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生まれ変わっても


 またまた新月の日はあっという間に過ぎ去り、もう下限の月になりました。
 来月こそは、もう少し早く「新つぶ」を書きたいと思っています(すみません〜〜笑)。

 ここ最近も地球は大変なエネルギーの変容が起こっているようで、いろんな情報が飛びかっていますが、6月号のアネモネの雑誌に姫乃宮亜美さんからの素敵なメッセージを拝見しましたので、少しご報告させて頂きたいと思います。姫乃宮さんのメッセージには、「この2005年4月になってようやく私たちの『機が満ちた』そうです」とのこと、又、「わたしは優しく生きたい」「もっと愛のある幸せな世界に生きたい」と祈る人の人数が一定量を越えた、のだそうです。そして、「光を受け入れる優しい気持ちを持った人が、この地球上に変化のウェーブを起こす、充分な量に至った」とのことでした。このメッセージを拝見して、私も何かしら安堵の気持ちと、そして、いよいよ地球が愛の波動で生きる時代がやってきたことに、えもいわれぬ不思議な感銘を受けました。

 ここ数年、仕事をしていて、よく自分自身に問いかけることは、「もし生まれ変わっても、このことをやりたいか」ということです。私の場合、「生きていくために」「仕事だから」「お金になるから」といった理由では全く何にもやる気が湧かないというのが一番の理由なのですが、「もし生まれ変っても、同じことをしてみたい」と思うほどに、今生は全身全霊で取り組めること、心と行動の一致することを願い求めているように思います。そして、いままで流れとご縁の導きのままに生きて、出逢いの中で沢山の大切な贈りものを頂いて、私が初めて心底望んだことは、「人々が心から幸せに働ける場を創りたい!」ということでした。この「人々が心から幸せに働ける場」というのは、私の中で、ひとつの明瞭なイメージ・ヴィジョンとして在るのですが、ただ、自分の目ではまだこの3次元のどこにも見たことのない光景なのです。このテーマは、わたしの魂の夢であると共に、自分自身の魂の癒しとも密接に結びついているように感じています。そして、いままで目覚めていなかった地球では、奇跡も感動もほんの一瞬の夢か幻のように思われてきましたが、これから私たちの向かう未来、愛すべき3次元の本当の姿は、豊かに溢れる愛と生命の煌き、目が覚めるような奇跡と感動で彩られていることを感じるのです。

 そして前述の姫乃宮さんのメッセージの中で、特に共感させて頂いたことは、「今まで逆子状態だったこの地球という物質界では、日常の雑事が優先され、神性はその雑事の後で、という感じでしたね。忙しさの中で自分が本当にやりたいことさえ埋もれてしまうような・・・。でも、もしよろしかったら、大事なことを一番最初に持ってくると、あらゆるものが調和し始めます。」とおっしゃっていたことでした。すべての人々の大切な人生、この3次元に誕生し、ひとつとして同じものはない素晴らしい出逢いと体験、それを皆でもっともっと幸せに生きてみたい!と思うのです。わたしたちは決して、コスト計算をしたり世間話をするためだけに生まれてきたのではないと思うのです。過去に、多くの人々が仕事や家庭の中で、いつのまにかご自分のかけがえのない尊さを踏みつけながら、競争やエネルギーの奪い合いに巻き込まれた人生を送っておられるのを見て、いつも何とも言い表せないような物悲しさを感じたものでした。わたしたちが真の意味で幸せな人生を送ることは、本当に言葉では言い尽せないほど、貴重な意味合いがあると思います。人々が人生の日々を心から幸せな波動で生きることは、この地球を愛の波動で包み、生命を蘇生させ、色とりどりの美しい希望の花々を咲かせることに他ならないと思います。今ようやく機は熟し、わたしたちの星は生まれ変わるために動き始めたようです。

 今日、わたしたちがこの世界に贈る愛、言葉、波動は、過去も未来も超え、永遠の時のなかで、小さな眩い光を発し始めます。人々の真心、共に生きるすべての生命の幸せを祈る温かい心は、どこまでもどこまでも宇宙の隅々まで広がっていくのです。そして又いつか、わたしたちは遥かな風に乗り、すべてのものと再会するときがくるでしょう。幾度も幾度も生まれ変わり、数多くの人生をご一緒した懐かしい人々と、今生は共に手を取り合って光の道を歩んでいきたいと思います。生命が眩しく煌く光の道を・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2005.6.7〜26








天の愛 地の愛 人の愛

クローバーの道



 春があっという間に過ぎて、風薫る新緑の5月も終わりになりました。
 5/8の新月の頃から、先月からお知らせさせて頂いた上本町のお店のプチ・リニューアルの準備が大変忙しくなっていました。中々ゆっくりと新つぶを書けなくて、もう満月も過ぎて、31日になってしまいましたが(苦笑)、今日あらためてここ最近を振り返って書いてみたいと思います。

 今年に入り、自然食品の店舗プロデュースをさせて頂いてから、また新たなる学びと喜びの日々を過ごさせて頂いています。今まで、どちらかというと通販や宅配といった形態の企業様とのお仕事が多かったので、お客様と直に接する店舗というものが、じつは毎日毎日のハプニングやエンターティメントに満ちた世界であり、イベントでもあるのだという認識を得ました。でもまた、ある意味で、お店はひとつの【家〜ハウス】でもあると思いました。そこで働く人やお客様を含め、不思議な出逢いの糸で繋がった人々が行き交う広い大きな家。この【家〜ハウス】を暖かい愛に満ちた空間にするのか、それとも商業的な利益だけを追求した空間にするのか。その【家〜ハウス】の存在意義は、経営者の方や関わる人々の心の奥底の思い、その真の願いから生まれ育つように思いました。そして、お店も又ひとつの家であり、スタッフやお客様もみな、何かしらのご縁でつながった家族である・・・という意識や考えは、21世紀の蘇生型ビジネス・女性性を大切にしたビジネスの基本のあり方ではないかと思います。

 今年2005年は、数秘術でいうとスピリチュアルな意識が目覚めゆく7の年に当り、魂の使命を生きること、人生への信頼、心を開放する、私たち人類は真の望みを生きることができるのか・・といったテーマが出てきているようです。心を静めてみると、日常的な事象や起こることの中にも、さまざまな形で呼びかけられていることを感じることも多いと思います。そして、私たちはただ目的を達成したり、物事を実現したりするためにだけ生まれてきたのではなく、その偉大なるプロセスのなかで、魂の喜び、心のつながり、信頼と開放、真の望みを知ることなど、あまりに深くかけがえのない体験をするために生きているように思います。それは人生の冥利であり、この地球に生れ落ちた私達にとって、「生きる」ということの純粋な幸福ではないかと思います。

 光に満ち柔らかく降りそそぐ天の愛。生命の温もりに育まれ立ち上る地の愛。そして、私たちの真心がやがてひとつの祈りとなる時、人の愛は、天の愛と地の愛と優しくしっかりと融合して、地球を蘇らせていくように思います。地球のお家、魂の家族たちが、今、意識の目覚めの中でつながり学びあっていることを感じています。ひとつひとつの大切な出会い、多くの人々の生命の交流。地球の大きなお家に、沢山の幸せの声が響きますように・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

 

2005.5.8〜31








未知の扉

明日香の小さな公園に咲く紅白の源平桜



 4月9日の新月と翌日の日曜日には、私の住むところでも桜が満開になり、先週末の土日には、続いて遅咲きの八重桜も満開となりました。
今年は少し肌寒い日が長く続いていたため、ここ数年の桜の開花の時期よりも遅くなっていたようでしたが、今年もまた本当に美しい桜のお花を見ることができて、とっても幸せな気持ちになりました。
 昨年も、明日香の小さな静かな公園で桜のエッセンスを作らせて頂いたのですが、今年は、新月の日にもエッセンスを作ることができました。一重の桜、八重桜、そして、紅白の美しいマーブル模様になった珍しい源平桜、と3種類のエッセンスをつくらせて頂きました。一重の桜、八重桜、源平桜と、色も姿も香りもそれぞれに違う美しい桜のお花のエッセンスをつくらせて頂いた際に、自分なりにお花のメッセージを感じて受けとりました。
○一重の桜 昨年:【永遠・本質の美】 今年:【魂のふれあい・光輝・幸福(新月の桜)】
○八重桜  昨年:【友愛】 今年:【慈愛】   ○枝垂桜 昨年のみ:【許し・和解】
○源平桜  昨年:【真の成功】 今年:【無限の豊かさ・未来・未知の扉】
昨年と今年のメッセージが少しずつ微妙に違うのは、私自身の心境の変化もあるのか、また地球の波動の変化の影響もあるのかなと思っています。お花からのメッセージがうまく言葉に変換できていないこともあると思いますが、桜のお花たちが与えてくれたメッセージに深く感謝して、私なりに心で感じたことを少しでもお伝えできたら、とても幸いです。

 そして、お仕事の流れの中でも、今、紅白の源平桜のメッセージのような未知の扉の前にいるように感じています。2月にも書かせて頂いた上本町の自然食品店舗のプチ・リニューアルの日も5/20(金)と決まり、そのプロジェクトが日々進行しています。これからお店の新しいイメージづくりの準備の買出し等にも走り回ると思いますが、今回、スタッフさんの新しいユニホームも、店舗ヴィジュアルイメージの一環としてデザインしたり、沢山の新しい試みとチャレンジをさせて頂いています。
 でももう4月半ば過ぎというのに朝夕はまだまだ寒い日もあって、今年は中々上着のいらない季節にならないので、気持ちもまだ100%オープン!という感じではないのですが、5月に入り、うっすらと汗ばむような季節になって、これまで企画し考えてきたことが3次元の中で加速的に動き出していくように思います。4月に入ってから特に、このプチ・リニューアルの新商品やイベントの打ち合わせなどでもいろいろなお取引先様やコラボレーションの顔合わせもスタートし、その中でも多くの方々とのエネルギーの交流が始まっていることを実感しています。最初は、自然食品会社の社長さんと私と主人の3人で話し合い考えていたことが、だんだんとご縁のある多くの人々との共通の認識・テーマとなっていることに、何かしら驚きをも感じています。仕事の中でも必然の出会いでご縁が繋がり、人生と夢を共有して、語り合い感じ合い、時にはぶつかり合いながらも、この未知の扉の前までようやく辿りつきました。ここから先は、わたしたちの心と魂が本当に望む人生を生きる、そのような時期に入っていくのでしょう。

 わたしたちの魂は、何を語りかけているでしょうか。わたしたちの心は、何を望んでいるでしょうか。
 この3次元の世界が本当に幸せな豊かなものとなる時、どのような光景が見えるのでしょうか。
 この世界で出逢った素敵な同志の人々と共に、心を開いて未知の扉を開けて歩んでいきたいと思います。扉の向こうで微笑んでいる優しい光の天使たちに導かれながら・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2005.4.9〜18








はるのゆめ



 3月10日の新月からもう10日経って、今日は春分です。
 3月に入ってからも又、雪が降ったりして寒い日が続いていましたが、最近ようやく少しずつ暖かくなってきました。梅の花の盛りが過ぎ始めると、今度は、桜の蕾が日に日にふくらんできています。先日は、夕陽を見に行った飛鳥の公園で、可愛らしいつくしも見つけて、今年の春の到来を感じていました。

 例年、川沿いの桜の蕾がふくらみ始めると、いつも「もう少しして、この桜が満開の頃には、どんな気持ちでこの道を歩いているだろう・・」と思います。桜が咲き始めるまでは、春と言ってもまだもう少し実感が足りないようで、桜が咲くまでの間は、なんだか“心が春へと開き始める準備期間”のような気がするのです。今年は特に、3月に入っても寒い日が続いていたので、この準備期間に、心も身体も、春を迎える身支度をしていたいと思います。

 先月の東京出張で大好きなルカさんとお会いしたときにも、お互いにとても興味のあるナチュラルな衣服や草木染めなどについても、いろいろとお話させて頂いていたのですが、先日も、ある冊子の誌面に、とても美しい色合いの桜染めのシルクのショールが掲載されていて、思わず見入ってしまっていました。桜染めというのは、春に桜のお花が咲く前の小枝を使って染める技法なのですが、桜の小枝からこんなにも美しいピンク色が染め出されるとは・・と、本当に驚くことしきりです。「桜のピンクは花の咲く前の小枝の中に潜んでいます」と説明文に書いてあったのですが、春の間際の桜の木の内側で、淡いお花の色までもが用意され作られていることの素晴らしさを、その時、あらためて深く感じました。春の夢のような桜の満開の姿は、それがまた今年も美しい形となって現われるずっと前から、桜の木のなかで大切に大切に作られていたのだと思うと、何ともいえない感動を覚えたのでした。

 今、私の心の中にも、今年の素敵な夢が日に日に育ちつつあります。時にはまだ、夢のかたちが定まらないような気持ちになることもありますが、それでもやはり、一人ではなくご縁のある方々と確かに繋がりながら、まぎれもなく一歩一歩、未来へと歩んでいることを日々感じています。

 あなたがこれからの未来に咲かせたい花は、どんな色、どんな形、どんな香り、でしょうか。この地球で、夢と希望という幸せの花々を育てていくための力を授けられた多くの人々が、今、静かに歩み寄り、心を集わせて、夢の開花のエネルギーを蓄えているようです。そして、わたしたちは確かに、その運命の道で出逢います。2005年の春、意識の眩しい煌きの中、『はるのゆめ』の物語を、ご一緒しませんか。ひとつのかけがえのない出逢いから色とりどりの夢のストーリーが紡ぎ出されるように。春の花咲く日に、愛と夢と希望をたずさえて・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2005.3.10〜20






目覚めゆくもの



 2月9日の新月に、ちょうど新しいプロジェクトがスタートし、その後バタバタと東京に出張、帰ってから来客も多く、あっという間に日々が過ぎてしまい、もう満月も近くなってしまいました(^^ゞ(いつも新つぶをご覧になって下さっている皆さま、ごめんなさい!来月からは、もう少し早く書きたいと思います〜m(__)m)

 年頭の新つぶにも書かせて頂いたのですが、今年は個人的にも非常に“変化拡大の年”といった感が強く、新しい流れと動きが押し寄せてくるようで、この流れの中で、自分がどのような変化と脱皮を遂げていくのだろうか・・とよく思います。時折、睡眠不足などで気持ちに身体がついていかない時もありますが、今年は動きの中で新たな経験をさせて頂いているような気がします。又、ご縁のある方々との交流の中でも、お互いに学び合い助け合い、心から本当に望む夢をご一緒に実現していくための土台が昨年までに整ってきて、今年は、晴れてそのコラボレーションを実現する年であるように感じています。これまで、それぞれに経験を積みながら模索してきたことが、本当に良い形で結びつき合って、新しい協力体制を実際に進めていける時期に来たような気がするのです。今、並行して様々なコラボレーションが始まっていますが、先日伺った東京でも、以前から大変親しくさせて頂いている、るみねこさんやルカさんとお会いして、美味しいお食事やティータイムを楽しみながら、仕事の中で、日常で、高まるスピリチュアルな意識の中で、感じること・思うこと・考えていることを沢山語り合うことが出来ました。そして、今までよりもさらに強い心の絆を感じて、未来の夢を率直に語り合い、確かめ合うことができました。それは大切なことを心から分かち合える幸せをつくづく感じたひとときでした。2000年の頃から特に、沢山の素敵な出逢いを頂いてきましたが、その1年1年の積み重ねの先に、今年のダイナミックな動きもあるように思います。そして、すべて必然の時に出逢い、起こることすべてが人生の贈りものであることを、今、あらためて感じています。

 そして最近は、昨年から弊社がお付合いさせて頂き、今年2月から私が本格的にお店のプロデュースに入らせて頂いている上本町にある老舗の自然食品の会社にお伺いしています。こちらの社長さんは、20代の若さで実質上の2代目を継がれ、会社とお店の改革に取り組んでこられた方で、その後20年を経られて、今、自然食品業界に新しい風を巻き起こすべく、相互協力態勢で新しいプロジェクトのプロデュースをさせて頂いています。こちらの会社にお伺いして、社長さんやスタッフさんとお話をさせて頂きながら、新たな夢に向かう途上の日々の沢山の小さな幸福を感じています。こちらの社長さんの純粋で誠実なお人柄のお蔭で、今回のコラボレーションにあたっては、本当に嬉しいことに、経営者ご自身の人生の流れと天与のエネルギーを知るという本質的な事柄からスタートさせて頂きました。元来お持ちであったリーダーシップを、これからさらに大きな輪へと広げていかれる使命を担われることを再確認し、自然にそのイメージが仕事に繋がっていっています。このことからも、今後、ナチュラルなビジネスに関わる多くの方々の心が繋がって、大きな夢を形にするコラボレーションが実現していく可能性を感じています。

 又、現在、個人セッションは、金曜・土曜を主体にさせて頂いています。セッションの際は、なるべく時間に余裕を持ってお待ちしたいので、ご予約下さった皆さまが、ゆったりとしたお気持ちで楽しいことも苦しいことも時間を忘れてお話して頂けたらいいな・・といつも願っています。先日も、セッションにいらして下さった方々が、1月の京都幸塾全国大会のブースにも遊びにいらして下さって、本当に嬉しいかぎりでした。2003年からライフチャート、そして2004年から個人セッションをスタートして、いつも思うことは、このご縁もまた、ずっと末永くお付合いさせて頂くような、必然の出逢いを頂いていることをつくづく感じています。人生は、天の配分という何とも美しい不思議なデザインで彩られていて、様々な入り口から門戸から、出逢うべくして出逢う方々との絶妙なタイミングのご縁が授けられていることに、いつも深い感動を覚えるばかりです。

 駅に向かう川沿いの道で、蝋梅の薄いレモン色の透明なガラス細工のような花びらが風に揺れています。まだ肌寒い早春に、心の中に目覚めゆくものを温めています。素敵なご縁で出逢った大好きな人々と、互いを見つめあう瞳の中に、今まぎれもない愛が輝いていることに、感謝の念を捧げます。柔らかに優しい気持ちが通じ合う心、鮮やかに広がる夢を映してくれる笑顔に、ただただ生きている幸せをかみしめています。赤や白や桃色の匂うばかりの美しい梅の花も一斉に咲き始めてきました。春はもうすぐ。それまでどうぞご自愛くださいね。大いなる宇宙のサポートと共に、すべての生命が眩しく輝く春へ!・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2005.2.09〜21







生命の祝祭

2005年の朝日



 
 新年明けましておめでとうございます。
 2005年が始まりました。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 1/10の新月の日に、深い微笑を湛えた上品な60代の女性がセッションにいらして下さいました。この女性は、昨年ご紹介でセッションにいらして下さった30代の可愛らしい女性の方のお母様で、ずっとご奉仕の活動もなさってこられた非常に真摯な方でした。私も自分の両親と同じ年代の方とお話させて頂いて、この日、また本当に沢山の学びと人生の深さを感じさせて頂いていたのですが、この世はなんと多様な人生の道と生き方と幸福があることかとあらためてしみじみとかみしめた1日でした。

 今年は個人的にも変化拡大の年に入ったこともあり、年明けからも新たな動きと流れを感じています。先日の15日(土)には京都で開催された幸塾全国大会にブースも急遽出展させて頂きました。今回急な出展のために準備もバタバタで寝不足にもなっていたのですが、この日、本当に一日中ワクワクして、とても楽しい1日を過ごしました。今回は、今年から有限会社ナチュラルマーケティングのスタッフとして関わってくださるUさんという大好きな女性の方とブースにご一緒にいて、私も主人も本当に心新たに一年をスタートできる喜びを分かち合うことができました。又、顧問先の方やビジネス系のMLで素敵なご縁を頂いたミネラルサイエンスという会社の方々にも、急なお話でしたが大変快くご参加頂いて、それぞれの開発商品やお取扱い商品を展示販売して頂きました。今回の展示販売でお互いが応援試し合い、協力し合うことで、幸せも結果も倍増する喜びを実感することができました。

 又、年に一回の全国大会は、幸塾系の人々の社交場&社交界?のような場なのですが、沢山の友人・知人にもお会いしました。2003年1月の幸塾で初めて出逢い、可愛い弟と妹のように思っている、おかもっちやようこちゃん、美人アロマセラピストのあきさん、皆の人気者の奈良のおじきさん、いつも前向きでパワフルな谷農園のおぐらさん、昨年のセッションにいらして下さった優しく可愛いらしいKさんと上品で優雅なMさん、すらりと長身でモデルさんのようななおなおさん、美味しいシフォンケーキの優しい笑顔の山岸さん、事務局長のダンディな熊谷さん、ニコニコ仲良しご夫妻のアムリットさん・・・と挨拶したり談笑したり握手したりするたびに、いつのまにかなぜこんなに多くの素敵な友人・知人に囲まれているのだろう・・と、その日その場にいる幸せと不思議をつくづく感じていました。知らぬ間に、人は人生の流れに乗って、(船井先生がよくおっしゃっているように)必要必然ベストの時に素敵な出逢いを重ねているのだとあらためて思いました。

 その後、車で自宅へ帰る間、帰ってからもまだ少し全国大会の余韻が冷めないようで、今年の新たな風を心に感じていました。昨年にはまだ動き出せなかったことも、なぜか今年は自分の中でも、周りの人々とご一緒にいても、今、何かが動き始めていることを感じます。全国大会の本田健さんのお話、また「きっとよくなる」の新著の中でも、仕事のなかで、家庭のなかで、共に生きる幸せとは一体何なのかということを、とても自然に肩の力を抜いて問いかけておられました。人生を本当に慈しむように楽しみ、皆で幸せに生きていく世界へ、今、人々の心と意識はどんどん惹かれていって向かっているように思います。一方では戦いと悲しみがあっても、それでもなお、人類の永年の望みである心の平和と、幸せで豊かな世界の創造への思いは、いつも私たちの希望の灯として、胸の奥に灯り続けているのでしょう。

 2005年の今年、あなたに、どのような素敵な出来事が起こるのでしょうか。
一日一日一瞬一瞬を慈しみ、お会いする方々との時間を楽しみ、自然と喜びに満ちてふれ合いながら、わたしもずっと、“その時”を待っています。人々が無意識の深い眠りの底から共に次第に目覚めて、この3次元の世界に心豊かな地上の天国が現われ出でるその時を。そして、わたしたちの心と身体と魂が、あますところなく繋がるときがきっとやってきますね。その時は、地球のシフトの生命の祝祭、みんなでお祝いしましょうね。宇宙の永遠の時に抱かれて出逢った素晴らしい仲間たちと一緒に・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2005.1.10〜20





愛の光 生命の微笑

 


 12/12の新月の日から早や10日、今日は冬至です。
 新月の夜に、まだはっきりと言葉にならない想いを、この間、心の中で温めていました。
今夜は、今年1年を振り返りながら、心のままに書いてみたいと思います。

 先週は、昨年のクリスマスイベントからちょうど1年経って、また関西にご旅行に来られた仲間の方々とお顔を合わせる機会がありました。奈良のおじきさんことYさんが機転をきかせて下さったお蔭で、見晴らしの良い春日山のあたりを散策したり、由緒ある奈良ホテルのクラシックで優雅なティールームで、皆で夕暮れのひとときを寛いで楽しませて頂いたり・・と心癒される時間を過ごさせて頂きました。1年の経つのは本当に早くて、昨年のこともまるで昨日のことのようにありありと思い出されるのですが、しかし、今年の皆さんのお顔を見ていると、やはり2004年のそれぞれの着実な歩みをまたあらためて感じさせられた貴重な1日でした。

 また、先月にも書かせて頂いていましたが、今年は夏に事務所をオープンさせて頂いたことが本当に幸せで、又、ご縁のある方々との心の交流が、今までよりさらに深く信頼の絆で結ばれていったことが何よりも嬉しく感じた1年だったと思います。そして、そんな深い信頼の絆も、日々の小さなやりとりや、心と心が一歩一歩まっすぐに向かい合うことの積み重ねによって出来ていくことを、あらためて気づかされた1年でもありました。今年の成果として特に大きなことは出来ませんでしたが、心と現実が昨年よりもさらに距離を縮めて近づき、これから開花していく未来の夢の土台が出来てきたように、今、感じています。


 そして、最近は、個人セッションも口コミで素敵なご縁のまたご縁を頂くことが多くなり、人のご縁のつながりが何とも温かい気持ちになり、とても嬉しく感じています。セッションをさせて頂くたびに、いつも心の底から感じることなのですが、その方が個人セッションをお申し込みくださった時、たとえどのようにつらい苦しいお悩みを抱えておられようとも、そのお決めになった時点で、すでに自らの意志でコミットメント(決意)して「ギブ(与えること)」なさっておられるのだと思います。セッションでは、その方の真の姿、天与の素晴らしい資質を明らかにすることのお手伝いをさせて頂いていますが、本当のところは、その人が自らの人生を大切にすることの許可を与える「ギブ」の波動に対して、「自らが出した波動が返ってくる」という宇宙の法則が働いているように思うのです。セッションにいらして下さった方々との貴重な出逢いによって、いつも私も深い示唆を与えられ、言葉では到底表現しえないような人生の不思議を感じさせて頂いています。

 しかし時折、様々な場で、ずっとコミットメントできないままに模索しておられる方とお会いする時もあり、そんな時、何かやるせない気持ちで自分自身から目をそむけようとなさっておられるように感じて、とても残念に思うこともあります。安易な方向へと自分をごまかしてしまうと、周りの方からエネルギーを奪ってしまうような「テイク(取る)」の波動になってしまいますが、そうするとどうしても、そのご自分が出された波動がそのまま返ってきてしまうので、残念なことに人生の愛と幸せの贈りものが中々受け取りにくいことになるように思います。でも一旦、ハッとそのことに気づかれて、自らの人生に「YES!」と幸せの許可を与えられると、又ダイナミックに変化の波に乗っていかれるのだと思います。人生ではいつのときも誰にでも平等に機会が与えられていて、心を開いて素直に受け取ること、そして気づいた時から、自らへ世界へ人々へと積極的に与えていくことで、多くの幸せが自分にも周りの人々にも降りそそいでくるように思います。そして、私もまた必然の出逢いが真実の鏡となって下さり、そのお蔭で、日々数えきれないほどの学びと喜びを頂いていることを、とても感慨深く思います。


 そして先日、電車の中で、忘年会のお帰りなのか、50代位の方が車内で足を投げ出して幼子のように床に座りこんでおられたのですが、酔いとお疲れが一緒くたになって、上を向いてまるで天に向かって救いを求め、無防備にご自分を投げ出しておられるかのように見えて、「天の恵みが降りそそぎますように」と願わずにはいられませんでした。今、この地球と共に、変容の真っ只中にいる私達は、シューマン波やフォトンベルトの波動の変化にさらされ、心と身体があまりの変化についていけない時もあるかと思います。しかし、いつもどんなときも、私達は宇宙の中でずっと永遠に育まれている存在であり、そして長い歩みの中で次第に成長し進化を遂げて、魂の夢を自らの生命で自由に体現していく存在であることを、しっかりと受けとめて生きていきたいと思います。


 2004年もあと残すところ10日ほど、先日にセッションにいらして下さった女性が、「今年最後の一秒まで、出会いや変化や、あらゆる呼びかけに耳を澄ましながら、精一杯過ごしたいと思います。」という素敵なメッセージを贈って下さったのですが、彼女がご自分の人生を深く捉えられて嬉涙をこらえて仰ぎ見られたお顔は、人の持つ無限の可能性と美を、私の心にまたひとつ大いなる感動と共に刻み込んで下さいました。

 私達は皆、それぞれの素晴らしい資質を贈りもののように持って、この世に誕生しました。
人々の愛の光と生命の微笑は、地球を癒し輝かせるための魔法の玉手箱。2004年の聖夜には、魂のプレゼントのリボンを解いて、この世界に共に生きる幸せを祝い合いましょうね。この星で出逢うすべての魂に、心からの愛と感謝と祈りをこめて・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2004.12.12〜21



 


世界平和と成功出世

明日香の小さな公園

 
 11/12の新月の夜から3日、いろんなことを感じ、考えていました。
 
 11/11の夕方から夜にかけて、上本町の事務所にお二人の来客がありました。お一人は、夏から時々事務所に来てくれている20代の男性のYさんで、今回は前回のお礼にと仲間たちと自然農法で作られた立派なお芋を持参して、夕方の5時半頃に事務所に来て下さいました。そして、もうお一人は主人や私も数年前から親しくさせて頂いている50代の女性のUさんで、今年はライフチャートや個人セッションもお受けくださって、その後もずっと親しくお会いしたりお手紙やメールなどで交流させて頂いていました。その日、Uさんが珍しく急なメールで「どうしてもお届けしたいものがあって」とおっしゃって、夜7時前に事務所にいらして下さいました。実は一週間ほど前にも、少しご相談があって、奈良で主人と一緒に、Uさんとご友人とお会いしていたのですが、今回は何かいつもとは違った不思議な感じがしました。

 その日お二人が来て下さる時間が重なっていて、なんとなく遅くなりそうだったので、夕方に先に来てくださったYさんと一緒に、あわててちょっと夕食の為に足りないものの買い出しもしてきました。YさんとUさんは、昨年にもプロジェクトInfinityのクリスマスパーティーにお二人ともいらして下さっていたのですが、その時は沢山の方々がおられましたので、お話されたことはなかったようでしたが、今回、同じ日同じ頃に事務所にいらして下さったご縁で、初対面のお二人がとってもお話も弾まれて、また素敵なご縁がつながったようでした。そして、珍しく風邪気味になっていた主人が9時頃に帰ってくるまで、私も夕食の用意もしながら、YさんとUさんと3人で、ケーキとお茶を飲みながらいろんな話に花が咲いていました。Uさんは今年、人生の転機にいらっしゃって、本当に深い思いと気づきを日々実感しておられて、お若いYさんもUさんのお話にとても感銘を受けられたようで、私もこの日の不思議な出逢いと交流に、心から幸せを感じていました。

 そして、主人が事務所に帰ってくる少し前に、Uさんが小さな包みを「お手紙も一緒に入っていますので、またご覧になって下さい」とおっしゃって差し出して下さったのですが、その時、その包みがオフホワイトに綺麗な色とりどりのお花が咲いている見覚えのあるハンカチで包まれていたので、「えっ、、Uさん、そのハンカチ・・・」と、とても不思議な気持ちになりました。そのハンカチは少し前に、友人へのお返しの品を近くの百貨店で購入した際に、パッと目にとまって素敵だな〜と思って私も1枚購入していたものと一緒で、偶然にも、その日丁度、事務所に持っていこうと思ってカバンに入れていたのです。私がハンカチのことを言うので、Uさんも「えっ・・」と一瞬戸惑っておられましたが、カバンから同じハンカチを取り出すと、お互い顔を見合わせて、びっくりし合いました。それを隣で見ていたYさんも、「不思議ですねぇ〜」とおっしゃって、また皆で笑い合っていたのです。その後、Uさんに「そのハンカチは、私も1枚持っていますので、どうぞUさんも1枚持っていてくださいね。」とお願いしましたら、Uさんもニッコリ笑われて、紙の袋に中身をまた入れ替えて下さって、あらためて渡して下さったのでした。

 そうして、またYさんとUさんがお話して下さっている間に、とりあえず夕食の準備をした私は、さっきUさんから頂いたお手紙とお届け物をもうひとつのお部屋で拝見して、また信じられないような不思議な思いに打たれて、言葉を失いました。その時、あんまり驚いて「Uさん!Uさん!」と駆け寄って、私の様子にもビックリしておられたYさんの前で、感動の涙まじりに話していました。その後で、主人も帰ってきて、Uさんからの贈りものを拝見してまた言葉を失い、その後、お二人の終電の時間までお食事をしながら尽きることなく熱く語り合っていました。それから帰りに事務所のすぐ近くにある東高津宮の前を通ってお二人をお送りし、この神社が≪世界平和と成功出世≫の神様であることをお伝えして皆で拝みながら歩いていた時に、Yさんも「僕たちが究極に望んでいることは世界平和ですよね〜!」と主人に言っておられて、この夜、皆の心が夢と希望に向かって大きく暖かく開き始めたように感じました。そして、この11月11日の不思議な幸福の巡り合わせは、先日から新しい会社をスタートさせて頂いた主人と私にとっても、驚くべきシンクロニシティと励ましを頂いた出来事になりました。


 次の日の新月の夜、昨夜の不思議な余韻が残っていて、でもそれをまだ全部消化しきれていない自分がいましたが、13日にまたUさんからの速達で小林正観さんの色紙で「運命」のメッセージがお届けされて、またもやとても感慨深い気持ちになりました。その色紙には「運命は人との出会いによって運ばれてくるもの。私の命。」というような言葉があったのですが、最近、私もずっと≪天と地と人とのつながり≫、そして、≪すべての人々、すべての生命とのつながり≫について思いを馳せていて、そのことを今、Uさんや多くの皆さんと一緒に心で感じていることを、あらためて強く思いました。

 そして翌日の土曜日の午後、少し時間が出来たので、主人と大好きな明日香の小さな公園に行って、お昼ご飯を頂きながら、ここ数日あったことに思いを巡らせながら、陽だまりの自然の中を佇んでいました。このとても小さな公園には、長椅子のようなベンチが3つと、春にフラワーエッセンスを作らせて頂いた桜の木と数本の木、また入り口の石の階段の所には、珍しい紅白の八重のお花が咲く変種の桜の仲間の木が1本あって、東のほうは山手の栗林に面しています。そして、こんもりとした小さな小さな丘みたいなところに(写真)、よもぎ、クローバー、オオバコ、みつば、ヨメナ、山フキ、セリ、はこべ、ギシギシ・・・などの沢山の種類の野草たちがいっぱい生えています。春には、ツクシもちょこんと顔を出すのですが、この小さな小さな丘には、まるですべての野草が仲良く共存しているようで、私もいつも此処に来るたびに心癒されています。この日は、主人がまだ風邪気味だったので、美しい緑色の大きなみつばとセリを頂いて、夜に牡蠣と一緒に美味しいお味噌汁にして頂きました。そして、よもぎも少し頂いて、お風呂に入れると、また薬草の芳しい香りでとても癒されるお湯になりました。

 そして、日曜日には、ここ最近の流れを振り返りながら、主人と今後の事業のことでいろいろ話し合っていたのですが、やはり数年前からご縁の中でずっと心から願ってきたこと、それはまるで沢山の野草たちが美しく仲良く共存している明日香の小さな公園の丘のような、皆が心から幸せな気持ちで働き、学び、語り合い、癒し合い、暮らしを楽しみ、人生をイキイキと生きる場所を本当に創ろう!!とあらためて深く決心していました。人生の流れと出逢いとシンクロニシティに乗って、来年から新しい幸福の場をスタートできるように、今年もあと1ケ月半の間、いろいろと準備に入っていきたいと思っています。これからナチュラルビジネス研究会という新しいメーリングリストや主人の新規のメルマガもスタートしますので、今後一層素晴らしいご縁が広がっていくことを、心より楽しみにしています。

 生命の繋がり、出逢いとシンクロニシティの不思議・・・沢山の贈りものを受け取りながら、人々の心が響き合い、語り合い、喜び合う幸福の場を、ご縁のある方々と共に創っていくことを、今、心に思い描いています。11月11日の夜、不思議な喜びの気持ちで前を通った東高津宮の「世界平和」と「成功出世」の言葉も、後から思うと、“平和と幸福の場が成りて世に出る”というような深い祈りのメッセージを感じました。すべての生命のつながりを想い、心からの愛と感謝と共に、地球の素晴らしい未来の実現を祈ります・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2004.11.12〜15







遥かな香り

 
 夏から秋へと、大きな台風がやってきては去り、またやってきては過ぎ去っていくことを繰り返して、ようやく秋らしくなってきました。10月になると、私の住む奈良の自宅にも、どこからともなく金木犀の香りが漂ってきます。それで道を通る時によく見てみると、あちらにもこちらにも、家の脇や畑の側に、金木犀の木が本当に沢山植わっているのです。その金木犀の木の形も、丸く剪定されたもの、四角になっているもの、枝と枝が離れているもの・・など、本当に様々な姿をしています。そんな沢山の金木犀の香りがふわふわと風に乗ってやってくるのか、ベランダのガラス戸を開けると、あの何とも懐かしいような香りが漂ってきます。天の香具山近くの神社にはとても大きな美しい金木犀の木があって、星のような小さなお花たちが散っていく間際に行くと、爽やかな秋風が吹くたびにそれはそれは素敵な香りに包まれるものです。
 それと梅の木などでもそうですが、1年の内でお花が咲いている時期はとても短いのですが、その間、「あぁ、近くにもこんなに沢山の梅の木があったんだ・・」と思うように、金木犀もあのオレンジ色の小さな花々が可愛らしく咲いて、甘い香りが漂ってくると、いつも「はっ」として、こんなに沢山の金木犀が植えられていたことを思い出すのです。そして、お花たちが咲いてくれたことで、近くにあるのに気づかなかったことに気づかされたような、今まで見えなかったものがハッと急に鮮やかに見えてきたような、いつもそんな新鮮な発見と喜びを頂いているような気がします。

 また先日、あるビジネス系の集いで知り合った方で、ご自身が聴覚の障害をお持ちであることから、耳と聴覚とコミュニケーションに関する事業を立ち上げていらっしゃる方とお話する機会がありました。彼が事務所にいらして下さったのですが、ひとつひとつの言葉を本当に真剣に聞こうとなさっている姿がとても清々しい印象を受けました。彼は小さい頃は手話をなさっていたそうなのですが、最近では高性能の補聴器が出来たので、それによって会話をなさっているとのことでした。それで、彼の今後の事業のことを伺いながら、私も思いついたイメージやフラワーエッセンスのことをお話したり、以前にお付き合いさせて頂いた企業でも販売されていた右脳と聴覚を高める機器のことをお伝えして、又、これまでの人生で感じておられたことも少しお聞きしました。様々な人生の環境と生い立ちをお聞きすることは、私にとってもやはりとても勉強になると共に、皆ひとりひとり違っている存在の尊さをあらためて感じるひとときでもありました。夕方の5時過ぎに来られて、ひとしきりお話した後でふと時計を見られて、「えっっ?!もうこんな時間に・・」とおっしゃったときには8時を過ぎていました。いつも事務所にいらして下さった方々が、セッションやお話の後でふと時計を見られた時に、あまりに時間が早く過ぎていてとても驚かれるのですが、私もいつも本当にこの時間の早さには驚いています(でも元々、時間を無視しやすい性格のため(笑)、あんまりこたえてなかったりしますが(^^ゞ)。しかし、時空を超えて出逢った魂達が広大な宇宙の中で喜びに満ちてコミュニケーションするような幸せを、この3次元世界で、これから多くの人々が共有できたら本当に素晴らしい!!と思います。


 世の中で起こる様々な事件を報じるニュースが流れるときには悲しい気持ちになることもありますが、又、ご縁のある方々とお会いしているときに、過去には体験できなかったようなスピリチュアルな感覚がごく自然に伝わり合って、お互いの意識が相互に交流していることをよく感じます。そんな時、言葉では到底説明できないとても微細なエネルギーが循環しているようで、私達にいつも何かしら大切な気づきを与えてくれています。そして、皆それぞれひとつの個性をこの心身に宝物のように持ちながら、生きて存在していること自体に、とても不思議な幸せが満ちていることを感じます。人間は、いかなる存在か。そして何処から生まれきて、そして何処へ向かうのか。このような究極の問いには、私達の無邪気な喜びと、柔らかい心と感性が、「こっちよ〜こっちよ♪」って、その都度可愛い手招きをして道案内をくれるのではないでしょうか。
 
 私達が遠い昔にどこかで出逢っていたような懐かしい記憶を経て、また生まれ変わりつつある新しい風が吹き始めたこの世界で、今この瞬間が創られていることに思いを馳せています。金木犀の甘い香りの中、ふと、遥かな永遠の中の一瞬が微笑んだような気がしました。神無月の新月の今宵、沢山の生命達と共に、地球に生きる人々の幸せと微笑を夢見て・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2004.10.14






あなたのままで

☆☆ありがとうございます☆☆

 
 8月の新月から、あっという間に9月も半ばになりました。先日から、川沿いの道や田畑の脇に、真っ赤な燃えるような彼岸花が咲いています。毎年、お彼岸近くになると、この鮮やかな緋色のお花が秋の到来を告げるように咲き始めるのですが、今年は咲いた後からもうすぐに枯れかかっていたりして、なぜか彼岸花が咲き急いでいるような気がしました。しかし、季節の移り変わりの一瞬に、緑の風景の中で、命の炎のような鮮烈な美しさを垣間見せてくれるこのお花達も、人々の心に生命のメッセージを運んできてくれているような気がします。

 8月より上本町のアットホームな事務所をオープンして、新月の今日も、事務所にて個人セッションをさせて頂いていました。男性、女性、様々な年代の皆さまがいらして下さるのですが、本当にひとつとして同じものはない、皆さんのかけがえのない人生を、私もまたご縁を通じて出逢った「贈りもの」のように感じています。そして、私がこの個人セッションでも密かに?楽しみにさせて頂いていることがあるのですが、それは、セッションの休憩タイムに、以前にめもでも書いていた「有機栽培お飲み物メニュー♪」をお渡しさせて頂いて、その際に選んで下さるメニューをお聞きするたびに、毎回とっても新鮮な気持ちになります。こんな風に書くと、なんとなくヘン(笑)かもしれませんが、皆さんがそれぞれに選ばれるお飲み物が、いつもどれも「その時にぴったり」という気がして、また「その方らしくて素敵!」と感じるのです。皆さんが選んで下さったお飲み物を、2人分作って、いつも私もご一緒に頂いているのですが、まるでその方の素敵な個性の一側面を、分かち合わせて頂いているような気持ちになるのです。

 今日は、とてもエレガントで華奢な、楚々とした魅力をお持ちである年上の女性がいらして下さっていたのですが、彼女が選ばれたメニューは、ラベンダーのハーブティーでした。そのときもまた、清々しい香りのラベンダーが彼女に本当にピッタリ!と、心中嬉しくなっていのですが、ふと、淡いピンク色の薔薇のお花のつぼみがそのままの形でハーブティーになっているローズバッツもあったので、「こちらで少しブレンドしてよろしいですか?」とお聞きして、ラベンダーやローズバッツ、そしてエリカ、ミントなどをブレンドしてハーブティーを入れました。ガラスのポットの中は、淡い紫のラベンダーの周りを、薔薇の小さなつぼみや他のお花が優しく取り囲んでいるようで、とても賑やかで一層甘い香りが漂っていました。そしてお菓子と一緒にハーブティーをお飲みになっておられる彼女の姿を見ていると、ずっと人生を真摯に生きてこられた美しさとともに、まるで小さな少女のような可憐さを感じたのでした。又、いつもはとっても食いしん坊の私なのですが、事務所にお客様がいらして、お菓子とお飲み物を召し上がっておられるときにはなぜか、胸がいっぱいのような不思議な気持ちになって、それを眺めていることがよくあります。大人になった人々の心の中に見え隠れする小さな子どものような存在が、ニコニコと無邪気な顔で嬉しそうにおやつを食べてくれているような、そんな気がするのでした。

 又、今日は素敵なお届け物があって、今年取材にもいらして頂いて親しくさせて頂いているMさん(HNるみねこさん)から、ピンクの薔薇のプリザーブドフラワーのアレンジメントと、ワインのセットのお祝いが届いて、すごく感激していました。プリザーブドフラワーは、生花が新鮮なそのままの形と瑞々しさを保つように特殊加工されたものなのだそうですが、色合いも姿もとっても可愛らしく、薔薇のなんともいえない優雅な甘い香りがします(上の写真です)。Mさんの優しい温かいお心遣いが本当に有難くて心より感謝していました。ちょうどずっとお部屋用の天然の薔薇の香りのものやアロマを探していたりしたのですが、新月の日に素敵なお届け物がやってきて、また不思議なシンクロニシティの喜びも頂いた気分でした。


 これまでに素敵な出会いを頂いた皆さんやライフチャートやセッションを受けて下さった方々と、ずっと心地良い間隔でメールをやりとりさせて頂くことがよくあるのですが、その中で送って下さるメッセージを拝見しているときも、相手の心と意識と個性の美しさにハッと目を見張り、また心からの共感と尊敬の気持ちが湧き上がってくることが最近本当によくあります。人生は、ふと気づいてみると、不思議な出会いの連続でできていて、その中で沢山の交流が行われているわけですが、その交流の「質」というものは、心を開いて関わっていくごとに、どんどん限りなく素晴らしいものになっていくのだと思います。対話の中で、お互いの魂がふれあいながら、大切なものを見つけていくプロセス、そして自分に与えられているものを、人が気づかせてくれた時には、赤ちゃんのような素直な心で「ありがとう」と受けとる気持ち。そんな中に、人生の稀有の宝物が煌いているような気がします。

 新月の日から、また新しい種が小さな芽を出し、育ち始め、茎を伸ばし葉をつけて、開花へと準備を始めていきます。この世界に生まれてきた、あなた自身の愛と美と生命の贈りものを、どうぞ心いっぱいに受けとってくださいね。あなたはあなたのままで、この世界から沢山の贈りものを受けとって、そして沢山の愛を与える存在となられるでしょう。人々の天与の資質、様々に美しい煌くような個性と才能と本質が、天と地と人のエネルギーに支えられて、この世界に健やかに花開きますように。長月の新月の日に、心からの祈りをこめて・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2004.9.14




新しい生活

 
 残暑お見舞い申し上げます。お盆明けの8月の新月の夜、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 8月も半ばになり、先日からずっとめも(日記)でご報告していた事務所も、ようやくお客様を迎えられるようになりました。これからまだまだ「ここをこうしてみよう〜」とか思いつく度に、細部はいろいろと変化していくと思いますが、とりあえず土台が整った・・というのが、今の正直な実感です。そして、先月末にプレオープンしましたナチュラルビジネスサイトでは、先日ようやく個人セッションのお知らせもさせて頂くことが出来ました。又、早速ご予約も頂いて、とても嬉しく思っております。ありがとうございます。これから、土日のセッションもさせて頂くことになると、また今までとは違った感覚の生活になってくると思うのですが、今何か、今年の新しいサイクルが動き始めていることを感じています。

 これからの新生活の中で、とても自分自身の学びになるのではと思っていることが一つあります。それは、今まで仕事をしてきて、私のような本来はのほほんとした性格の人の一番のテーマ・難関だったのは、仕事と家事の両立だったのですが、先日アットホームな事務所をオープンして、必然的にまたまた事務所の家事(お掃除など)も発生してしまいますが、何かそれもまた「楽しい!」
とさえ思えるような心境になってきました。過去の隠居人の人生の時代から十年弱、私になりに少しずつ少しずついろんなことがスピードアップしてきたように思います。そんな自分のことが、なんとなくちょっと他人事みたいで、とても可笑しくなったりする時もあるのですが、新しい生活に少しずつ馴染んでいく自分を、今はゆっくり見守っていてあげたいと思います。

 そんな訳で、今回のつぶやきは事務所のことが多くなってしまいましたが、私にとってこの事務所は、ご縁のある皆さまとオープンに一緒に過ごす場が出来た・・・一番にそんな思いがありました。もうひとつの家庭、魂のご縁でつながった家族・・・お互いの心と人生と生活の喜びを分かち合いながら、共にひとときを過ごせる場をずっとイメージしてきたのですが、ようやく本当にオープン出来て、とてもとても感慨深く思っています。そして今後は訪れて下さる皆さまと共に、この世に生きている幸せで一日一日を彩っていきたいと思っています。

 蝉の声に秋の虫の鳴声が混じり、夏から秋へと、心に映る景色もまた美しく変化していくこの季節。葉月の新月の今宵に、人生の不思議な巡り逢いでお会いできる皆さんとの幸せなひとときを想いながら、ただただ人生が、生命が、私たちに与えてくれる素晴らしい体験に心より感謝いたします・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆
 

2004.8.16






未来に咲く花

 
 7月に入って事務所の準備も始め、日々が瞬く間に過ぎていくようですが、先日、家具を購入した通販の雑誌で、いわさきちひろさんの子どもとお花の絵の小さなアートフレームが掲載されていたのをふと見つけた時、何かとても大切なことを思い出した気がして嬉しくなっていました。いわさきちひろさんの絵は私の祖母も大好きだったので懐かしかったのですが、その時その絵を見ていて、とても感じたことがありました。
 今まで仕事をしてきた中で、時折ひょっこりと出てくる私自身のテーマというかトラウマがあります。それは「様々なことをやっていくためにはもっと賢くならなければいけない」といった思い込みなのですが、30代の間はどうしてもこの壁を超えることができずにいました。10代の頃の受験勉強の影響もあってか、どこかにまだ知識偏重のところが残っていたように思います。しかし、そんな時も心の奥ではいつも、神聖な無邪気さ“innocence”に本当の愛と智慧が隠されていることを感じ、二極の間を揺れ動いているような感覚を覚えていたのです。しかし、いわさきちひろさんの絵の中の、赤い花や黄色い花に囲まれてこちらを見ている、つぶらな瞳の小さな子どもの姿を見た時、わたしたちの本来の資質の中に、その幼心の中に、全ての答えがあることを、もう一度かみしめる様に思い出したのでした。

 又、個人セッションでも、本当に多くの気づきを頂いています。セッションでお会いした方々の夢をサポートさせて頂いて最近特に感じていることがあります。人生のテーマと向かい合う時には、誰しもご自身の核心とも向かい合うことになるのですが、そんなプロセスを経て、自らの生を尊ぶことを見つけられた時の人の姿には、本当に深い感動を覚えます。人が悩みながらも夢を持ち、その夢の花を咲かせようとした時、同時にまた、心の癒しも起こっているのだと思います。勇気を持つことは、この世界や人々と深く関わり合うこと。夢を夢のままで終わらせることもできるけれども、その人自身が心から望んでいる未来を勇気を持って選択する時、その愛と意志のエネルギーによって、夢は本当に実現に向けて動き始めるのです。そして魂は真の人生を生きる喜びに
満たされ、沢山のシンクロニシティをプレゼントしてくれることでしょう。

 未来に色とりどりの夢の花々が咲き誇り、人々が花の園に佇んで語り合う姿は、そんなに遠いことではないように思います。今、その美しい花の姿は、人々の瞳の輝きの中にはっきりと見ることができるのです。わたしもまたこの世界に生を受けて、今こうして多くの方々と共に未来の夢の花々を育てていけることに、深い感謝と喜びを感じています。文月の新月、すべての生命が健やかで幸せでありますよう心より祈ります・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2004.7.17〜18





喜びの力

 
 6月に入って、私もまた新しいサイクルが始まったように感じています。
 先日の6月8日の日は、太陽・金星・地球が一直線上に並ぶ現象〜金星の日面経過〜がありましたが、後日、この現象が『ビーナス・トランシット』と呼ばれていることを知りました。いつも心優しいメールを下さるinfinityメンバーのルカさんから最初お聞きしたのですが、とても気になったので主人にも話すと、すぐに検索でも調べてくれて、詳細なビーナス・トランシット情報を知ることが出来ました。それで次回のビーナス・トランシットは2012年に起こること、そして2004年から2012年の間の8年の期間における、愛と美の守護星である金星の影響力についての解説は、私も今まで流れとして感じてきたこととも符合していたのですが、このビーナス・トランシットというキーワードも又、これからの人類の歩み、この世界の方向性についての大きなヒントになるものと思いました。
 たとえばまた、このビーナス・トランシットの太陽と金星の合という現象の意味するところを、人間の身体に置き換えてみると、心(愛と良心を司るハートの第4チャクラ)と感情(快楽と喜びを司る仙骨の第2チャクラ)が一繋がりのものとして結ばれていくことではないかと思いました。それは、この世界を創っている精神面と物質面が、実は同じ生命の源から生まれたものとして統合されていくことをも意味しているように感じたのです。

 現代社会の中で荒み続けた人の「心」は、今、再生と破壊の2つの扉の前に来て、ようやく自らが本当に求めているものに気づこうとしています。物質的欲望のみを追求していた時代も、深いところではずっとそれを求めていたのですが、いくら追い続けても、人々はそれを実際手中にすることは出来なかったのです。過去も未来も永遠につながる幸福、それは物質的な世界だけでは実現不可能なものだからです。しかし、此処にきてようやく「心」が目覚め始めた人々は、愛を源にする喜びに溢れた人生や社会や世界を、本当は何よりも求めていることを感じ始めています。この大きな選択の扉の前では、すべての人が自らの意志として選んでいくことになるのですが、愛と喜びを源とすると決めた人々がひとり、またひとりと目覚めるたびに、本当に世の中のエネルギーがエゴからエヴァへと大きくシフトしていくのだと思います。

 金星の影響が示唆するような「喜び」のエネルギーは、ある意味、地球の変容への追い風になるのかもしれません。欲望も快楽も、その大きな素晴らしいエネルギーの使い方を誤ると破壊へと突き進む反面、その欲も望も快も楽も、それが至福へと昇華する時には、私たちの世界を再生する大きな原動力となるのだと思います。太陽の女神である天照大神を岩戸の中から導き出した天宇受売命の魅力的な踊りのように、喜びは人々をいつのまにか大いなる生命のリズムに乗せて、未来への扉を開けてくれるのでしょう。

 喜びのエネルギーは創造力の源泉。これから社会が変容を迎える時、ビジネスの場で、生活の場で、様々なかたちにクリエイトされた「喜び」がこの世界を美しく彩っていくような気がしています。そのかたちをひとつひとつ生み出していくこと、それが「本当の仕事」と言える時代がようやくやってきたように思います。今宵の水無月の新月にその一歩を記して祈ります・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2004.6.18




unity

母の日のミニバラ

 
 昨晩の新月は月のめぐりが重なっていたので、夜中に文章を書かずに静かに瞑想することにしました。最近よく雨が降っていますが、昨晩も今夜も窓の外ではずっと雨が降り続いています。でも、誰かが言っていたように、これは浄化の雨なのかもしれない・・と思いました。又、ふたたび太陽が照り輝く時には、緑も一層眩しく濃くなって、夏の兆しが見え始めるでしょう。

 unity−ユニティ−という言葉が、ときどき浮かんでくる時があります。
 調和、統合、和合、という意味なのですが、このユニティという言葉は、21世紀的な生き方をとてもシンプルに現しているように感じます。
 20世紀の資本主義は、複雑な社会の機構を創り上げて人々の暮らしを向上させてくれましたが、その反面、人々の心にあらゆる分離感を生み出していきました。その分離感がやがて戦いとなり競争となって、逼迫した苦しみや悲しみを生み出してしまいました。相反するものや対極のものが存在することで、両極の間に生み出されるエネルギーは非常に大きく、とても魅力のあるものですが、これらが分離劇を続けているうちに、次第に力とエネルギーの奪い合いが起こっていったのだと思います。そのままでは
やがて取り返しのつかない破壊へと向かっていくでしょう。
 しかし、21世紀を迎えた今、これらの分離感がようやく癒されていく時が近づいてきているように感じるのです。私たちはこの両極のエネルギーのバランスを取り、溢れんばかりの力を感じながら、周りのエネルギーとも協調して、大きな意識の変革をもたらすことができることに、気づき始めているのです。変化は見えないところから少しずつ起こってきたので、実感としてはまだまだ不足があると思いますが、水面下では様々な準備が着々となされているような気がします。沢山の不祥事が世間を騒がせたのも、変容の予兆と浄化の表れとも言えるのではないでしょうか。この流れの中で確実に言えることは、これらの事象を通して、皆が本当に正直に語り合うことが何よりも望まれてきているということです。今までの分離感を超えて、統合と調和のunityの時代へと、大いなる何かが強く後押ししてくれているような気がするのです。

 それでは、これからのunityの時代を生きる時に、私たちは何から取り組めば良いでしょうか。
 unityの統合・調和の波動は、集団の怒涛のエネルギーから発されるものではなく、ひとりひとりの内側の魂の光から静かに発し始め、それが次第に光のネットワークとして連鎖的に繋がっていくように思います。そうすると、今ここにいるこの場所から、自分の内側の光を輝かせることから、始めればいいのだと気がつくのです。私たちの心、日常の生活、家庭、仕事、人間関係の中に、unityの光が少しずつ射し始める時、今までは少しも感じられなかったような新しいフィーリングが生まれて、その感覚が広がっていくような気がします。それはとても軽やかで柔らかい自然な調和の感覚。それにつれて、また導かれるようにして数多くの出逢いが生まれてくるのでしょうね。

 夜眠る前に、すべてをゆだねる気持ちになって安堵感で横たわっていると、永遠のような微細な感覚に満たされていくことを感じるときがあります。調和の世界はもうすぐそこまできていて、人々が肩の荷を降ろして脱皮する時を待っているのかもしれませんね。この浄化の雨が、私たちの意識の滓を洗い流して、魂の奥底から美しく澄んだ光が輝き始めますように、心より祈ります。・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜

2004.5.19〜20






幸せの両性

〜万葉の森の八重桜〜

 
 最近のイラクのことでは、いろんな人々が、平和について、生命について、人間同士の関わりについて、生き方について、考えておられたことと思います。わたしもインターネットのニュースを見ながら様々なことを思い、そして、今の自分の生き方ともリンクして考えていました。人類の過去のカルマ、国家間や民族間の争い、長い報復の歴史は、本当に悲しくやるせないものですが、今回の人質の人々が解放されたように、今少しずつですが過去の世界を縛りつけていた鎖のようなものがじわじわと緩み始めていることを感じます。そして、生命の輝き、喜び、愛、許し、無邪気な笑い・・と、幸せと温かさを感じさせてくれるものは、身近なところに沢山溢れているような気がします。小さなもの、ささやかなこと、今まで取るに足らないように扱われていたものの中にも、愛と安らぎや平和という、かけがえのない宝物があることを、人間がもう一度想い出す必要があることを感じました。

 今までも、ひとりの人間の中の男性性と女性性について時々書いたことがありましたが、「幸せ」というものにも、この両性があって、それらがやがて自然に統合されていくのがいいな・・とよく思います。
 幸せの男性性というのは、自分や他の人々の自己表現や自己実現、社会との関わり・・といった面として現われ、人生の発信と積極的なイメージです。一方、幸せの女性性というのは、自分や他の人々を大切にすることや、愛すること、日々の暮らし・・といった面で、人生の受信と受容的なイメージです。
 今までの時代は、幸せや人生の女性性といった面での抑圧が続いていた歴史があり、それとともに、男性性も本来の伸びやかな自己表現の素晴らしさを失い、競争や戦いといった面で成長を遂げてきた感があります。誰しも小さな無防備な赤ちゃんで生まれてきているのに、人間社会に馴染んでいくにつれて、次第に心の壁を作り、鎧をつけて人生を送るのが普通という社会が創られてきたように思います。でも、これからは、壁を壊し鎧を脱ぎ捨てて、生命の本質を分かち合える場を創っていきたいな・・と心から思います。

 そして、幼い子どもの頃のような無邪気さも、生命力と直接ダイレクトに繋がった大切なものだと思います。無邪気さは、割り切った考えや常識や論理と対極のところにあって、一見無意味とも言えることの中にも沢山の愛すべきものや心地良さがあることを教えてくれます。今まで、友人や知人の方々から、私はよく小さなぬいぐるみやお人形などもプレゼントに頂いていたのですが、これらのぬいぐるみ達も、その小さな存在の精一杯で、人の心に愛と安らぎを伝えてくれています。そして、自然の中に出かけると、野草の蔭には虫や蟻たちの世界があったり、樹の根元に寄り添って咲いている名もないような可憐な花々を発見したり・・と、沢山の無垢な生命の姿と出会えるでしょう。私はこれらの無垢な存在達と一緒にいるのが大好きなのですが、そんな時はいつも空白になった心の中に、静かな喜びと幸福が満ちてくるような気持ちになるのです。

 自然に親しむ生き方、幸せや人生の男性性と女性性を統合した生き方の素敵な先輩として、アメリカの絵本作家のターシャ・テューダーさん(88才)という女性がおられるのですが、今まで時々拝見した雑誌などの記事の紹介では、バーモント州の山奥でガーデニングと動物たちとのナチュラルライフを送り、「歳を重ねるほど、自由になれるわ。奔放に這い回るツル植物みたいにね。」と語られていました。緑が生い茂り、花々が溢れるほど咲き誇る夢のように美しい庭を作り、糸を紡ぎ、布を織り、質素な自給自足の生活を営みながら、素晴らしく豊かな日々を楽しんでおられるターシャさん。わたしが彼女のライフスタイルで一番好きなところは、自分の着る衣服、クラシックなスカートやワンピースを大切に手作りをしておられることなのですが、ベストセラーの写真とメッセージの本「思うとおりに歩めばいいのよ」「楽しみは創り出せるものよ」からも、彼女の魂の喜びがそのまま伝わってくるようです。

 人生の喜びや生き方は人それぞれですが、でもそれぞれの人生が不思議にみんなどこかで繋がっていて、私たちはやはり、この宇宙に共に暮らしている親しい存在同士、魂の仲間達なのだと思います。そして今、みんなの内側の光が少しずつ表われ出でようとしているのを感じるのですが、これから、自己を表現するエネルギーと無垢の心が混じり合うところに、透明感を増した3次元の現実・リアリティが新しく創られていくような気がしています。
 今宵の卯月の新月、生まれ変わりつつある世界の愛と平和とともに・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2004.4.19







桜と夢屋と一願成就

 
 今年もまた桜の季節がやってきました。
 私の自宅の近くでも、通り過ぎるだけで甘美な香りを放っていた紅梅や白梅が盛りを過ぎて、淡い桜のつぼみが日に日に大きくなってきています。そして、早桜とでもいうのでしょうか、とても香りの強い種類の小ぶりの桜の木もあって、それらはもう満開になっていて、蜜を求める蜂達が忙しそうに沢山集まってきています。他にも八重のものやいろんな種類の桜があります。近くの川沿いの道の両脇には枝ぶりの美しい桜の木と桃の木が交互に植わっていて、毎年これらの花々が咲き始めると、少し夢心地の気分で散歩するのが本当に楽しみになります。

 最近はずっとHPで応援くださる方々の励ましを頂きながら、本の原稿に取り組んでいるのですが、先日のとても暖かかった休日は、主人と二人で信貴山にお参りしてきました。本当に久しぶり、数年ぶりに信貴山に行ったのですが、この日、少し面白いことがありましたのでお話したいと思います。
 午後2時頃から車で家を出たのですが、昼食がまだだったので途中でお腹がすいてきました。なんとなくその時、讃岐うどんのような冷たいうどんが食べたくなったので、主人に「行く途中で、どこかに美味しいうどんのお店があったらいいね。」って話しかけると、主人もなぜか突然、猛烈にうどんが食べたくなったようで、「信貴山に向かいながらも、うどん屋さんの看板ばかりを探している状態
」(苦笑)になってしまったのです。じつは主人が讃岐うどんの美味しいお店を一軒、知っていることは知っていたのですが、そのお店は行く途中の道からはかなり外れているので、そこまで迂回するのはやめよう、ということになりました。後は、見つかるか見つからないか分からないけど、信貴山へのルートの途上でうどん屋さんに遭遇すればラッキー!という訳です。それで結局、私と主人は「美味しいうどんのお店がきっと見つかる!」と信じることにして、そのまま信貴山の方向に向かいました。
 しかし、行けども行けども、讃岐うどんの看板なんて何処にも見当たりません。たまに、うどん屋さんの看板があっても、ごく普通の「うどん・定食」のお店やチェーン店です。日によっては普通のうどんが食べたい時だってあるのに、なんだか今日に限って、讃岐うどんみたいにシコシコしてツヤツヤ光ったうどんが食べたくなってしまった私達。「きっと見つかるよ♪」とイメージしていたのに、なかなか思ったようなうどん屋さんは見つかりません。それでとうとう私も、「もう必死で探すのやめる!信貴山に着いてからでもいいし、何でもいいよね。」と言ってしまいました。それから探すのをやめて少しホッとして、車の窓の外をぼんやり眺めていました。少し経って主人が道に迷って信号の前で止まっていた時に、窓の外をぼぉーっと見ていた私の目に、小さな可愛らしい建物の壁に『夢屋』という看板の文字が見えました。ちょっと目の悪い私が「へぇ〜、夢屋かぁ・・」と思って目を細めてよく見てみると、その下に「手打ちうどん」という文字が書いてあるではありませんか。「これだわ!」と思って
早速近くまで行ってみると、一見可愛らしいカフェのように見えるそのお店の前には、「手打ち大阪うどん」と書いてありました。讃岐うどんではなかったけれど「探していたお店が見つかったね!」と喜んで店内に入ってみると、小奇麗なカフェに和風の風情をプラスしたような雰囲気で、野の花も活けてあり、とても寛いだ気分になりました。美味しそうな沢山のメニューがあって、私が食べたかった感じの薬味をのせて頂く冷たいうどんや卵入りのぶっかけうどんもありました。生醤油うどんやぶっかけうどんと天麩羅のセットを注文してみると、ツヤツヤとした手打ちうどんがとっても美味しくて、その上、価格も驚くほど良心的だったのです。二人とも大喜びでお店を出てみると、もう信貴山のすぐ近くまで着ていたようで、イメージした昼食の願いも夢屋さんで叶い、無事、信貴山に入山することが出来ました。
 なんだか食べ物のことで妙に食い意地が張っている話になってしまったのですが、この日の信貴山に行くまでの時間は、とても貴重な学びが出来たひとときでもありました。「望みを持つ」「イメージを浮べる」「執着を捨てる」という一連の流れは、なんだかどんなことにでも通じているような気がしました。(帰り道で分かったことなのですが、この日、主人が道に迷わなかったら、このお店がある筋には出なかったようなのです。そして、ちょうど良く、ぼんやりしていた私がお店を見つけた、という訳です。。。)

 さて、その後、信貴山に到着した私達は、美しい朱色の橋を渡り、見晴らしの良い本堂でお参りしてきました。ここは桜の季節になると人も大勢訪れるところです。沢山の拝観所があるのですが、今回は一願成就の道と呼ばれる小さな鳥居が続く山道を登っていくことにしました。時間で言うと、片道30分程度なのですが、曲がりくねって急な坂が続く道を登っていると、だんだん足がだるくなってきました。しかし、そのまま休憩をとらずに小高い山の上まで登りきると、少し汗をかいた身体に爽やかな風が心地良く吹いて来て、とても清々しい気持ちになりました。山頂には、一願成就の祈願所やら休憩するベンチやらがあり、受験生のお孫さんを連れて熱心にお祈りされているお祖母さんもいらして、その方々の後で、私たちも神様にそれぞれのお祈りをしてから又来た道をゆっくり下山しました。下山の途中ではまた足がだるくなってしまったせいか、足首をぐねりかけて尻餅をついてしまった(笑)のですが、自分でもちょっと照れ笑いをしてしまった私に、
とても親切な女性(信貴山の拝殿のお世話をしておられる方のようでした)が何度も「大丈夫ですか」とお気遣いをして下さって、「(ねんざが)軽うて、よかったねぇ!」と笑顔で声をかけてくださったのでした。そんな訳で、この日は、前述のうどん店との遭遇があったり、一願成就の道を登って汗をかいたり、尻餅をついて可笑しくなったり・・・と、変わりゆく風景とともに心と身体を遊ばせて、楽しい1日を過ごすことが出来ました。

 人生の旅の途上の何時の時も、後から思えば、「それでよかった。それが必然であった。」と分かる時がやってくるような気がします。道に迷って先が見えないときも、曲がりくねった道で躓いて転んだことも、やがてそれが人生の次のシーンへと向かわせてくれる一場面であったことを、3次元に生きる私たちは自らの経験として知っていくのでしょう。
 人間は、夢を心から望むことも執着を手放すことも出来る、不思議な生き物であると思います。そして、自分のことも他の人々のことも、愛したり愛されたり、励ましたり励まされたりできる、温かい心と感性を持った稀有の存在であるように思います。
 暖かい陽気の春の日に、夢のような淡い色の桜の咲く道を散歩できることに、言葉や理性ではおよそ説明できない人生の魔法に、そして私たち一人一人の冒険の旅が創っていく素晴らしい未来に、心からの愛と感謝と賛辞を贈りたいと思います。今宵、弥生の新月の夜に、静かな静かな祈りをこめて・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2004.3.21






早春の想い


 今年も早や2月半ばを過ぎました。今日はまるで春のような暖かいお天気で、家の近くの紅梅や白梅、美しい立ち姿の枝垂れ梅の前を通ると、ふわっと花の香が漂ってきています。先日は、知人の方から春を告げるフキノトウと、ビックリ!初物のタケノコを頂きました。タケノコは「えっ、もう!?」という感じで驚きましたが、今年は何故かもう出始めているのだそうです。今まではこんなに早くに採れたことはなかったようですが、地球の変化に伴って、植物達も変化しながら、いろんなことを感じて伝えてくれているような気がします。
 桜もここ数年開花期が早くなっているようなので、今年もまた3月頃から春爛漫になりそうです。例年、この時期にまだ固い桜の蕾を見ながら近くの川沿いの道を散歩するたびに、「桜が咲いた頃には、どんな気持ちでいるだろう・・・」といつも想いを馳せてしまうのですが、これは何だか心の奥がムズムズするような、“春を待つ楽しさ”ですね。散歩はその後、川沿いの道から横にそれて大きなお家の角を曲がり、太陽が燦々と照り輝く畑の小道のほうへどんどん歩いていきます。いろんな種類の野菜やお花が元気に育っている畑を見ながら、暖かい太陽の光を背中に浴びて歩くのが大好きなのです!でも、わざわざ畑の中を突っきって散歩しているのってちょっと変かも・・(笑)とは思うのですが、足元に踏みしめる土の感触やここから見える四季折々の眺めがとても好きなので、よくこの「畑を眺めて散歩」コースに行ってしまっています。そして先日もここを歩いていて、小道を一歩ずつ踏みしめる足の感覚にじっと注意をはらっていると、“今ここに存在する生”が確かに
心身に感じられました。小道の脇には、畑の沢山の野菜に混じって小さなタンポポやクローバーや沢山の野草たちも所せましといっぱい生えていて、皆で生きているそのさまを見ているだけで、意味もなく心が嬉しく優しくほころんでくるのでした。

 ここ最近はやっと本のことに真剣に取り組み始めていますが、今、自分自身が本当に読みたい本を書いてみたいと思っています。しかし、いつも何かと助走期間が長くなりやすい私・・・(^^ゞ。イメージの中に浮かんでくる挿絵にもチャレンジしたいと思っているのですが、果たしてどんな風に進んでいくのか!?インスピレーションに導かれながら自由に楽しんで取り組んでいきたいと思います。
 そして先日ふと、「自分はどのような本に一番心惹かれて感動するのか」と思い、ここ数年愛読していた本の数々も読み返していました。その中で、久しぶりに読んでもいつも涙が溢れてくる本と言えば、「この世で一番の奇跡」(オグ・マンディーノ著 菅靖彦訳)です。この本は、世界20カ国語700万部のベストセラーなのでよくご存知の方々も多いと思いますが、1999年に日本での初版が出て、美しい朱色の細密画が書かれた表紙に惹かれて購入したように記憶しています(今は残念ながら、この表紙はシンプルなものに変わってしまったようです)。この本の中で出てくるラグピッカーの老人は、人生に翻弄され自分自身を見捨ててしまったような廃品同様の人間に「神の覚え書き」という文書を与え、生命の息吹を吹き込んで蘇らせることを生業(ラグピッカー)としていて、他であまり見られないような情熱的で温かく魅力ある人物像に描かれています。そしてこの本を読み返していて、又思い出したのが、昔20代の初め頃に読んでいたアンダスンという小説家の「兄弟たち」という短編(あまり知っておられる方は少ないと思いますが・・)でした。こちらの本は、気が狂った老人が、映画にでてくる俳優のことまで兄弟だと言って近所の人々にも敬遠されるお話なのですが、その中で老人が話している言葉が忘れられないでいたのです。「わしたちはみな、血のつながった兄弟なのだよ・・・」この本を昔は一見地味だけど心に残る短編として読んでいたのですが、この言葉は今思うと、魂のレベルでは本当にその通りなのだと、あらためて感慨深いものを感じました。

 私たちが今在ること、ただそれだけで、その存在自体の奥深くに、
この世の奇跡と言える生命の意味や、希望の光が隠されているのでしょう。そして、私たちは実は魂の兄弟であり、この地球で人生を開花することを望んで生まれてきたように思います。花の香り、頬を撫ぜる風、水の煌き、太陽の暖かさ、土の感触・・・この地球の優しさに包まれて、人々の心と身体と魂が、無垢の喜びと幸せのメロディを奏でますように、如月の新月の夜に祈ります・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2004.2.20








TRUTH


 1月22日、今宵は今年初めての新月です。
 今年になって、また昨年とは一味違った流れがやってきているようで、今、心に思うこと、気づくことが日々沢山あります。その中で、特に最近一番感じることは、みんな「本当に正直な気持ち」「真実」の方向へと向かっていることと、それに応えてくれるようにシンクロニシティ(偶然の一致)も加速度的に起こってきていることです。
 
 私も今年に入ってからのシンクロニシティに、また新たな勇気を頂いています。昨年末に心の中でほのかな気持ちで願ったことが今年になってすぐ願いが叶ったように、思いがけない嬉しい出逢いも頂いていました。そんな時、あまりに嬉しい反面、なにか夢のような気持ちもして、ちょっと頬をつねってみたくなるような時もあります。しかし、HPをスタートして以来、BBSやメールなどでの幸せな出逢いと交流にずっとずっと心励まされてきて、この出逢いと流れの中にも、私たちの心に応えて見守って下さっているような宇宙の愛のエネルギーを感じています。

 そして、この真実のプロセスの途上で、今とても大きな局面に向かっているように思います。
 「私たちの心と魂は、人生と世界に何を望んでいるのだろう」
 このテーマを想う時、もう表面的な生き方や上っ面の考え方は出来なくなってくるので、自ずと「本当の自分」を知りたくなってくるのです。しかし、世の中はまだ集合意識的に怖れに支配されているところがあり、どうしても顕在意識の中では、心と魂の本当の願いが分からなくなりやすいものです。でも、潜在意識への道案内をしてくれる心の中の小さな子ども≪
インナーチャイルド≫に「ほんとうの気持ちを話してね」って尋ねてみると、何ともいえない深い安堵感と一緒に、TRUTH−真実−が蘇ってくるように思います。

 それと、私の場合は、今までの40年間の人生の中で、この世に生きることに対してまだ遠慮していたところを、もっと積極的に参加して受け入れて生きてみたいと思っています。生きている人々の数だけ、存在している生命の数だけ、無限の愛と可能性があること。わたしも又、その人々のひとりであること。信頼感。今ここに存在する尊さを、日々の出逢いの中で、妙なる喜びと共に分かち合いたいと思います。

 そして2004年は、全国各地に小さな元気のいい赤ちゃんみたいな地上天国の場が沢山産声を上げて誕生するような気がします。それぞれの場で人々が自分自身の人生をしっかりと見つめて真実に生きる時、私たちは本当の意味で地球と共生する存在として、新しいレベルへと確実に移行していくことでしょう。そして、この旅の途上のすべての出来事と出逢いに宇宙の無限の祝福がありますように、新月の今宵に心より祈ります・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2004.1.22






愛から生まれるもの


 2003年12月23日、今年最後の新月の夜。途中まで新月のつぶやきを書いていたのですが、何か心に戸惑いを感じて、その夜は続きを書き続けることができませんでした。それから1週間の間、毎日いろんなことが起こる中で、ずっと自分の正直な心を見つめていました。「わたしは何を求めているのだろう。この世界とどう関わり、どう在りたいのだろう。」又あらためてそんなことを考え続けながら、地球に生きる一存在として、いつも心からの本当の思いを発していたいと思いました。新月を過ぎて1週間、今宵のつぶやきです。


★自分の資質を生かすことが、自分以外の人々の資質を生かすことになるか!?

 これは今、一番気になっているテーマです。ここ数年、様々なところで「ワクワク生きる」「本当に好きなことをして生きる」「運気を高める方法」といったことが、人生の真実を希求する多くの人々に浸透しているように思います。わたしも又、自分という素材を通して、この世の在り方、人間同士の関係を学んでいて、その中で気づくこと、感じること、学ぶことが日々沢山あります。そして
昨年から今年にかけて、沢山のコラボレーションが生まれましたが、今はまだ限界のある意識の範疇に留まっている感もあります。でもようやくお互いを100%生かし合う世界の入り口の扉の前に来て、これから<限界を超えていくこと>は、人類未踏の領域に入っていくことではないかと思います。
 人々が最高レベルの姿を現し、お互いを成長させていくこと。それは例えば、スポーツの世界で言うと、オリンピック競技などの卓越した場面で、単にどちらが勝ったかという些少なことではなく、生命力の極限の信じられないようなエネルギーの輝きに多くの人々が真に心を動かされるようなものです。すべての人々が心と生命をオープンにした時、その輝きとパワーは無限に広がり、想像を超えた相乗作用を生み出します。そして、最高レベルの人間関係もまた、同じような作用を生み出すものと思います。以前にも、ここでご紹介させて頂いた「光の手」の著者のバーバラ・アン・ブレナンさんは、最も美しくシンクロナイズした人間関係の状態を「コミュニオン」と呼んでおられますが、今後のコラボレーションの進化の方向性として、わたしもこの“コミュニオン”の状態を特に心にイメージしていきたいと思います。自分を尊び、相手を尊び、限界を超えていくこと。2004年の3次元の現実に、このような人々の関わりがどんどん増えていきますように。
 でも本来、人間というものはとても深いところで、誰でも皆、分っているのだと思います。本当の幸せはエゴを超えたところに在りますが、その幸せの実感は、皆「既に知っている」のではないでしょうか。本当は既に知っているからこそ、限定された幸せだけでは、何かどこか物足りなく思い、悩みながら葛藤しながら寄り道もしながら、やっぱり本当の幸せの方向に向かっていくように思います。私自身のことでは、過去生からのことも含めて、自分を犠牲者にしないこと、思いを抑圧しないこと、宇宙を信頼して心を解放していくこと・・そんなテーマに日々取り組んでいて、今生のライフナンバー8の「豊かさと力」のエネルギーは、このような気づきと思いを“3次元の現実の中でかたちにしていくこと”へと導いてくれているように感じます。来年はご縁のある方々と一緒に、お互いの資質と使命とアイディアを最大限に生かし合っていくような≪地上天国コミュニオン共創セミナー&ワークショップ≫にも取り組んでみたいと思っています。このようなチャレンジから、心を現実がまた一歩ずつ歩みより、新たな体験を創造し共有できますように願っています。


★存在という宝

 相手軸・状況対応型の典型的新月グループ的な性格のためか、私は本当のところ、今まであまり積極的に具体的な人生の目標というものを持てないで生きてきたのですが、そんなわたしでも、自分自身の最も大きな欲求としては、「自分がどのような存在であるか」ということをよく考えます。「何を成し遂げたか」ということよりも、「どう在るか」ということに対してのほうが、私の場合、人生に対するモチベーションが自然にアップしてきて、何だかとても「やる気」が湧いてくるのです。
 又、現代を生きる一人の女性としても、自分自身で仕事を始めて一番考えさせられたことは、「女性として人間として、皆もっと幸せに生きていくことはできないのか」ということでした。仕事で自立しておられる先輩女性の方々とも様々な場で出会いの機会を頂いたのですが、女性としての悩みが強く感じられることが沢山ありました。そんな時、一見パワフルな外見に隠れている小さき可憐なインナーチャイルドがひとりで泣いているような、そんな印象をよく受けました。
 昔、まだ小さな子供の頃に近所の主婦の方々が井戸端会議で集まっている時に受けた印象、それから大人になるにつれて30代40代以上の女性の表情を見つめているうちに、本当に幸せそうな人があまりいないことに気づいたときの気持ち、そんなことを
よく思い出しました。20才を過ぎた頃は、自分もこれからその方向へ向かうのだと思うと、もの悲しさと人生への怖れを感じていたものです。人生を経ていく間に、悲しみと忍耐が入り混じったようなお顔になっていく女性達。そんな表情を見つめているうちに、徐々に、自分の人生を賭けて本当に幸せな生き方を探求したいという思いがつのり始めました。そして、これは多くの女性の大きなテーマであること、又、女性のパートナーである多くの男性のテーマであるように思いました。20才から40才までのここ20年の自分の人生での実験体験の結果から、少しずつ分かってきたことがあります。私の場合は、10代の頃に一番悩んでいて青春を謳歌しきれないでいたので、その後、20代30代と意識が少しずつ目覚め始めてから、年々人生が美しく豊かに幸せになっていくことを感じました。そして今、正直に思うことは、これからもっと3次元と意識的に積極的に関わっていく中で、自分という存在の宝も、周りの人々の存在の宝も、その真の価値を味わい知ることができるように思います。いつか存在の価値を100%紐解いた時、人間はそのままで自他共に愛し癒すことのできる存在、「生きている宝」なのだと思います。


★愛から生まれるもの

 地球に、愛から生まれるものを育てていくこと。それは、長い間私たちを深い懐で温めて育ててくれている母なる地球への恩返しなのかもしれません。20世紀の終焉まで、私たちは冷たい怖れから沢山の貴重な学びを得ていましたが、気が遠くなるほどの長い間の怖れを手放すと、目覚めたばかりの赤ちゃんのような柔らかな愛に再び気づきます。今日、愛から生まれるものを一緒に育てていきましょう。わたしの好きなこと、あなたの好きなこと、あなたの得意なこと、わたしの得意なこと、そして、私たちに出来ることをもっともっと身近に語り合いながら。愛から生まれるものは傷ついた地球を丸ごと癒して、この地上に色とりどりの花を咲かせ始めるでしょう。そうしてやがては、私たちの天の故郷の喜びがそのまま地上に舞い降りたような風景が現れ始めるでしょう。今、宇宙のエネルギーは未曾有のパワーとエールを贈ってくれているので、私たちの心と意識のエネルギーが集まるところで、愛から生まれるものはすくすくと健やかに豊かに育っていくでしょう。この地球という大きな家庭で、愛から生まれるものを、これからゆっくりあなたと一緒に育ててみたいと思います・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆・。・゜★・。・。☆・゜

2003.12.23〜30





再生の一歩

 今月の11月9日(満月)は、地球を中心として惑星が六芒星を形成したハーモニック・コンコーダンスの日で、地球の意識のシフトアップ(上昇)に関する情報が飛び交いました。わたしも朝10時頃から自宅で瞑想していると、背中を通ってスーっとした涼やかな流れを感じ、地球を包む大いなる何かが静かに人々の間に浸透していっているような感覚を覚えました。それはたぶん、雑踏の中にいると全く気づかないぐらいの静かな変化ではありますが、確実にこの地球が丸ごと包まれて、意識の上昇へと導かれているように感じました。

 このハーモニック・コンコーダンスの夜、12月のクリスマスイベントにご出演して頂く吉本有里さんと下村誠さんにお会いするために、上本町でのミニコンサートに行ってきました。吉本有里さんの歌と演奏は、以前初めて聴かせて頂いた時にとても感動して清々しい気持ちになり、今回は初めて対面してお話させて頂きました。この時、初めてお話した吉本さんと下村さんのエネルギーを放つ目を見て、「どうしてこんなに繋がりを感じるのだろう・・」と、不思議に思いました。瞳の奥から魂が囁いてメッセージを送ってくれているかのような光を感じたのでした。そして、吉本さんと下村さんのありのままの生きる姿、歌う姿、無防備で温かい存在感には、何ともいえない懐かしいものを感じました。小さな子どもの頃のように、ただそのまま一緒に居て、歌いながら話しながら、生きていることを感じあうような、そんな懐かしさでした。

 私が幼稚園に通っていた頃にも、その懐かしさに通じる、忘れられない想い出があります。
それは、園児達が思い思いにカスタネットやタンバリンなどの楽器や、それからバケツやホウキなんかも手にして、『か〜ら〜す、なぜ鳴くの。からすは山に〜〜可愛〜い七〜つの子があるからよ〜〜〜』と歌いながら、幼稚園のお庭を練り歩いたことがありました。まるでブレーメンの音楽隊のような気分で、楽器やバケツなんかを叩きながら、わたしもみんなと一緒に隊を組んで歌っていると、ちょっと陶酔的?な気持ちになってきて、ただただ嬉しくて喜びに溢れていました。園児達が思い思いの音を鳴らしているので少しまとまりにはかけていたかもしれないけれど、この“皆がそれぞれに内なる喜びを自己表現しながら行進していくさま”は、今もなお、わたしの心の中で、色褪せない新鮮なイメージを与えてくれています。そして、人間の大きなテーマである『共生』ということも、本当はとてもシンプルに、こんな風に一緒に音楽を奏でたり喜び合うことから始まるのではないかと思います。

 9日の満月から今日24日の新月まで、「流れにゆだねること」「ありのままの姿をみつめること」を心にとめながら、わたしの本当の望みを探っていました。昔、「君は何を望むか」というメッセージが聞こえてきて以来、ずっとずっと自分に問いかけ続けてきたのですが、心もまた様々な変化の波に洗われて、一つずつ望みの核心に近づいているような気がします。その本当の望みは、誰しも最後にはきっと宇宙の望みと一緒になっているのだろうな〜と思います。
 昨日から今日、今日から明日へと、新しい再生の時代の足音が一歩ずつ一歩ずつ確実に近づいてきているのを感じます。私たちが過去に本当に生きたかった生、もう一度生まれ変わったら「今度はこんな世界に生きたい!」と思うような、本当に幸せな世界と人生を、これから一緒に創っていきましょうね。わたしたちの心が描くイメージのパズルが合わさって一幅の幸せな美しい絵になったとき、そこには地上の天国が目に見える3次元の世界となって広がっていることと思います。今宵の新月、地球に生きる人々がいつも天と地の愛と安らぎに包まれていますように心より祈ります・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆
2003.11.24








希望の花 変容の時


 今日10月25日の新月。前回の新つぶを書いた時から少ししか経っていないような気がするのに、あっという間にまた新月の夜が巡ってきました。
 
 先々週位からなんとなく、また自分自身の方向性を再確認する時が来ているような気がしています。内部にはエネルギーを感じるのですが、それを人生という舞台でどう表現するかというところで、まだ何か少し決めかねて躊躇してしまう私がいるようです。でも、その感情を深く探っていくと、人生を生きるうえで、大切に思っていることや、好きなこと、望んでいることが又、浮き彫りにされてきます。それは、言葉では言い表しにくいのですが、ひとことで言うと、「人生の美しさ」についての私自身のイメージです。それを、今生で本当に実現したいのか、本当に胸いっぱいに実感したいのか・・・そんな思いを今、静かに見つめています。

 人々も、地球も、宇宙もすべてひっくるめて、本当にナチュラルに自由に生きる美しさってどんなだろう。。。いつもよくそんなことを考えているのですが、この憧憬は私の最も大きな原動力でもあるようです。そして今までずっと、この望みは、運命の道を繋いで導いてきてくれたような気がします。

 でも、自分が静かに躊躇する心を見つめているときには、また様々なメッセージを人々から贈って頂くのは、ほんとうに不思議です。「与えるものが受けとるもの」「自分が出した波動は返ってくる」とよく言われますが、心が発した思いが、又いま鏡となって下さる方々から返ってくる時には、数倍も喜びが増しているように思うのです。心のこもったお手紙やメールやカキコミを頂いて、感慨深さで言葉を失い、ただじっと文字を見つめているときがあります。その人の個性とオリジナリティの美しさがもうすぐ開花されようとしている気配がして、私の心にも又ひとつ希望の花が咲いたような、そんな気持ちになります。

 そして、ここ最近の思いが惹きよせてくれたシンクロニシティの中で、幾つかの面白いことがありましたので、もう少し研究してご報告したいと思います。かつて不老不死の研究をなさって沢山の人々を若返らせた博士の情報や、「水」に関する新しい情報、11/9の満月のシフトアップ(ハーモニック・コンコーダンス)等。心が「問い」を発すると、宇宙はいつも何らかのヒントや不思議なシンクロニシティを引き寄せてくれるようです。

 11月は、わたしにとっても今年最後の変化・変容の月。愛と祈りの12月へ向かう意識の橋を渡る月。さて、来月の新つぶの夜は、どんな気持ちでいるのでしょうか。。。
 新月の今宵、宇宙の深い愛のエネルギーが地球に優しく静かに降りそそぎますように・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2003.10.25








自他の境界

 最近、何かと慌しい日々を過ごしていたせいか、夜になるまで、今夜が新月だということをすっかり忘れていた(^^ゞのですが、夜空に大きく輝く仄赤い火星の光を見ていて急に、「あ・・今夜は新月だった・・」と思い出しました。(よかった!)

 ここ数日、本当に久しぶりに、眠る前に「神の対話B 〜宇宙になる 自分になる〜」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)を読んでいました。このBの本の対話の中で、「魂はひとつであり、又、個々である」ことについて書かれているところがあって、≪魂は人の身体をオーラのように包んでいるもの・・・魂同士の境界線というものは本当はないのだが、でも、それぞれの固有の振動数(波動)によって、それぞれの身体や物質として分かれているように見える・・・≫(内容要約)とありました。久しぶりに又この本を読んでいると、いつも感じていたことが、なるほど!と明確になるように思いました。

 私は人と話しているときに、時々、どこまでが自分で、どこまでが相手なのか・・と思うこともあるのですが、そういうときはきっと魂の領域が近づいているのかもしれません。たとえば、仕事が終わって休憩している時に電話がかかってきて、相手のお話がとても沢山ありそうな時。相手のほうに意識を移すと、沢山お話されたいことがよく分かります。できることなら、ずっとお話を聞いたり、ゆっくり対話できるとよいでしょう。でも、自分のほうに意識を移すと、今度は、ほっと一息つこうと思っている自分がいます。そこで、相手軸・状況対応型のわたしとしては、どちらが本当の自分なのか・・(笑)というところで迷ってしまう時がよくあるのです。でも、こういうことをいろいろ経験した挙句の果てに、本当は自分が“どちらも”望んでいることに気づきました。
 そして、これは、これから実現しようとしている未来の理想形なのですが、「いろんな方々が自由に遊びに来て頂けるような、心からほっとできる場所を創って、そこに好きな時にゆっくりお話に来ていただく」、このイメージを思い浮かべると、先々の人間関係がとっても楽しみに思えてきます。相手を優先するか自分を優先するか、ではなくて、どちらも優先してしまえるような案は、思い浮かべるだけで自分自身がとても幸せな気持ちになります。
 たとえば、今考えているプロジェクトInfinityの事務所はそういったイメージなのですが、そんな場所で、いろんなお話をしながら、又ご飯を作ったり食べたりしたら、どんなに楽しいかな〜〜と思います。優雅におもてなし♪って感じにはきっと出来ないけれど(笑)、私もおふくろの味のお惣菜とナチュラルなお菓子作りには年季?が入っているので、いらして下さった方々と時々素朴なお料理をご一緒に食べてゆっくり寛げたらいいな・・と思っています。

 又、神との対話Bの中の言葉で、「いま、共に存在する(in the presence of)」ことは、贈り物だ、生命の真のプレゼント(presents)だ・・・と書かれていた言葉に、とても共感しました。“いま共に存在する”ことの中には、ほんとうに言葉に出来ないような奥深さを感じます。あなたと、そして、宇宙のすべてと、いま共に存在している喜び。そんな喜びを分かち合う場が、これからこの地球上に沢山生まれてくるように思います。またいつか、大好きなあなたと、そんな場所で心ゆくまでお話できますことを楽しみにしています・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2003.09.26








スピリチュアルな現実

 それぞれの人の意識がそのまま現実を創っている・引き寄せているというスピリチュアルな事象が、最近はビジネス書の中でも書かれるようになりました。その中で、わたしが最近とても愛読しているのが「スピリチュアル・マーケティング」という本で、何時どのページを読んでも、人生を生きることの面白さと、チャレンジする勇気と、開かれた明晰な意識へと導いてくれるので、移動にもよくこの本を携えて行くようになりました。
 しかし、あらためて考えると、意識というものは不思議なもので、深層意識・潜在意識になると普段気づいていないようなことも多いのではないかと思うのですが、表層の意識でさえも、それがどう現実に影響して関わっているのかについて無意識である場合も多いように思います。
 時々、ご自分のことを必要以上に卑下して謙遜してしまう方とお会いすると、とても残念で勿体なく思うことがあります。人は「可愛い、美しい、素晴らしい」と言われていると、本当に容姿や雰囲気まで変わっていくという事実がありますが、又その反対のことを自分で思っていると、せっかくの個性の美を枯れさせてしまうようです。それと同時に、いつも失敗することや否定的なことを考えていると、そのことを自分で意識して望んでいることになるので、やはりそういった現実を創造しやすくなるようです。
 今から15年ほど前、25才のお誕生日に母と主人と3人で食事をしていたときに、もっと先に40才になったら・・というようなことを話していたのですが、そのときに母が何気なく「なるちゃんも40才になったら、そりゃ年を取って、今と違う気持ちになっているから。」というようなことを言ったのですが、私が「ううん。ずっと今のままでいるよ〜」と言って、母をびっくりさせていたことがありました。そのときはスピリチュアルなことはほとんど知りませんでしたが、なんだかそう想っていることでそうなるような気がしたのです。そして最近は、「ずっと今のままでいる」よりも、「より本質的な自分を見てみたい」と思っているのですが、やはり自分に関しても「しがらみ」や「あきらめ」の意識を持たないことが、自分を本当に大切にすることにもなっていると気づきました。もし自分が「しがらみ」や「あきらめ」を沢山持っていると、人に対してもそんな気持ちが限界となってしまうように思うのです。自分を愛して大切にすることは、他の人々への愛と理解にもしっかり繋がっているのだと、つくづくそう思います。
 
 今、多くの人々が自分の心と意識と現実の関係について学び始め、気づき始めていますが、これから各人がどういった現実を選択して創造していくのかは、本当のところは私たちの自由にまかされているような気がします。ただ、人間は本当の自由というものにまだ慣れていないがために、美しい飛翔を思う存分楽しむことが出来ないでいるのかもしれない・・と思います。以前、夜中にふとエネルギーを感じて目覚めると、身体の内部が全部宇宙になったような感覚を覚えたことがあったのですが、そのとき、「自由って、震えがくるみたい・・」と畏敬の念に打たれたことがありました。でもいつかは、そんな無限の自由のなかをどこまでもどこまでも舞い踊りながら翔けていきたいと想います。その頃には、人間の形態さえも進化して変わっているような気がしますね。そして、ひとつひとつ葛藤の気持ちを手放しながら、長い間埋もれてきた人間の本当の愛の力と豊かなエネルギーをすべての人々が思い出せますように・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2003.08.28










愛の共同創造

 一昨日の7/27に、今年40才の誕生日を迎えることができました。2003年の誕生日、BBSやメールでお祝いのメッセージも沢山頂いて本当に感無量でした。1年前にはまだ出逢っていなかった方々と、親しくお話をしていることにも不思議な喜びを感じます。そして、40年生きてこれたんだな〜ということも、なんだかとっても感慨深いのですが、あまりに以前のことは夢の中の出来事のような気もします。20世紀に過ごしていた時間はゆるやかでぼんやりした輪郭でありましたが、21世紀の今は・・・何もかもが本質の輪郭が現われいでようとして、眩い鮮やかな色彩に彩られていっているような感覚を憶えます。

 6月の大阪ワクワク幸塾と7月の京都雅幸塾での経験をさせて頂いて、また心境に変化がありました。少しずつ少しずつ本当の自分が現われてきているような、本質に近づいていっているような、そんな感じがします。自分でもそんな自分の変化をじっと観ているのですが、そういうときには、周りの人々やお会いした人々からもとても大切なメッセージをいただくのです。それは、単にほめるとかけなすとかではなくって、何ともさり気なくさらっと正直に「感想」として相手に伝えている言葉なので、受けとる側もさらっと正直に受けとれます。先日も、同じ日に同じようなことを複数の人から言われたことがあって、そのことがまた自分を知るうえで、とても貴重なヒントになりました。自分がごくごく普通に言ったり行なったりしていることから、他の人を励ましたり役に立つことがある・・・人間はひとりひとりが違う個性とエネルギーを持っているので、みんながそれぞれ違う部分で他の人を励ましたり役に立つことも出来る。。。あとは、それに「気づく」だけなのだとあらためて感じました。

 こうして今の流れを自分なりに感じながら生きているのですが、時にはもっと深い認識を求めたくなる時があります。(動物占いの)新月グループというのも、とっても内気なくせに探究心は人一倍なのだそうです。すごく恐がりなのに知らない土地へと冒険に出かけて、涙ぐんだりビクビクしながら木の蔭で眠り、明くる朝、また眩しい太陽に照らされて元気に歩きはじめ、自然の景色に見とれたり、寄り道をしたり、そして交差する道で出逢った人と肩をたたいて喜びを分かち合ったり・・・最近の生きている感覚はこんな感じもするのですが、魂の奥の深い洞察の声を聞きたくなるときには、ケン・ケアリーの『ザ・サード・ミレニアム』という本を読んでいます。この本は≪新しい千年紀の聖書≫と呼ばれているのですが、これほど詩情豊かでインスピレーションに満ちた本はないのではないかと思います。最近、「天や地の愛によって豊かに生かされていくこと」についてもっと感じたいと思っていたのですが、久しぶりにこの本のページを開くと、そこには示唆に満ち溢れた言葉達が美しいメッセージを放ってくれていました。そこで、少し遠のいていた意識がまたハッキリと浮上してくるのを感じ、今が天と地と人の『共同創造』の時代であることに想いを馳せました。宇宙と地球と人の意識が、共同して新しい世界を創っていく時代。生かされながら自ら生きていくこと、受けとりながら自ら与えていくこと。そして人類が新しい進化の段階に入り、自由に生命の本質を開花させていける時代に入ってきたことを強く感じました。(この本は、読むたびごとに、そのときの意識の状態に合わせて囁いてくれるメッセージがあるような気がします)

 そして、新月の今日の再発見をひとつ。『わたしたちのなかに、いつも輝いている本質がある。それを、まるごと抱いて、わたしたちは今、生きている!』 いつもどんなときも、本質と一緒に存在しているという安堵感。そして、わたしたちの魂の本質をいつも抱いて支えてくれている身体にも、心より愛と感謝をこめて。・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2003.07.29






癒しのハーモニー


 明日から7月、2003年の夏が始まります。今日は6月最後の日で新月。何かひと区切り、というような気がしています。
 新月の夜はいつも自分の心と向かい合いながら、この「つぶやき」をつらつらと書いているのですが(笑)、そうしていると、心の奥に見え隠れしているような微かな思いが浮かび上がってくるような気がします。樹の蔭に隠れていて、時々こちらを見ているような恥かしがり屋のインナーチャイルドが、とても小さな声で囁いた一言・・・そんな思いです。
 
 今まで、自分なりにいろんな「癒し」を体験したり、植物の癒しの数々のアイテムを使ってきましたが、そうしていくうちに、だんだんその集大成?のようなイメージが出てきました。それは、代替医療や鍼灸・整体・カイロや自然療法の先生方の治療の考え方や技術と、素敵なヒーリングスペースのリラクゼーションの心地良さと、自然や植物の力を生かして作られた様々なアイテム、そして、“癒しの手”と呼ばれるレイキをはじめとする人を通して表現される癒しのエネルギー・・・そんな素晴らしい要素がみんな手をつないでいったらいいな〜と思い始めています。これらはもちろん、ひとつひとつの取り組みとしてもとても素晴らしいものですが、そのような素晴らしい癒しの数々が調和の元に循環していくと、一体どんなメロディを奏でるのだろうかと思うのです。そして、これを繋いでいくのは、やはり<人の心>だと思います。

 今夜は、“癒しのハーモニーについてメッセージをお願いします”と、新月のエンジェルに願いをこめて眠ろうと思います。ある朝、私たちの潜在意識の奥深くに眠る癒しの光が目覚め、夢に見たような優しく美しい輪になりますように・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2003.06.30









永遠の時

 ここ最近、ライフチャートという新しいお仕事を始めて、また様々な学びを頂いています。
 主に数秘術というツールを通して、いろんな方々の人生の流れを自分なりにホリスティックな見地からアドバイスをさせて頂いているのですが、あらためて「人生の不可思議さ」に感嘆の気持ちが湧き起こっています。人生の幸せ・豊かさは、もともと人それぞれに与えられていると思うのですが、その幸せと豊かさはどこまでも無限に広がっていくことができるように思えてきました。
 21世紀は、自分たちが魂のレベルで決めてきた運命を超えていくようなことが起こるような気がして、そして、様々なエネルギーがその真実の姿を現してくるように思います。今、いろんな素晴らしい情報やメッセージが沢山出てきているように思いますが、ライフチャートもその一環として、人生の本質の再発見とチャレンジのお役に立てたらいいなと思っています。

 そして、「幸せ」ということを想うとき、私の場合、こんなイメージが浮かんでくるのです。
“緑の樹々や花々や自然菜園に囲まれた建物があり、周囲には可愛らしい池や小さな噴水があって、そこから続いている小道の途中にある木のベンチに座って、大好きな方々とお仕事の新しい企画を話し合ったり、相手の目を見つめながら話にじっと耳を傾けたりしている・・・”というイメージなのですが、これが【プロジェクトInfinity】の原型になっています。このイメージを思い浮かべたとき、お仕事の話をしているのに、全然一般的な「ビジネス」という感覚はなくて、ただ愛に満ちた信頼関係の中で、心のイメージを話し合い、それを実現していくという雰囲気なのです。そして、木のベンチに座って相手と語り合っているひとときは、何というか『永遠のとき』の中に入っているような感じがするのです。愛と信頼と安らぎと仕事をMixした感じ(笑)とでもいうのでしょうか。なぜか分かりませんが、これはビジネスの最高のかたち、だと思えて仕様がないのです。

 そして今日は、ライフチャートを依頼してくださったある方から、言葉に出来ないほどの喜びをご報告を下さったメールを拝見して、私まで涙が溢れてきました。人生は素晴らしい、と思いました。私のほうこそ、いつも沢山の勇気と感動を頂いて、とてもとても感謝しています。
 又、6月・7月と大阪・京都の幸塾でお話をさせて頂くことになり、新しい経験をしてみたいと思っています。そしてまた東京のほうでもとお声もかけて頂いて、本当にありがたく思いました。そこで「情報とエネルギー」をシェアさせて頂きたいと思っています。まだ慣れないのでちょっとドキドキなのです(^^)が、今年は特に何かに導かれているような気がしています。またお会いできたら、どうぞお声をかけてくださいね。とても嬉しく思います。2003年の夏、素敵な出会いがみなさまにどうぞ沢山巻き起こりますように。
新月の今宵に、無限の愛と感謝をこめて・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2003.05.31





旅の途中で



 人生の旅の途中で起こるできごと、出会いの数々、思ったこと感じたこと、嬉しかったこと涙が溢れたこと・・・数えきれないほどの命のドラマが、日々この地球上で繰り広げられています。
 あなたの旅は、今、どの辺りでどんな感じでしょうか。お会いしたら又ゆっくり聞かせてくださいね。わたしの旅のお話も、よろしければどうぞお聞きください。

 ●25年後

 14〜5才の中学生の頃、毎朝鏡を見るたびに、いつも「これは私だろうか・・」とよく思っていたものでした。思春期に入って変わっていく自分にとまどい、迷い脅える心がありました。それから大学に入ってやっと少しずつ自分らしさを認めることが出来るようになりましたが、それでもなかなか本当に「わたし自身」を信じることができませんでした。そして悩みはじめてから25年たった今、やっと「わたしらしさ」に微笑むことが出来るようになりました。そうすると又、同じように「あなたらしさ」にも微笑むことができるように思いました。25年間、なんだかそんなことをずっと考えてきたような気がします。

 ●愛の中の相違

 昨年、ある方のお家に主人と一緒に泊まったときに、新鮮な経験をしました。お料理も慣れていらっしゃるのでとても美味しいお食事を作って下さったのですが、お料理を作りながらの会話がすごく印象的だったのです。細かい内容は忘れたのですが、あることについて「僕はそういうのは嫌いなんだ!」とハッキリおっしゃるので一瞬びっくりしたのですが、急に「あっ、そうなんだ。この方は、そういうのが“嫌いなだけ”なんだ〜」と分かりました。それで思わず何か素敵な発見をしたような気持ちになって、なんだか嬉しくなりました。そして嬉しいついでに「私は結構そういうの好きなんですよ!」とかなんとかまで、お答えしてしまいました(笑)。私達に温かい夕食を作って下さりながら、「それは嫌い!」とハッキリおっしゃるその方とお話した時間は、とても楽しくて愉快でしっかりした手応えがありました。愛に包まれているときには、相違もまた、喜びの醍醐味となることを知りました。

 ●赤いトルマリンブラシ

 先日、私が送ったプレゼントのお礼にと、ある方から髪の毛を梳かすトルマリンのブラシを頂きました。このブラシで梳くと、静電気もとれるみたいで気持ちよいので、とても気に入っています。透明な赤いブラシでちょうど手頃な大きさです。こういう人から頂いたものがちょこんと家にあって、気に入って使っている・・というのは不思議に嬉しいものです。家にきた赤いブラシを見ていると、ご縁の不思議と、いろんなところで人々が助けて下さっているのを感じます。

 ●「ありがとうございます」の姿

 この前の休日に「ありがとう村ツアー」があったのですが、実家の急用で行けなくなってしまいました。それでその夜に、ありがとうおじさん(滋賀のありがとう村に住んでおられてお祈りをなさっているそうです)の本をペラペラとめくって読んでいると、新しい認識というかイメージが浮かんできました。
 「ありがとうございます」というのは本来「天照大神が今ここに在られます」というニュアンスの言葉らしくて、又、「あ」「り」「が」・・・とそれぞれの文字には深い意味があるということなのですが、もしかしたら「ありがとうございます」の言葉は、人体そのものなのではないか・・という仮説?を思いつきました。たとえば「あ」は頭から顔の部分、「り」は首、「が」は胸のあたり、そして「とう」はおへその辺りの中心点・・・というような感じで、「ありがとうございます」全体で人体すべてを表しているように思いました。そうすると、本当にいろんな姿かたちの「ありがとうございます」があるようで、とっても豊かな気持ちになりました。

 今夜の話はこれまでですが、又、不思議な旅の続きで、お会いしましょう。・。・゜★・。・。☆・。・゜★・。・。☆

2003.05.01








ほんとうの思い

 最近、お会いする人お会いする人に何かしらとても感じるところがあって、「人と人はどこかでつながって生きている」ことをよく思います。
 そんなとき、ふと「昔はどうだっただろう・・」と考えると、なんとなく今ほど「ほんとうの思い」をお互いに伝えることが出来なかったように思い出します。そして、まだ時代の波動が荒くて、何が自分のほんとうなのかすら考えられなかったような気がします。
 私が昔通っていた高校は大阪でも1,2の進学校でしたが、ちょっと変わった校風もあって、制服も無く私服なので、学校に毛皮を着てくる人がいたり、雀荘やパチンコ店に通う人もいたりで、まるで大学のような雰囲気でした。それでも男性は東大・京大・阪大に進学する人が多く、「とにかく○○大学に合格するから、他の事は一切何も言わないでほしい」と言って、親と契約している人までいました。そんな中で皆、言葉に表現出来ない殺伐とした気持ちを抱えていたように思います。この先、進学しても就職しても又、競争社会が待っている・・・そんな思いがありました。
 その頃の社会は、一見平和で成長期にあったかもしれませんが、社会や世間の厚い壁と沢山の規範があって、私のようなものにとっては、息もできにくいような感がありました。それから時が過ぎ、ここ数年は今までの社会の壁と規範が音を立てて崩れてきて、多くの混乱の中にも、新しい風が吹き始めています。今も今後も、まだまだ多くの混乱と悩みは続くのかもしれませんが、それでも、以前よりずっと風通しが良くなったように思うのです。
 21世紀になり、お仕事で出会った人や初めてお会いした人とも、「人生のこと」「ほんとうの思い」、心の内の最も大切なことを語り合える・・・そんな時代がとうとうやってきたんだなぁ〜と感じます。もう「フリ」はしなくていい、考えていること、思っていることをいっぱい語り合い、思いっきりメッセージを交流してOK!の時代が到来しているのです。交流・コミュニケーションで更に成長していく人間という種にとって、とても喜ばしいことではないでしょうか。

 そして、以前にもご紹介させて頂きましたが、バーバラ・アン・ブレナンさんという米国の著名なヒーラーの女性が書かれていた“人と人の間で交わされる最も美しいコミュニケーションの姿”をもう一度思い描いてみたいと思います。“すべてのチャクラが開放され、それぞれが独自の周波数でパルスを打ちながら、相手のエネルギーに全く影響されることなく、お互いが自己表現し、ただ受け入れ、認め合い、どちらも喜びに満たされている・・・” 今はまだこのような状態で人と人が交流するのは稀なことのようですが、この最も美しいシンクロナイズしたコミュニオンの姿が、これから地上のあちこちで見られるようになるといいですね。自己を認め、相手を認めて、ほんとうの思いで向かい合ううちに、幾重もの豊かな感情の波に洗われて、人と人も、銀河に響く美しいメロディーを奏でることでしょう。
今宵の新月、素敵な心のメロディーの音色を想いながら、どうぞゆっくりおやすみなさい。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2003.04.02








無意識のメッセージ

 前月の新月から今日のひな祭り3/3の新月まで、本当にいろんなことがありました。日々があまりに早く過ぎていくので、時々「少し待って・・」と言いたくなる時もあるほどに、ここ最近、ますます何もかもが加速してきているように感じます。しかしそのお蔭で、今までは断片的に感じていたことが、何か一連の絵巻物のように関連性を感じ取れるようになってきたようで、とても不思議な気持ちです。

 2月の半ばに東京と千葉でお会いした方々との出会いで、人生の実感が又とても深く増したようです。ここでなぜこの方々と出会ったのか・・・その理由は分からなくても、間近でお話しているときには、相手の方から様々なメッセージを受け取っています。それが好感を抱いたり、ときには違和感を抱いたりする元となりますが、もっと深いメッセージは魂の深淵・無意識の領域から発してくるような気がします。
 相手の目を見つめながら話している時、その瞳の奥から発しているメッセージが気になって、自分でも理由は分からないけれども「もっとこの人とお話してみたい・・」と思ったことはありませんか?そして、相手の話している言葉の中で、あまり意味のないような言葉なのに、なぜか耳に残って気になっている・・・なんていうことは今までになかったでしょうか。もしそういったことを感じたことがおありでしたら、これは頭と理性で分析しているものではなく、心と感情で捉えているものだとお分かりになるでしょう。そして、相手の内の無意識がふと表情となり言葉となって現れ出でた瞬間に、こちらの無意識も誘われるのではないでしょうか。そのメッセージは、既存の言葉にするにはあまりにもろく儚くて、未だ“かたち”とならなかったものでありますが、私達の内部の深淵において、ずっとエネルギーとして身を潜めていたもの・・だと思います。そして私達を真に動かしている原動力はここに繋がっているので、この無意識のエネルギーは遠い昔からずっとその出番を待っているのではないでしょうか。。

 先日3/1に、ここ2年ほど生き方にずっと憧れていた人とお話する機会を頂きました。人の美しさは本当にそれぞれの輝きがありますが、それに相まって、「ただ在る」ことの魅力とエネルギーが発するメッセージは、言葉を介さず伝わります。いろいろお話しているときはあれこれ考えたり気遣ったりしているのですが、後で自宅に戻ってお風呂に入って眠る前に、ふっと浮かんできたのは椅子に座っているその方の姿。茶系の服を着ておられたのに、なぜかオレンジ色のイメージの中で微笑んでおられました。そして、とても素直に「素敵な人とお話できたね〜」と温かく嬉しい気持ちになって眠ったのです。この日から又、私の中で確実に何かが変化したように思います。
 無意識のメッセージを信頼することは、宇宙を信頼することに繋がっているようです。自らの限界を自分勝手に設定しないで、幼子のようにただそのままに存在すること。そうしていつか霧は次第に晴れて、無意識の魔法の鏡は人々の稀有の本質を映し出してくれることでしょう。その日まで、面白くて楽しくて笑いあり涙もありの人生の旅は続いています。
 3/3の新月の今宵、仲良いお雛様とお内裏様のように、地球上でも様々な出会いがご縁を結びますようにとお祈りしています・。・゜★・。・。☆

2003.03.03








無限の夢

 今日から2月が始まりました。新月の今日、一日がバタバタとしてあっという間に過ぎてしまいましたが、いま夜の12時前になってやっと落ち着きました。
 明日は、初めての≪月1回の集い≫の日です。このような集まりを催すことが出来て、とても幸せを感じています。今回お知らせするのがかなり間際になってしまったので、10人前後の和気あいあいとした集いになると思いますが、また来月からの集いにぜひ参加したいとのお返事を下さった方々も多く、本当に嬉しく思っておりました。ありがとうございました。今までは、何か催しの仕切り役とか幹事さんとかするのがとても苦手だったので、自分のような性格の人が集まりを企画するなどとは考えたこともなかったのですが、人生の出会いを楽しむという意味でも、こういったことを始めることが出来て、とても良かったと思っています。
 そして、今回の集いの場所は、大阪・上本町の應典院さん(最寄り駅は谷九か日本橋)という寺院なのですが、こちらのお寺では「寺町倶楽部」というNPOも立ち上げられていて、又、アートの展覧会や詩の朗読会なども開催されておられるとのことでした。先日の金曜日に下見に伺ってきたのですが、静かな佇まいとモダンな感覚が融合した雰囲気でした。明日、この場で新たな出会いの瞬間が待っていると思うと、何とも不思議な流れとご縁をひしひしと感じます。今までの人生をかなり受身で生きてきたわたしも、やっと少し行動出来るようになってきたようです。インスピレーションを大切に素直に行動する、これからそんな風に生きていけたらいいな・・と思っています。
 金曜日に應典院さんに行った帰りに、フェアトレードと自然食品と雑貨の可愛いお店を見つけて、ふと心惹かれて中へ入ってみると、カフェもやっておられたのでチャイを注文して少し休みました。木の温もりのあるカウンターと優しく軽妙な音楽にほっと一息・・。オーガニックのチャイも美味しくて、とっても居心地いいな〜と思ったのですが、なんとなく女性だけの空間という感もあって、男性はちょっと入りにくいかなと思いました。でもやはり自然の温もりは本当に優しく温かいものです。そういう中にいると何とも言えない安らぎを感じて、ふっと肩の力が抜けていくようです。その後に上本町の駅に戻り、今度はチェーン展開されている駅カフェをのぞいてみました。ここでは、パンやケーキやサンドイッチのテイクアウトのお客さんが沢山並んでいて、カフェのほうも人が一杯でした。パンやサンドイッチは中々凝っていてどれも美味しそうでしたが、カフェの椅子や机は長居できるようなものではなくて、いかにも回転の速そうなスタイルでお店が作られていました。
 思いがけずこのような2つのカフェを見て、帰りの特急の中でずっとあることを考えていました。
 女性も男性もほっと寛げて肩の力が抜けるような場所、ほんとうに身体に優しい美味しいメニュー、居心地の良い木の温もりのあるテーブルと椅子、美しい癒しの色彩の天然素材が使われた店内。そして何よりも『本当のことを語り合える』『夢を分かち合える』場所。そんなところがあればいいな・・とイメージし続けていたのです。それは≪地上天国カフェ≫、そんな名前がふさわしい、この世の憩いの場所になるような気がしました。 

 今、わたしはどこへ向かっているのか、何をしようとしているのだろう・・・時々こんなことを思うと、いつも自分の心にたずねるようにしています。昔、中学生の頃に「君は何を望むか」という言葉が浮かんできて、その時はあまり意味も分りませんでしたが、今思うと、その頃からずっとずっと心の望みを見つめてきたように思います。プロジェクト∞のことも、「人々が本当に幸せな顔をしてイキイキと働く姿を見たい、そして自分もその中で一緒になって働きたい」という心の望みから生まれました。そして誰もがこの世の中で≪仕事≫というものに直接的間接的に関わっているのなら、その仕事を無限にHappyにしたいと思いました。そういう仕事こそ、人間本来の生き方に沿った仕事ではないかと思うのです。そして、生きることと仕事が美しいハーモニーを奏で始めた時に、ひとつ又ひとつと、新しい扉が開いていくのではないだろうか、と思います。
 時々、以前にはずっと家で寝たり本ばかり読んでいた自分を思い出すと、ちょっと可笑しくなるときがあって、「わたしのような人まで外に出て活動したりする時代になったんだなぁ!!」なんて(笑)感慨深く思ったりしているのですが、やはり時代の変化のエネルギーを強く実感します。水瓶座時代のパートナーシップのエネルギーと、フォトンの光のエネルギーが、21世紀に生きる私たちを後押ししてくれているようです。これからますます速くなる変化の先に、どんな世界が待っているのかとワクワクしながら、日々の幸せと輝きを大切に生きていきたいですね。
 2/1の新月は、皆様にどのようなメッセージを贈られているのでしょうか。今宵の夢の中で、どうぞ素敵な贈り物を受けとってくださいね。

2003.02.01






新しい道

 新年あけましておめでとうございます!2003年の開幕ですね。今年初めての新月の夜、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
 12月の最後の2週間あたりから今夜まで、ある一連の事象があらゆる場で表出しているのを感じておりました。2002年は出会いとコミュニケーションの年でありましたが、又、浄化の年とも言われていて、年末も大詰めになった頃には、その浄化のエネルギーに押しあげられて、潜在意識の奥底から多くのトラウマも噴出してきていたように思いました。そして今、地球はそんなエネルギーの渦の中で、再生の為の分岐点にきている・・・そんな感を強く受けました。

 自分のことになりますが、年末にはクリスマスなどの楽しいイベントのお蔭で、今までの年以上に感動することも多く、心豊かに過ごさせて頂きました。催していた企画のプレゼントの他に、いつお世話になっている方々にクリスマスカードやアニメーションeカードを送らせて頂いたのですが、その時にも思いがけなく何とも嬉しいお返事を頂きました。その時思ったことは、「おひとりおひとりの個性が、本当にかけがえなく素晴らしいのだ」ということでした。お返事のメールを読み、純粋なお気持ちに思わず涙がこぼれてしまったこともあり、まるで、心のお洗濯をさせて頂いたような気持ちでした。
 しかし一方で、思いがけなく少しさみしくなるようなこともありました。人間関係の中では、時に、「そんなふうに思っていたの!?」と驚くこともあると思いますが、私にとっても、又いろいろと考えさせられる出来事でありました。そして、ことのことを通して、「自分を被害者にしない。誰も被害者にならなくていい。」とあらためて強く思いました。
 人生の途上で、私も数年前にどうしても悔しく悲しい気持ちを押さえきれずに泣いていた日々もありましたが、少し時が過ぎてみると、やがてそれは過去の思い出となり、泣いていた自分も相手の方も、なんとなく共に愛しいような気持ちで眺められる日がやってきます。どれだけ相手が不条理なことを言っていると思ったとしても、その時の相手の方にはその人の訳がある・・・そんな経験から、そういうことを知ることが出来ました。でもやはり、その時はもう飛び出すしかない、一緒にはやっていけない、と思ったことから、又新たな世界が開けてきた、というのも事実でした。これは違う視点で見ると、その人が私を新たな世界に押し上げてくださった、とも言えるのです。そして、ある意味では、起こることすべてが愛のサポートなのだということが少しずつ分かりかけてきたような気がしています。

 このようなことを考えつつ大晦日を迎え、そして2003年が開けて早々に、いつも大変お世話になっている方から素敵なeカードを頂いていたのですが、その言葉から、又とても大切な気づきを頂きました。

 「あたらしい門出をする者には 新しい道がひらける」    〜相田みつをさんの言葉〜

 この言葉を見たとき、ひとつのイメージが見えました。“今は何ひとつはっきり分らなくても、あたらしい門出をしたその時に、今まで見えなかった新しい道が見えてくる。その出来たばかりの新しい道を、一歩一歩踏みしめながら歩いて行けばいいのだ。おそれず、ただその道を歩く幸せに心満たされながら・・”そんな言葉が浮かび、感謝の思いで一杯になりました。

 2003年も明けたばかり、今この1年がどのような年になるかとワクワク胸躍るような気持ちでいます。
 これから、人々が勇気を持ち、地球に幸せな夢が生まれていく度に、今までの道ではない21世紀の新しい道が次々と出来ていくことでしょう。そして、その道の途上では様々な出会いとドラマが生まれることでしょう。もし、道がつながるところであなたと出会った日には、ぜひゆっくりとお話させてくださいね。あなたが歩いてきた道、わたしが歩いてきた道、そして、愛しい地球で出会った私達の未来のお話を、心より楽しみにしています。それでは、どうぞ素敵な夢を。おやすみなさい・・・・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2003.01.03







親愛なる同志へ

また新月の夜がやってきました。
今日12/4は、主人の誕生日なので、お昼にはケーキを作っていました。作るといっても、最近何かと忙しくてケーキ台から焼くのが大変だったので、コープ自然派のショコラスフレを買っておいて、それを台にして、よつ葉生クリームを適当に塗りたくったもの・・(笑)を制作しておりました。でも、生クリームを2色にした、ちょっとばかしシック?なケーキです。ラカンカという身体に優しい健康食品の甘味でモカ色にしたクリームと白いクリームとの調和がとても綺麗でした。夕食は、クリームシチューとサラダと何かあと一品とワインです。ここ10年あまり、12/4の夕食はずっとクリームシチューだったと思います。主人が大好きなので、とにかく誕生日の晩餐はクリームシチューで!ということにしています。私としても何も考えなくっていいから、これは非常にラクなのです(笑)。そしてプレゼントも、非常に血液型O型的で実用的なものでOKです。昨日、出かけた際に、プレゼント用のズボンとシャツを購入しました。その時に、ウエストが76cmか79cmなのか迷ったので、電話して尋ねると、今は79cmとのこと。う〜ん、76cmを維持しようとしていないな・・・と思いつつ、79cmズボンを購入しました。昔から、衣服よりもプログレのCDのほうが大好きな人なのですが、プレゼントは何でも喜んでくれるので(私の母が贈った変な色合いのベストなんかでも・・)こういった点では、とても暮らしやすい人だと言えるでしょう(^^ゞ。
なんだかいつもの新月と違って、いきなり妙な話になってしまいましたが、主人とは結婚生活ももう16年目なのですが、なんとなくずっと夫婦らしくないような感じです。他のご夫婦の方々といると、余計にそう感じます。「う〜ん、何が違うんだろう・・」と思って見ていたら、なんとなく他のご夫婦は「男女」という印象を受けます(夫婦だから、当たり前なのですが・・)。でも、私達は、なんとなく「同志」っぽいのです。
たとえば、休みの日の午前中に、ふたりでブランチを食べます。そのとき必ず、ここ一週間とか一ヶ月のお互いの心境と仕事のことを話し合います。食べているものは、黒糖食パンとかマフィンとかミニクロワッサンとか甘〜いものを食べているくせに、話はなぜか結構シリアス(笑)です。そして話はどんどん盛り上がってきて、『温かい心を大切にした拡大戦略』とか『水瓶座時代のパートナーシップ』について、やたらと声を大にして語り合っています。こういった際、主人はどちらかというと、いつも私に問いを発しています。私は、その問いを聞いて、思いついたことやイメージをどんどん話します。たまに途中で雲行きが怪しくなり、お互い意見を譲らないときもあるのですが、まあ、いつも最後にはなんとか話がまとまり、「よぉ〜し、やるぞ〜〜!!」とハイになっているか、喋りつかれて休んでいるか・・のどちらかの状態になっています(笑)。こんなことで時間を浪費してしまいやすいので、よく家の掃除や整理整頓の時間を後回しにしてしまうのですが、主人という人はいつも何かと悩みやすい人なので、やっぱりこういった時間があったほうがよいみたいです。
でも時々、「男女」の雰囲気に憧れることもあります。私のような人でも、素敵な年上の男性とご一緒しているときなど、ちょっとばかりそういった雰囲気に憧れたりもするのですが、元々私はヘンなやつなので、そういうモードは長続きできない体質のようです(笑)。でも、同志としては長続きします。長くお付き合いするほどに、老若男女関わらず、いつのまにかなぜか「同志」っぽくなってしまうのです。
夫婦に限らず、友人・知人・一緒に仕事している人・いろんなご縁の周りの方々・・・やっぱりみんな同志なのかな〜って気がします。今この地球上で一緒に生きている・・・そんな同志の方々との出会い、一緒に過ごす時間、本当にかけがえなく大切なものだと思います。
そして今生の人生では、そんな出会いの中で、なにか心から大切なものをかたちにしてみたいと思っています。これを読んで下さっている皆様とも又お会いできた日には、いろんなお話をしたいものだと思っております。そして、ちょっと脱線気味でもいいから・・・たまらなく面白い人生の旅をご一緒しましょうね( ^_^)/▼☆▼\(^_^ )

2002.12.04








光と闇

 春からの充電期間ももう5ケ月ほどになり、10月以降にだんだんテンションが上がってきていて、最近はよくセミナーや講演会や勉強会に参加しています。
 私がセミナーや講演会に参加するときの心境としては「この講演会に参加して、もっと肩の力が抜けてリラックスして、こだわりをなくしていけたらいいな・・」なんてぼんやりと思ったりしているのですが、実際に行って見ると、やはり自分が全く予想しなかったような思いがけないことがあるものです。9割がたが「いいお話だったな〜〜」と心もすっきり楽しいことが多いのですが、時々やっぱりどうしても「う〜〜む」と気になることもあって、そういうとき、少し考えてしまうこともあります。
 先日参加した講演会でも、とっても素敵なお話ばかりで楽しかったのに、ひとつだけとても気になったことがありました。それは、「私」という言葉についてのお話でした。
 私という言葉はあまり良い言葉ではないということで、その方は使わないようにされているようなのですが、周りの方までがその考えに強い影響を受けておられるようでした。帰り際に少しスタッフの方とお話したときに、わたしが「私」という言葉を使ったのを聞いて、そのスタッフの方が急に暗いお顔をされて「私という言葉は・・」というようにおっしゃられました。その一瞬暗くなられたお顔を見たとき、「これは、ちょっと問題かも〜〜」と思ってしまいました。
 そのスタッフのお方がご自分で「私という言葉は使わないほうがいいんだ!」と楽しく決心されたのであったら、それはそれで一つの意見・考え方であり、問題ないように思います。でももし、ただ他人の言葉を鵜呑みにして、自分の感性と心で感じたことではないことに従っているだけだとしたら・・・それは不幸なような気がするのです。
 以前にも、お付き合いさせて頂いた方が「私という言葉はエゴの言葉だから、それを使わずに文章を書いている」とおっしゃったときに、いろいろ思ったことがありました。その方も、とっても純粋な心をお持ちになっているがゆえに、自分の中のエゴを焼き尽くしてしまいたいと強く望んでおられました。そのお心は痛いほど分かりました。でも、自分の内のエゴを敵視すればするほど、それはどこまでも強靭になり決して無くなることはないように思います。エゴは愛されなかった心の叫び、それを理解して優しく包んでいったときに、初めてエゴも報われホッとして昇華していくのではないでしょうか。
 そしてこれは私の勝手な考えなのですが、「タブーは少ないほうがいい」と思うのです。「私」という言葉はエゴだ!と敵視するよりも、もっと大らかに「私」と仲良くなったほうが楽しいような気がします。
 世の中には「私は・・私は・・」と自分のことばかり話すタイプの人も結構おられます(笑)が、そういう人もじっくり見ていると、子供のように可愛い人が多いのです。それに、そういう人はどんどん話して下さるので、こちらは聴いているだけ、ある意味でラクだとも言えるのです。もし、お互いが異様に遠慮するタイプだったとしたら、凄くしぃーーーんとして大変に気まずくなるかもしれませんから(笑)。そして良い悪いではなくて、自分でちゃんと感じたことで生きていきたいと思います。
 それと、「私」があるから「あなた」と会える♪握手できる♪ハグできる♪という3次元ならではの幸せを実感できるように思います。「私」を否定してしまったら、そのダイレクトな喜びを味わえなくて、ちょっともったいないような気がするのです。生きている喜び、実感、体験、それを「私」とともに思う存分味わってこそ、かけがえのない3次元!だと思うのです。
 講演会に行って、ふとこんなことを感じてしまうことがあったりもしますが、(昨日も、又別の講演会の予約をしましたら、そのお世話役の方が急に悩みをおっしゃられて、またまた考えてしまったことがありました。)これも又、私にとっては学びであるような気がしています。でも、これからどんな風にシフトしていくのか、それをとっても楽しみにしています。地上の天国をみんなで見てみたいですね♪今宵新月の暗闇のなかでも、心の奥の美しい夢幻の月の光に照らされながら、どうぞゆっくりとお休みくださいね。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜★・。・。☆

2002.11.05






ユービックの予言

 私の20代半ば頃は、隠居生活の真っ只中であったので、とにかく本を読んでいる時間が一日の大半を占めていました。しかし、その頃はまだ船井先生やニューエイジ系の本を知らなかったので、読んでいたものは主に小説がほとんどでしたが、日がな一日寝転んで本を読み、感動したり考えこんだり涙したりしていました。その頃夢中になって読んだ沢山の本。最近はあまり読み返すこともないのですが、今日、お世話になった本が棚にずらっーと並んでいるのを見ていたら、「沢山の本との出会いで、育ててもらってきたんだな〜〜」と感慨深く思いました。
 高校の時から文芸部に入り、大学時代も授業に出ずに文芸部のクラブのBOXにばかり行っていたのですが、その頃は詩や散文を少し書いていたくらいで、そんなに沢山の本を読んでいたわけではなかったのです。しかし23才で結婚してからは、自由に様々なジャンルの本を読んでみたくなりました。
 結婚後に隠居生活に入ってから、それこそ本も読み放題の生活を送っていましたが、その頃の私の一番好きな作家は坂口安吾という人でした。坂口安吾は太宰治と同時代の人で、「青鬼の褌を洗う女」や「桜の森の満開の下」や「夜長姫と耳男」といった魂のふるえるような稀有の美しい作品が残されています。彼の書く小説は、一見耽美派の極みのような印象も受けるのですが、よくよく読んでみると、これらの小説の根底には、この世の善悪美醜をすべてひっくるめたような生命の温もりがあり、一種の牧歌的な安らぎが漂っています。そういう安吾の世界に心酔していた時期もありました。
 そうしてまた一時期、短編集ばかりを好んで読んでいた時もあって、Oヘンリ、モーム、モーパッサン、スタインベック、アンダスン、カミュ、カフカ、そしてサガンやM・デュラスなど、人生の機微と妙味が煌いている素晴らしい短編集を読みふけっていたことを思い出します。
 その後には、ニーチェばかり読んでいた時期もありました。私は大学も哲学科に入ったくせに、一般的な哲学者の本は、どうもからっきし頭に入ってこなくていつも困っていたのです。たとえばハイデッガーの本(もちろん訳書です)をじっと見て読もうとしても、文字が全然頭に入ってこないのです。でも、ニーチェを読み出すと、その面白さに引きずりこまれ、飽くことなく読み続けることができました。これは今でもそうなのですが、私にとっては、心惹かれてどんどん読んでしまう本と、中々読みすすめることが困難な本、とがあるのです。読みすすめることが困難な本は、どれだけ一生懸命読もうとしても中々はかどらないので、いつもしかたなく諦めてしまうのですが。。。
 又別の一時期にはエラリー・クイーンやアガサ・クリスティーなどの推理小説を熱心に読み始めて謎解きに夢中になり、そののち初めてSFの世界も少し覗いてみました。私はSFというジャンル自体にはそんなに探究心はないのですが、自由な感性と卓越した思想に惹かれてフィリップ・K・ディックのSF小説に行き着きました。
 そして、このフィリップ・K・ディックの本を読み始めたとき、かなりの衝撃を受け、単なるSFではない何かを感じました。ディックの数ある著作のうちの大好きな一冊、「ユービック」という本には、未来のある争いで半死半眠状態になった人々が時間の退行現象を経験するなかで起こる様々な冒険談が描かれています。(今、残念ながらユービックの本が手元にないので曖昧な説明になってしまいますが・・)退行現象は刻々とその世界で生きる人々を蝕んで枯れさせてしまうのですが、その退行現象を阻止する唯一の希望が「ユービック」と呼ばれるものでした。「ユービック」は時間とともに色々なものに変化して現れるのですが、ユービック自体があまりに退行してしまっているときには全く使い物になりません。そして、どんどん退行して枯れていく世界の中で、窮地に陥った主人公の男性が心からの祈りを持って「ユービック」を望んだ時、もっと未来からやってきた使者、素敵な衣装に身を包んだチャーミングな笑顔の女性が、最新のユービック缶のスプレーを携えて主人公の側に現れます。最新のユービックのスプレーを全身に浴び、ようやく蘇生した主人公は安らぎを取り戻し、現れた女性のメッセージに耳を傾けます。「あなたが心から望んだときに、いつでも私は現れて、必ずこのユービックを手渡します。」こんな言葉を残し、彼女は微細な霧のように消えていきました。
 このメッセージを読んだとき、私は自分の中にひとつの問いを感じました。“なぜ、ユービックは心から望んだときにだけ手に入るのだろう”・・・そしてそれが長い間ずっと気になっていたのですが、ここ数年思うところあって、その謎がやっと少し解けてきたような気がします。
 私達が何かを心から望んだとき、その純粋な祈りのエネルギーはあらゆる制約と時空を超えて、かたちになって現れてきます。この宇宙の深遠なシステムが、そのように後押ししてくれているようなのです。少し以前に書かれたユービックの本は、まさに来るべき水瓶座時代に向けて、ひとつの予言をしていたように思います。私達がいかに苦境に陥っているときでも、心からの望みと祈りとともに、いつでも希望を実現することができる・・・そんな時代がやってくることを、きっとディックご自身も予感しておられたのでしょう。そして私達のユービックは、それぞれの心の内で封を開けられるその時を、ずっと静かに待っているのです。

2002.10.06






瞳の奥に眠る魂

 生き物は、生まれてきただけで、その使命の大半を果たしているのかもしれない・・なんて思ったことはありませんか?
 このつぶやきを読んで下さっているあなたも、そして私も・・・今、地球上にちゃあんと存在していて、独自のエネルギーを送り出し受け取ってもいます。私たちが、今リストラで失業中であろうと、会社を経営していようと、主婦で子育て中であろうと、彼女とケンカ中であろうと・・・母なる地球に存在しているという点では全く差異はないのだと思うのです。ただ、その人のかけがえのない生命エネルギーの場があり、そしてそれこそが、何よりも真の宝なのだという気がするのです。

 純粋無垢な子どもの心、という言葉をよく聞きます。でも、大人同士はお互いの存在を純粋だと思い合えず、傷つきあった心からくる悲しみと怒りで、相手を批判してしまうこともあります。でも本当に、子どもの頃だけが純粋で、大人になると心は汚れてしまうものなのでしょうか?大人同士は、なぜ相手を認め合えないのでしょう?大人同士も、励ましあうことはできないのでしょうか?

 でも、いつから、何才の何時何分から、「大人」になったのでしょうか。法律では20才と決められてはいますが、本当は、「大人になる必要」なんてなかったような気もします。
 純粋無垢な子どもが世の中に関わるために考えて悩んで一生懸命に努力して数十年経った姿・・・・
それが大人と呼ばれている私達ではないでしょうか。
 私は、そんな大人がとっても健気で愛おしく思います。たとえ心の周辺に沢山傷ついた思い出や悲しみや怒りがあっても、心の奥底には、誕生の時の純粋無垢な聖域がずっと在り続けているのです。そしてそれは、その気になれば誰でも、「あぁ、あなたも、私と同じなんですね!」と感じることができると思うのです。

 昨年、あるワークショップで「相手の目をじっと見つめる」というワークを経験しました。そのとき私は、丁度定年を迎えたとおっしゃっていた男性と向かい合いました。彼は素朴でとっても人懐っこくひょうきんで、まるで小さなやんちゃな男の子みたいな方でした。しばらくの間、無言でお互いにじっと目を見つめあっていると、彼はだんだん目をしょぼしょぼさせ、にじみ出る涙を押さえながら、それでも又、私の目を見つめようとして下さるのです。何度も手で涙をふき、何度も頷きながら、私を見つめてくれたその表情の美しさを、それからずっと忘れられません。やんちゃでひょうきんな表情がいつのまにか消え、彼の魂の本当の美しさが現れたとき、私は心底胸を打たれたのです。

 相手の瞳の中に、静かに佇んでいる魂の姿を見つけたとき、私達は、お互いの存在をもっと受け入れ理解し合えるのではないか・・・そして、これからそんなことを感じられる機会をもっと作っていけたらいいなと思っています。私たちは、これからの時代に、もっとお互いを感じあい、愛しあえるような気がします。人と人も、この地球に生きる総ての生命達とも、そして銀河宇宙に輝く遠い星々とも。

2002.09.07






地球にたったひとりで住んでいたら・・
  普通に考えると非現実的なことですが、もし、この地球にひとりぼっちで住んでいたら、人はどんなことを望むのだろう、と考えるときがあります。
 地球にひとりで生きていたら・・もちろん「仕事」なんかもないだろうし、しなければならないこともないように思うし、そもそも生き続けることでさえ、どちらでもいいような気もするのではないかな、なんて思います。自分ひとりでは、ただ食べて生きることは出来ても、誰かが何かを言ってくれたり、家庭や仕事で関わりあったりすることもない・・。こんな風に考えてみると、今の世界が成り立っているのも、人や生き物が沢山存在するからなんですね。それで、様々な循環が巡っていくので、沢山のテーマが次から次へと生まれて育ってきたような気がします。
 なぜ私が、こんなふうに考えたりしてしまうのかと言うと、20代の頃に“世界で一番ヒマな人”の生活をしていたからだと自分では思っています。その頃の主人の意向もあったのですが、私も好き好んで、ひとりでいる時間が長い生活をしていたので、時々、人に会うたびに、なぜか言いようのない不思議さや安堵感を感じるのです。自分以外の人の存在感がいつもとても珍しくて、つい気をとられてしまって、なんだか嬉しくなってしまうのです。
家にいても、ときどき主人の顔もじっと見てしまうと、とても珍しく思えてしまって、目や鼻の造作ひとつひとつに見入ってしまうこともありました。でも、よく考えてみると、世界に全く同じ顔の人はふたりといないので、人の顔もひとりひとり、素晴らしく貴重なものなのかもしれません。
 きっとそういう生活を続けていたせいもあって、30代から仕事を始めて、人と沢山出会うようになっても、なぜかいつまでも、そんな不思議感はずっと感じてしまうのです。私のように「ひとりの時間」を基本と考えていると、それ以外の「人と会っている時間」「人と関わっている時間」は、少し夢のような、でもお互いが皆が生きていることを励ましあっているような、そんな大切な時間であるのです。
 この3次元では、人や物が沢山存在していて、現実的に物理的に関わりあっていると思うのですが、エネルギー的な次元や神様の次元では、すべてが繋がりあってひとつであるとも言われています。
 もしも地球にひとりで存在していても、そういう次元の天と地と人のエネルギーとの結びつきは消えることがないと思うのですが、どうしてもこの3次元では、人は人との出会い無しに、生成発展していくことは難しいような気がします。
 そして、これはひとつのイメージなのですが、もしたったひとりで地球に存在して生き続けて、ある日、地平線の彼方から、自分とよく似たかたちの存在がこちらへゆっくりと歩いてきたら・・・。「やっと、やっと、あなたに会えた!」そんな出会いの喜びは、この星の原初の記憶となっているのかもしれませんね。

日々3次元の只中を生き、人々と出会い、仕事をし、家族や仲間と語り合い、そして地球や宇宙ともつながって、私達の周りでいつもくるんくるんと舞っているエネルギーの粒々たちと遊ぶ・・・そんな多次元的な感覚も、もうすぐそこまでやってきているようです。

2002.08.09



意識の歩む道

 年齢というものは、一体どのように、人の意識と人生に組み込まれていくのか、と思うことがあります。
 女性ばかりではなく、この頃は男性からも、しかもまだ30才になったばかりの人から「もう若くないから、もう年だから」という言葉を聞くたびに、その人の心境にじっと耳を澄ましてみます。年をとることイコール楽しみがなくなっていく、という思い込みなのでしょうか。たぶん、人間の集合無意識の影響もあると思うのですが、私には、その考えって損してる!と思えてしかたがありません。
 小学生の頃に、担任の先生が「みんなは何才まで生きるかな?」って質問されたことがありました。
 みんなは手を挙げて「60才」とか「70才」とか言っていたのですが、私が「100才」と答えると、どっと笑われたので、とても不思議に思ったことがありました。実は、私の心のなかでは、「少なくとも100才」と思っていたのです。そして、その頃の寿命がたとえ60才や70才だとしても、どうしてそれが「人間の寿命」だと決定的に決まっていることになるのだろう、これからは100才になってもいいじゃないの、と考えていました。これはべつに長生きしたいのではなくて、たとえば30才で亡くなってもそれはそれでいいのです。ただ、最初っから「人間は70才くらいまでしか生きられないんだ」と限界を決めてしまうのが嫌でした。お箸の持ち方まで「どうしてそういう風に決まっているの?」と聞きかえすほどあまのじゃくな私は、こういう考えが大の得意(笑)なので、いつも祖父母から「口答えしてはいけません!」と叱られていましたけれども。
 そういう私も、女性として生きていく上で、最も悩んで、でも振り返ると、最も自分らしい道を歩んできたと思えることがあります。それは「お化粧」のことなのですが、23才で結婚してから“世界で一番ヒマな人”として生活していた私は、雑誌の美容特集を厳しくチェックして、先手必勝!とばかりに高い化粧品ををゲットしてお肌の老化予防に努めていました。しかし、高価な化粧品を使えども使えども、肌が乾燥したり、髪の毛が傷んだり・・と悩みが尽きることはありませんでした。
 このままでは私はどんどん暗い気持ちになってしまう、どうしたらいいの?と苦悩したのが24、25才頃。それから幾度となく、ふたつの道が目の前に分かれているような分岐点の前に来ては、ひとつひとつ「わが道」を選択して通過したような気がします。そして、かつては出かけるときの準備にとても時間のかかっていた私が、年々シンプルにササッと用意できるようにもなっていって、そういう自分がとても好きになりました。
 これは大げさなようですが、女性にとっては、今まで引いていたアイラインをもう引かない、やめる、ということでも、とても勇気がいるものです。普通のシャンプーとトリートメントをしていた女性が、石けんシャンプーやりんご酢のリンスに切り替えていくことも、一般的じゃないことだから余計に勇気がいります。それでも、 どんどん勇気を出して、自分にとって本当に心地良いものを求めていくと、悩み続けていたことが変化してくるのです。20代からシワを防がなきゃ!と必死で頑張って美容液を塗っていたのが、30代になっても、そんなことしなくても平気〜大丈夫!になってきます。
 大人になって少しずつ積もっていく悩みから自分を解放していくことは、とても大切なことだと思うのです。小さなことでもあきらめないで、自分に正直に、自分の心地良さを見つめ続けていくと、それにつれて自己意識も変わってくるように思います。
 私の場合は、10代は受験勉強や家庭の問題で暗かったし、20代は迷い多く閉じこもりやすかったので、30代からが人生ようやく本気でスタート!みたいなとこがあったのですが、女性としても、30代からの自分がとても自分らしくなってきたように思います。そして、私もあなたも人々がみな、これからもっと自分らしく自由な感性を羽ばたかせて生きていけますように、今宵新月の夜に祈ります。

2002.07.10

 


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