求されていく深淵な宇宙のしくみ(人が生きて存在しているところの根本的な謎)を発表され続けている。その講演を聴きに来る人々もまた、様々なスタンスの人々だ。
しかし、仕事で出合った人も、地域の活動で出会った人も、HPで出会った人も、何かひょんなことがきっかけで出会った人も、職種や普段の生活や考え方やモードは違っていても、根っこのところ『今地球に生きて存在していること』では全く同じ地平線に在る。そう思うと、ふと「この人とこの人が出会ったら、もっと面白そうなことになりそう〜」なんて、夢のふくらむ悪戯心が出てくるのは私だけだろうか(^.^)。




 No.6 火事場の右脳パワー! 2002/07/13

先日、幸塾の知人とお会いしていて、右脳の話になった。
今年3月に、七田眞先生の右脳の入門編のセミナーに参加してみて、非常に興味深いお話だったので、帰りに旭屋書店で「七田式 超右脳記憶法」という本を買って帰った。
右脳を開発することによって、未だ使われていない人間の能力がフルに発揮されるようになるというのは本当に素晴らしいと思う。又、誰もがその可能性を持っている、というのがとてもいい。
そして、この本を読んで、中学生の頃に体験したことが、それは実は右脳体験だったということが分かった。
私は、勉強には大変に厳しいスパルタおばあちゃんの祖母に育てられたせいで、中学2年生の頃までは学年で一番の成績であった。これは全く、祖母の執念というか並々ならぬ尽力のお蔭であって、祖母と離れて親と暮らしだしてからは、ずるずると成績は落ち目になるわ、遅刻はするわ(笑)になってしまった。しかし、祖母といる間は、期末試験などの間は非常なストレスで大変だった。祖母は普段はとても温かい人なのだが、試験のことになると凄く厳しくなり、95点取ってもOKと言ってくれなくて、98点以上取らなければ、家に帰りにくいのであった。
ある時、単発の数学の試験があることを全く忘れほうけていた私は、友達に「次の時間、試験だからイヤだね〜」と言われて真っ青になってしまった。教科書の何ページから何ページまでの間の問題からそのまま引用して試験をします、と先生が言われていたのを完全に忘れ去っていたのだ。「うわぁぁぁぁーーん!!」と嘆いているヒマもなく、数学が一番苦手だった私は、このままでは全くもってマズい点数になるのは目に見えている!休み時間はもうあと5分あまり、追い詰められた私は、目を一杯に見開いて、試験に出る10数ページをただただ見続けた。とにかくもう、理解するとかどうとかいう時間はなく、見続けるしかなかったのである。そして、試験の用紙が配られ、問題を見た時、不思議なことが起こったのである。頭の中というか目の奥に、さっき見続けていた教科書のページが出てきた。1ページ1ページめくっていくと、はっきりと数式と答えが書いてある・・。それで私は、試験に出てきた問題のページを見つけ、そのまま式と答えを書き写していったのであった。そして結果は100点。このときの事は、とても不思議だったのだが、ちゃんと勉強せずに頭の中に出てきたページをそのまま書き写したということに、なんとなく罪悪感が残っていた。
しかし、右脳のことを知って、ほっとした気持ちになった。この時は追い詰められての火事場の馬鹿力みたいに出てきた右脳体験だったが、これからの時代はリラックスして右脳を開発し、人間の潜在能力を発揮していくのがベストに思う。私もチャレンジしてみたい!




 No.5 友人からのメッセージ 2002/07/12

今日、午前中に、友人から「ちょっと気が早いですが」とコメントが付いた誕生日のプレゼントが届けられた。この友人は、以前私が働いていたお花の会社の宅配会員様で、取材の為にご自宅に伺ったときに意気投合してからのお付き合い。いつも手書きの絵手紙のお葉書を下さるのだが、そこに書かれているメッセージがとても心に響いてくる。そのとき、そのときにハッとさせられる言葉を下さるので、とてもありがたく思う。
午後からは、イラストレーターの友人とお会いして楽しい時を過ごした。夕方少し陽が蔭ってきた頃、大好きな神社にお参りして、その後もいろんな話をしていた。フラワーエッセンスや数秘術やエニアグラムやヒーリングやコミュニティ・・・というようなスピリチュアル系な話もしつつ、日常的な話や、ソーイング(縫いもの)の話もはずむという不思議な間柄である。彼女のところに行くと、いろんなハーブをブレンドして淹れて下さるハーブティーがとっても美味しくて嬉しくなる。いつもお互い雑貨や食品を差し上げたり貰ったりしているのだが、今日は、私が「ポトスの苗」と「えごまの苗」を差し上げて、彼女から「朝顔の苗」と「紫蘇の苗」を頂いた。そして、今夏物のソーイングにかなり熱心な彼女に、数年前に沖縄で買った淡いグリーンの布地が家にあったのを思い出して差し上げた。彼女は丁度真っ白な綿のボレロを作っていて、その下に淡いグリーンの色を合わせるとピッタリ!だった。私が自宅でこの布地を見ていたときには、白いボレロと合わせるなどというイメージは全く湧いていなかったのだが、彼女の家に布を持っていったところ、思いがけず「白+淡いグリーン」の色合いの美しさに出会えた。
こんな組み合わせの美しさはとても嬉しいもの。これは人間関係でも仕事でも、新たな出会いによって今まで以上にクリエイティブに豊かにイメージが広がっていくことと似ているように思う。
帰宅後には、いつも応援して下さる大切な方から、素敵な素敵なメールが届いていた。
友人から様々なメッセージを頂くたび、心の奥に、共に未来を創っていきたい!という思いがじわじわと目覚めてくるのを感じる。




 No.4 TVを見ない生活  2002/07/11

結婚して以来ずっとテレビを見ない生活をしている。
そのうえ、新聞まで取っていない・・・と言うと、ほとんど変人(笑)って思う人もいるかもしれないが、これはこれで結構ラクなのだ。
実家にいるときには、もちろん普通にテレビや新聞と接していた。でも、父や弟がいつもテレビを見ながらご飯を食べるのがちょっと気になって、いつまでも馴染めなかったので、結婚してからは主人と相談の上、「普段はテレビを見ない」と決めた。しかしこれは、テレビというものを全く存在させない!というのではなくって、実はめちゃ小さなテレビがクロゼットにしまってあるのである。そして何か特別なとき、たとえば大晦日だとかに、行く年来る年の番組を見るために、ちょっと出してきて見たりする。テレビなんて普通、しまったり出したりするもんじゃないと思うけど、うちではまあこういうことにしている。
それと、新聞。主人は事務所で業界紙は読んでいるのだが、家では取っていないので、ふたりとも普段新聞を読んでいない。かつて私が実家でじっくりと新聞を読んでいた頃、いろんな記事を見て「へぇー!」とか「ほぉ〜!」とか一々反応して読んでしまい、いつも結構な時間が過ぎ去ってしまっていた。しかし、ふと我に帰ると、ずっと新聞を読んでいても特に賢くなってきたような気もしないし、その上、ぐずな私は、他にやりたかったことが出来なくなってしまいやすいのである。しかし、新聞は毎日毎日やってくる。やっぱりこれを日々追いかけて読んでたら、自分の好きな本や雑誌が読めなくなる〜(きっと右脳がめちゃくちゃ開発されたりしたら、もっと早く読めるのだろうけど)と思い、これも「取らない」ことに決めた。
テレビや新聞を見ない読まない生活。テレビはまあいいとして、新聞も読んでないと世の中に遅れまくるんじゃないかとは思うのだが、友人や周りの人達が大きな出来事などは教えてくれる。それに、私も主人も、仕事柄それぞれパソコンは一台以上あるので、最近はそれで世の中に遅れないでいる(と思う・・)。それと、ふたりとも本が大好きなので家中本だらけで、それぞれマニアックな分野があってやたらと詳しかったりする。そして、ふたりともニューエイジ系の本とかF*Aceとかアネモネとかの雑誌は嬉々として読んでいる。でも、こういう生活もひとつのサンプルだと思うし、国によっては、また全然違った生活スタイルをしている人達が沢山いるのだと思う。




 No.3 意識の美、無意識の美 2002/07/08

京都のことを書いたので、今住んでいる奈良のことも書いてみたい。
京都には張りつめた繊細な意識の美しさを感じるが、奈良には素朴な温かさを感じる。 京都が「意識の美」だとしたら、奈良はきっと「無意識の美」。
京都はしっかり者で美人の姉、奈良はのん気で可愛い妹・・・そんなイメージも湧く。
色に例えてみれば、京都は金色、奈良は銀色、かな。
たしかJR奈良の標語だったと思うのだが、『あなたとなら』というのもあった。(あなたとなら、奈良にほっこり旅に行きたいな・・とかそういうような意味?) うーん、控えめ〜!(笑)。でも、私としては、あなたがいてこそ私がいるの・・・みたいな、そんな控えめさが又とても好きな雰囲気なのだ。
京都のようなデカダンスの香りもする華のある美しさはないが、奈良にいると、その「ほっとかれ具合」がいい。自由で大らかな気持ちにさせてくれる。人間に世話をされない分、自然に近い。
大阪生まれの私が、まほろばの地奈良に住んで8年目、そしてこれからもっと、京都・奈良を知りたいと思う。




 No.2 憧れる力 2002/07/08

昨年ぐらいから、なぜか京都がらみのご縁が多いので、自然に京都への興味が深まっている。
先日、書店で「大人の京都」という雑誌を買ってみた。美しく雅な古都、というだけではない、京都の人・土地・意識の深い魅力がページのあちこちから感じられ、随所に、京都の光と影が映し出されていた。特に目を引いたページは、スチューワーデスを経て家を継がれた若き女将さんが、僧侶のごとき慈しみが漂う割烹のご主人と向かいあって談笑されている写真。このご主人は九州出身の方だそうで、「京都は永遠の憧れの地。だから料理には私の憧れている京都を描いているのだと思う」とのコメントがあった。洗練だけではない、人の温かみと心のこもったお料理が清々しい。又、玄関のアプローチには、私の大好きな癒しの苔。(このお店はぜひとも行ってみたい!)
生粋の京都の意識も美しいが、この方のように、京都に憧れ、自ら京都に溶け込んで内側から支える力が、きっとより一層、京都の魅力を高め続けるように思う。
そして、この春に船井総研No.1ビジネスプロデューサー五十棲さんのセミナーで講師もされていたブライダルバンケット&レストラン業界のN社長のページも発見!
このお顔は、ほんとに一度見たら忘れられない。元気と感動を与えるパワフルな表情が何とも素晴らしい。理想のイメージを心に抱いて憧れ続ける力は、人も土地もきらきらと輝かせていく。




 No.1 夢をかたちに 2002/07/07

これから、この「なるみめも」に日々感じたことを書いていこうと思う。
今のところは、それが一体何になっていくのかは分からないが、自分の感じたことをできるだけありのままに文章にしてみたい。まず、それを楽しみにして続けていきたい。
何かをかたちにする、というのは自分の内側と外側を繋げていく作業でもあるのだろう。
自分の内にある本質と、この愛すべき波乱に満ちた3次元の世界が、いつしか手を伸ばしあってしっかりと抱き合えることを心から願う。
まだまだ実感の少ない私にとって今言えることはこれだけだけど。

 

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